Yahoo!ジオシティーズ ゲストブック 戻る  

  2014/5/10 (Sat) 14:21:23
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   【ゲストブック閉鎖のお知らせ】
Yahoo!ジオシティーズのリニューアルに伴い、2014年6月8日をもって、この「ゲストブック」というツール自体が廃止されることが判明しました。
そこで、サービス終了まで約1か月を残して当ゲストブックは閉鎖し、新たに掲示板(BBS)を開設することにしました。
サイトをご覧になった感想や管理人へのメッセージなど、以後は掲示板に書き込んでくださるようお願いします。
  2014/5/4 (Sun) 05:19:06
[名前] :   Ryoko Paris
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様、
はじめまして。
大変貴重な情報が盛りだくさんのサイト、ありがとうございます。興味深く、隅々まで読ませていただいています。
去年の年末にイランに初めて旅行して、大変気に入ったので、ぜひまた行こうと思ってバハラム様のサイトを読んで勉強しています。
冬のイランには行かれたことがないようですね。。。とにかく寒かったです。特にシーラーズでは雪が降っていて、かぜを引いてしまいました。
さっそく注文をしてもよろしいでしょうか?各旅行記にちょっとした地図とルートが記載されてあると、右も左もわからない私にとってはわかりやすくなります。お願いできますでしょうか?わがままをすみません。
宜しくお願いします。
 
 
  2014/5/4 (Sun) 17:34:08
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   Ryoko Paris様
はじめまして。当サイトへようこそ。また、お褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。
次の旅行は夏に行かれてはどうでしょうか。地域にもよりますが、私は、一般的には日本の夏よりもイランの夏の方が過ごしやすいと思います。
さて、ご要望の件ですが、各旅行記に地図とルートがあるとよいというのはたしかにおっしゃるとおりで、2013年版にはグーグルマップを利用しました。
しかし、ウェブサイト作りというのはなかなかエネルギーを要するものでして、一旦完結させた過去の旅行記に手を入れる場合にはなおさらです。
どうか、あまり期待せずにお待ちいただきたいと思います。悪しからず。
  2014/2/8 (Sat) 21:37:10
[名前] :   ジルヤブ
[URL] :   
[コメント] :   アッサラームアレイコム
早々に、返信、うちのブログにコメントをありがとうございました。かなりいい加減で恥ずかしいです。
ダーラーブは、2回目に行った時に、バンダルアッバースからシーラーズへ抜けるときに、お昼に立ち寄りました。
このあたりはまだ、書いていませんが。
フィルサーバードは行きました。素敵でした。
あの辺はサーサーン朝の遺跡がまだまだ沢山あるようですよね。再度挑戦してみたいところです。
拝火神殿は興味があって、調べていた時期があるのです。なるべく完全な形のものが見てみたいと。
タンゲ・チャク・チャクは大きさに驚きました。アーザルジューも大変興味深いです。
私は次は西イランとスーサ、チョガザンビルに行きたいのですが、ダーラーブ周辺もリストに加えねばですね。ビーシャープールもまだだし。イランは本当に面白い処が多くて困ります。
 
 
  2014/2/9 (Sun) 19:36:33
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   そうでしたか。
私もフーゼスターンには行きたいと思っているのですが、さすがにあの地方へ夏に行くのは厳しそうです。
あと、渡航延期勧告が出ているので控えていますが、ケルマーン州にも行きたいです。
つぶしが利くとも言えますね。何度行っても違うテーマの旅ができるという…
  2014/2/8 (Sat) 19:19:26
[名前] :   ジルヤブ
[URL] :   http://hisuirou.blog87.fc2.com/
[コメント] :   こんにちは
はじめまして。
春田先生のつぶやきで見つけて、「アーザルジューの拝火神殿」タンゲ・チャク・チャクにまで行かれて、びっくりしまた。貴重な写真も素敵です。
タンゲ・チャク・チャクは以前、ロマン・ギルシュマンの古代イランの美術2 (1966年 人類の美術 )で見て、覚えてました。ダーラーブは通ったことあるのですが、ここまでは行かれませんでした。
私もイランは4回行っています。
旅行記がなかなかはかどっていませんが、
うちのブログにも紹介させていただきました。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
 
 
  2014/2/8 (Sat) 20:33:16
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   ジルヤブ様、はじめまして。
管理人です。
お褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。こうしてコメントをいただけると労が報われる気がします。
タンゲ・チャク・チャクをご存知で、しかもダーラーブを通ったことがあるというのは、イランに行ったことがある方の中でもなかなかお目にかかれるものではないと思います。
ブログでもご紹介いただいたとのことで、ありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします
  2014/1/23 (Thu) 10:12:26
[名前] :   バガボンド
[URL(任意)] :   
[コメント] :   放送大学の授業に「国際理解のために」があります。
ここで、ゾロアスター教について学びました。
現在のイラン政府がゾロアスター教にどのような姿勢で臨んでいるのか調べているとき、このサイトを知りました。勉強になりました。ありがとうございます。
 
 
  2014/1/23 (Thu) 23:03:21
[名前] :   バハラム
[URL(任意)] :   
[コメント] :   バガボンド様、はじめまして。管理人です。
コメントありがとうございます。
言われてみれば、私自身、興味があるせいか、旅行記の中で、ゾロアスター教のことを割と多く書いてきたような気がします。
全然、体系的な記述になっていませんが、何か感じていただけるものがあったなら、うれしく思います。
  2014/1/18 (Sat) 23:56:21
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんにちは。2013年旅行の最後の記事拝見いたしました。テヘラン近郊の遺跡はまったく知らないものばかりです。こんなに沢山あったのですね。タッペイェ・ミールの神殿は、イラン映画「緑の火」で登場していたロケ地だということを知ることができました。ラシュカーン城砦やギャブリー城塞というのは是非行って見たい場所です。ガードマンを雇う必要がありあそうですが。。セルジューク朝の尖塔型の墓廟も、内部がどうなっているのか、考えても見なかったので、そういう構造だったのか!と思わずひざを叩きました。

この数ヶ月、私も旅行しているような感じで毎週楽しみでした。ありがとうございました。
 
 
  2014/1/19 (Sun) 11:02:00
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、こんにちは。
レイやヴァラーミーンの周辺には、松本清張が本で紹介した「ハールーンの牢獄」なるササン朝遺跡など、今回私が行かなかった見どころが他にもまだあるようです。
私自身、旅行記を書き続けたこの数か月、旅の思い出を食べて生きていたような気がします。それもとうとう終わって今、心にぽっかりと穴が開いたようです。
zae06141様には最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。こうして寄せていただくコメントがサイト更新の励みになっていました。
とはいえ、今回は、行く前よりもわからないことが色々と増えた旅です。今後も何か情報が入りましたら是非、ご提供いただきたく、よろしくお願いします。
  2013/12/23 (Mon) 20:30:28
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんにちは。

ダーラーブゲルド、ため息がでました。
前回のナグシェ・シャープールの記事でも思ったのですが、編集者に連絡がつくものなら、写真集「From Pasargadae To Darab」にバハラム様の記事を追加して改訂版を出して欲しいと提案したいくらいです!

今回も3点質問があります。可能であれば情報をいただけますと幸いです。
1.ダーラーブゲルドの中央山のおおよその高さ
2.城壁のおおよその高さと幅、外堀のおおよその深さと幅
3.エスタフルのところのギリシュマンの著作名

拙記事が登場していて驚きました。記事を書いた時は自分でもイメージがピンと来なくて、ある意味機械的に紹介した側面もあったのですが、バハラム様の記事でようやく記事とタバリーの描写に実感が持てる段階に来ました!(あと、地図のpointも感動しました!)
 
 
  2013/12/23 (Mon) 21:42:46
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、こんばんは。
ありがとうございます。特にダーラーブゲルドは今までに増して力が入っていることを感じていただけたでしょうか。
さて、ご質問への答えです。が、大きさなどは私の感覚的なところが多分にありますので、ご留意ください。
1.山の高さ:おそらく50~60m
2.城壁:高さ4~6m・幅6~8m、外堀:深さ2m・幅15m
3.『イランの古代文化』324ページに図があります。
事後報告みたいになってすみませんが、今回は、zae06141様のサイトをかなり引用させていただきました。あの貴重なライブラリーを利用しない手はないと思いまして。私としては、今回のダーラーブ編はzae06141様とのコラボのつもりでいますので(笑)、よろしくお願いします。
 
 
  2013/12/24 (Tue) 22:52:05
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   情報ご回答ありがとうございます。

私の経験ですと、旅行記は、だんだん疲れが出てくるところがあったりしますが、今回の一連の記事は、しり上がりに密度が増し、力が入っていくのがわかります。「質感」という単語が登場していましたが、本当に臨場感があります。なんといいますか、今バハラム様はイランを旅行していて、リアルタイムで毎週記事を読んでいるような感覚があります。3Dスキャナで読み込んだ情報を3Dプリンタで再生しているといいますか、従来のバハラム様の旅行とその記録も敏感な感覚と高度な再現性を感じましたが、今回は五感全てより多くをスキャンし、より多くを再生している、そんな感じです。次回も楽しみにしています!
 
 
  2013/12/28 (Sat) 19:07:58
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

私の方から少々情報があります。
我々の間で最も長くやりとりの続いた映画に関する記事の
コメント欄の最後をご覧いただけますでしょうか。

よろしくお願いいたします。
 
 
  2013/12/28 (Sat) 20:40:22
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、こんばんは。
大変、貴重な情報をどうもありがとうございました。
今回頂いた情報は、私にとって非常に衝撃的な内容でした。ササン朝時代のファールス地方にまでネストリウス派があれほど食い込んでいたとは全く思いもよりませんでした。彼らは記録をきちんと残していたんですね。
そして何よりショックだったのは、私、入口にあったあの碑文を見ています。モスクに転用された後に刻まれたアラビア文字だろうと思って大して気に止めませんでした。
もっときちんと調べてから書けばよかったと反省しています。いずれ、追記した上で、記事本文を書き直した方がいいかなと考えております。
それにしても、内部構造の点からも教会であったのは間違いなさそうですね。ただ、これによって、メフル神殿が原形だったという説まで否定されるものではないと思うのですが、zae06141様はいかがお考えですか?
 
 
  2013/12/28 (Sat) 22:09:30
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

お役に立てたようでなによりです。
入り口で目に入っていたとのことで安心しました(見ていない壁とかにあった、という方がショックは大きいと思いますので)。

私も帰宅途中の電車の中でざっと読んだだけで、まだ消化できていなくてメフル神殿の部分はなんともいえませんが、ササン時代のネストリウス派の情報がこんなに残っているとは衝撃でした。本文の長さに比べて参考文献の紙幅が多いというのも、シリア教会学の奥の深さを感じました。
  2013/11/25 (Mon) 23:29:01
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。アースィヤーベ・サンギーの記事拝見しました。本当に知られていない凄い地方遺跡は沢山あるのですね。解説版や観光情報すら無いというのは大変残念に思います。各地の郷土史家や教員・学生等が、今後情報を整理して発信してくれることを強く願う次第です。
 
 
  2013/11/26 (Tue) 20:41:49
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
こんばんは。真偽のほどはわかりませんが、あちらで聞いた話では、イランに残る大小様々な考古遺跡の数は10万だそうです。
このサイトが、イランのそうした埋もれた遺跡に光を当てる一助になればと思います。
特に、自称ダーラーブ観光大使として、ダーラーブはフィルザバードやビシャプールと同等以上の注目に値するところだということを訴えたいと思います。
  2013/11/14 (Thu) 00:18:55
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。マスジェデ・サンギー、まったく想定していなかった内容にびっくりです。ターク・イ・ブスタンのような石窟だと思っていました。毎回のお願いで恐縮ですが、翼廊部の高さと奥行き、幅の凡その値をお教えいただくことは可能でしょうか。また、解説版の中の「存在する証拠に基づいて」の部分が非常に気になります。

 更にあつかましくお願いなのですが、キヤーマルス宮殿の各寸法もお教えいただけますでしょうか。

よろしくお願いいたします。
 
 
  2013/11/14 (Thu) 21:46:25
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、こんばんは。
私もびっくりでしたよ。まさかビザンティン教会みたいなのがあるとは思いませんでしたから。
「存在する証拠」を私も知りたいです。肝心なことを書いてくれてないんですよね。
マスジェデ・サンギーの寸法ですが、まずグーグルの航空写真で天井の穴を測ったところ2m四方でした。そこから写真で大きさを比較しての推計ですが、ヴォールト部分の高さ約4m、幅2.5m、奥行き3m、全体の奥行き8mといったところでしょうか。測っていて気づいたのですが、中央交差部の床の掘り込みも天井の穴の寸法とおそらく同じで2m四方です。
比較対象物が写っていなかったのでわかりにくかったかもしれませんが、そう大きいものではないのです。
キヤーマルスも同様にして測りました。高さ約5m、長さはおよそ15m四方だと思います。
 
 
  2013/11/14 (Thu) 23:17:01
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   情報ありがとうございます!マスジェデ・サンギー、色々な可能性のうちのひとつとして、ビザンティン技師が関与したミトラ神殿という可能性も考えてしまいました。そのうち、ビザンティン洞窟教会やイラン・イラクのミトラ教神殿遺跡など調べてみようと思うに至っています。また、サファヴィー朝以降の建築物についても、私は、有名な観光名所の建築や設計プランしか見たことがありません。このあたりについては、キャーマルス宮殿の情報は非常に有用な事例のひとつだと思いました。

質問が前後して申し訳ないのですが、キヤーマルス神殿は、壁が残っている方が東側だと思ってよいでしょうか。その近くの拝火神殿についても、方向をお教えいただけますと助かります。

よろしくお願いいたします。
 
 
  2013/11/15 (Fri) 21:04:10
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様のおっしゃる「色々な可能性」の中には、これがビザンティン様式の走りである可能性も含まれるでしょうか。
さて、写真の撮影方向に関するご質問にお答えします。
キヤーマルス宮殿については、1、2牧目が東から西、それ以降は全て南から北です。
拝火神殿については、1、2枚目が北西から南東、3枚目は通常写真が南東から北東、マウスオン時の写真が南西から北東です。
 
 
  2013/11/16 (Sat) 08:30:29
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   情報ありがとうございます。もうひとつ確認させてください。キヤーマルス宮殿の西側は、東側と同じ、北側は南側と同じ残存状況だと考えてよいでしょうか。

宜しくお願いいたします。
 
 
  2013/11/16 (Sat) 10:00:22
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   全方位の写真を撮っていなかったため、うろ覚えになりますが、航空写真も参考にすると、西側は東側とほぼ同じかむしろ良い状態(?実際どうだったか印象なし)、北側は南側に比べると保存状態が良くない(こちらは印象あり)と思われます。
ところで、ネットで検索していたら、青木健氏が三津間康幸氏と共同で「ダーラーブギルドのマスジェデ・サンギー遺跡の碑文─中世キリスト教ペルシア語碑文と東方シリア教会史」という学会発表を過去にしているらしいことがわかりました。http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/JAECS.records.html
マスジェデ・サンギーに碑文があった(?)とは全く気付きませんでした。元々あったメフル神殿を生かして石窟教会に造り替えたのだとすれば、すんなり理解できる気がします。遺跡の解説板にそのことを書いてほしかったですが。
  2013/11/5 (Tue) 23:25:06
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。チャクチャクの記事拝見しました。本当に凄いロケーションにありますね!興奮しました。あのような場所を洪水が埋め尽くすとはなかなか想像し難いものがあります(見つかりませんでしたが、ネットでこの地域の豪雨の写真がないか探してしまいました)。

幾つか質問があります。ご回答いただければ幸いです。

・ご訪問された時刻はだいたい10時頃だと考えてよいでしょうか。
・「一段も二段も格が落ちる」の次の写真は、西側から東方向を撮影したものと考えてよいでしょうか。
・狼煙台の節の直前の写真は、北東方面から南西方向を撮影したものと考えてよいでしょうか。

よろしくお願いいたします。
 
 
  2013/11/6 (Wed) 00:21:54
[名前] :   バハラム
[URL] :   http://www.geocities.jp/gur_bahram/ir13/ir1308.htm
[コメント] :   zae06141様
こんばんは。洪水の件ですが、いつ起きたとか、浸水被害はどの程度だったとか、もっと詳しいことを聞いてくればよかったと記事を書きながら反省していたところです。
さて、ご質問の件ですが、チャク・チャクで最初の写真を撮ったのが10時15分、最後の写真を撮ったのが11時26分でした。
チャハールターグの写真を撮った方角については、誠にすみませんが、さきほど写真の入れ替え・並べ替えをしたばかりでして、 zae06141様がご覧になった状況と同じかどうかわかりませんので、現在の写真について書かせていただきますね。(もう変更しないつもりです。)
(上から)1・2枚目…北西から南東、6枚目…ほぼ東から西、8枚目…ほぼ西から東、です。
航空写真が自分でも役立ちました。
 
 
  2013/11/6 (Wed) 22:04:00
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   ご回答ありがとうございます。地形を見ると、定期的に豪雨が発生し、流水で浸食されているように見えます。施設は流路を避ける形で建設され、増水時期は陸の孤島になってしまっていたのかも。そうした状況で狼煙台が通信用に活用されたのかも!?などと、かつての状況をあれこれ想像してしまいました。

次回はダーラーブですね。楽しみにしています!
 
 
  2013/11/6 (Wed) 22:30:58
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   そうですね。神殿群は地面より一段高い舞台のような場所に建っています。ほんとうにあの特別な場所を選んだことがよくわかります。あの高さなら、ちょっとやそっとの洪水では浸水しないと思います。
あの環境は本当に想像をかき立てますよね。私はかつてあの谷間に街道が通っていたのではないかと想像しました。コナール・スィヤーフもそうですが、チャハールターグってそういう場所に建っている例が多いように思うんです。谷間なら水も得られたでしょうし、レリーフを彫ろうとしたのも通行人に見せるためではないかと。
残念ながら(?)、ダーラーブに行く前にロスターグ周辺の小遺跡があります。
  2013/10/27 (Sun) 20:26:57
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。早速拝見いたしました。前回の記事を拝見し、イージ周辺の地形を知りたくなっていました。今回の記事がダーラーブに飛んでいたら質問しようと思っていたところなので、途中の地形の描写に希望以上の記載がなされていて、感涙しています。

Google Mapの地形図(等高線が出る図)を参照しますと、東北・南西・南東の3方の峡谷だけが他域への地門となっているように見受けられ、それぞれの地門に要塞があったのかも知れず、前傾Habsも、南西部の地門に相当する可能性もあるのかも知れないと思いました。

ダーラーブは、あれだけ立派なホテルでローマ字の看板もあるのにペルシア語しか情報がないのは勿体ないことですね。昨日本屋にいって、最新版のLonley Planet Iranで東部ファールスがどのくらい情報があるのか確認したところ、私が持っている1998年版よりも情報が減っていて(総頁数も416- 375に)がっかり。。

毎回期待が膨らむ旅行記、次回も楽しみにしています!
 
 
  2013/10/27 (Sun) 21:27:03
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
こんばんは。ありがとうございます。
地形図からの視点は今まで思いつかず、はっとさせられました。そういえば私が通り過ぎた遺跡(橋だと思ったもの)の方角は東北ですね。自信はありませんが、橋の右側に何か建物のようなものも見えた気がします。航空写真ではちょうど陰になって見えない場所だと推測しています。(本当に遺跡だったとすればですが)
地形図で周囲を見ていて気づいたことがあります。チェル・ベルケとボンダッレの泉とを比べると、ボンダッレの方が標高が高いので、ボンダッレからチェル・ベルケに水を引いていたという話はやはり事実だと思いました。
今回ご紹介した遺跡は、zae06141様が作成中の記事に書かれていた「イージからダーラーブの水道」に関係するものではないかとひそかに思っているのですが、いかがでしょう。
 
 
  2013/10/28 (Mon) 22:26:59
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。水道の件、私もご指摘の通りである気がします。早くイージ-ダーラーブ間の道路が全部舗装されて、イージ・ダーラーブ含めた海外からの観光ツアーが盛んになって欲しいと祈る次第です。

それにしても、イージの地形とか観光とか、こんなところで(研究者とか現地に親戚がいるとかではない)普通の日本人が熱心に論じているとは、ご当地の方々、思いもしないでしょうね。。。
 
 
  2013/10/29 (Tue) 21:27:55
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
こんばんは。まったくおっしゃるとおりですね。さもないと、ナグシュ・シャープール・ホテルがつぶれてしまうのではないかと心配です。客室の稼働率低そうでしたから…
本当にそうですね。イージの村人が検索でこのサイトを見つけてくれたら面白いですが。
  2013/10/21 (Mon) 23:53:22
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   2.「From Pasardagae to darab」本にDogan(Doganで検索するとGoogle MapでIjの南西10km地点が出てきます)の東にHabs-e-Isfandiyar(Isfandiyarprison)という城塞があり、そこは「on the crest of a rocky spur,where columns,rock-cut cisterns an other remains of probably Sassanian or early Islamic date」とあります。名前が違うし場所もベルケ城と方向が違いますが、これらの書籍の位置情報が不正確なのは明らかなので、ベルケ城の可能性もありそうですし、シャバーン政権の城塞がイージ周辺には多数あるのかも知れません。

しかし、いづれにしてもバハラム様の洞察の通り、イージは特別な場所だったことがわかり嬉しい収穫であります。
 
 
  2013/10/22 (Tue) 22:06:51
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、
所在地のことはともかく、私にはこの記述はチェル・ベルケのことを言っているとしか思えません。たしか、rock-cut cisternの写真もpanoramioに出ていた気がします。
チェル・ベルケはおそらく地元の人たちが呼んでいる名だと思いますので、Habs-eもありだと思います。たしかにprisonにも見えますしね。チェル・ベルケって城にしては部屋が小分けにされすぎていて使いにくそうに見えるんですよね。
それにしても、ダールルアマーン城がどこにあったのか気になります。
今回、zae06141様に頂いた情報は非常に有益なので、できれば記事本文に追記したいのですが、よろしいでしょうか?
 
 
  2013/10/23 (Wed) 21:52:12
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様、

私の記憶では、イランの地名では、目を見張るような峻厳な崖自体を「XXの監獄」と呼ぶ場所が幾つかあったものと思います(今具体的に出典を引用できません。すみません)。なので、Habsもそれと同じで、監獄ではなかった可能性の方が高いと思います。とはいえ、「ヴィースとラーミーン」か「ホスローとシーリーン」あたりに、崖の上にある監獄の描写が出てきたような記憶もあり、実のところ記事を拝見して最初に連想したのが、これら伝承作品なのです。

どのように引用されるのかわかりませんので、一応全文を記載します。場所は当該書籍のp95です。

Isfandiyar(Isfandiyarprison)
East of Dogan is the ruined fortress of Habs-e Isfandiyar,on the crest of a rocky spur,where columns,rock-cut cisterns an other remains of probably Sassanian or early Islamic date.
 
 
  2013/10/23 (Wed) 22:41:54
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
タフテ・ソレイマーンの近くにあるゼンダーネ・ソレイマーンもそのうちに入るでしょうか。
なるほど。本当に色々と想像をかき立てる遺跡ですね。
全文をご紹介いただき、ありがとうございます。さっそく掲載させていただこうと思います。
これから、ますますヒートアップして暴走していくかもしれませんが、終りまでお付き合い願います。
今回のようにコメントで色々とご指摘いただけると幸いです。
 
 
  2013/10/25 (Fri) 23:10:50
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

すみません。書き間違いがありました。

× Isfandiyar(Isfandiyarprison)
○ Isfandiyar(Isfandiyars Prison)

でした。すみません。また、細かい点で恐縮ですが、昨日の「追記(2013.10.24)」の部分で、「59頁」となっていますが、「95頁」です。

今週末は、「ヴィースとラーミーン」や「アルダシール行伝」とかに登場する似たような地形の描写を少し探してみようかと思っています。ではまた。
 
 
  2013/10/26 (Sat) 17:49:33
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
では、いずれブログの記事になることを期待して。
  2013/10/20 (Sun) 20:51:35
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。イージの記事拝見いたしました。ボンダッレ複合施設なのですね。ササン朝の遺跡は辺鄙な場所に散在している印象があるのですが、複合施設だと考えると納得できるものがあります。ベルケ城にはただただ驚くばかりです。

もしよろしければ2点教えてください。一つはボンダッレの泉の直径です(凡そ2mくらいに見えますが。。)。もう一つはベルケ城の外壁(南西面)の円柱間の凡その距離です。宜しくお願いいたします。
 
 
  2013/10/20 (Sun) 21:24:08
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、こんばんは。お待ちしておりました。
まずボンダッレの泉の直径ですが、運転手のバーバク氏がたまたま写っている写真があり、それと比較すると泉の直径は彼の身長より明らかに大きく、おっしゃる通り、2m強あると思います。
次にベルケ城の方ですが、比較対象物が写った写真がないため、グーグルの航空写真での計測でご勘弁ください。それによると、一番長い南西面の辺長は約110m、円柱間の距離はだいたい約5mと思われます。遺跡の大きさを理解する上でこの情報は重要ですね。記事本文に追記したいと思います。
ところで、私からzae06141様にお聞きしたいのですが、チェル・ベルケについておそらくササン朝時代のもと書きましたが自信があるわけではありません。zae06141様はどのようにお考えでしょうか。また、ファールス本にあの遺跡がどのように書かれているか、もしよろしかったら教えていただけないでしょうか。
 
 
  2013/10/21 (Mon) 23:51:42
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

情報ありがとうございました。残念ながらファールス本には情報はありませんでしたが、関連する情報を幾つか見つけました。

1.Ijは、シャバーンカーラという11-14世紀の地方政権の王都だったそうで、イージにダールルアマーンという城塞を築いたそうです(URLが長いので省略しますが、シャバーンカーラ、ダールルアマーンで検索すると、研究者渡部良子氏のこの政権の論考pdfが見れます)。新規に築城したのか、ササン朝時代の構築物を修築したのか、ベルケ城との関連の有無は不明ですが、可能性はありそうです。小規模政権に一から築城する余力があったのか疑問なので、ササン朝起源という可能性はありそうです(分割します)
 
 
  2013/10/22 (Tue) 21:23:28
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae0614様、大変有益な情報をありがとうございました!
シャバーンカーラ王朝にダールルアマーン城…読んでいて頭がくらくらしそうでした。よりによってイージが都だったとは!しかもササン朝復古主義的な性格があるようですね。
12世紀というとイルハン朝かセルジューク朝ぐらいしか思い浮かびませんが、こうした小王朝が各地でうごめいていたんですね。世界観が広がった気がします。
そういえば、ダーラーブのマスジェデ・サンギーには渡部良子氏の論文にいうシャバーンカーラの宿敵、サルグル朝のアターベク、Sad b.Zangiが関わっているようですよ。
 
 
  2013/10/22 (Tue) 22:05:21
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

昨夜の後半、スレッドを間違えて投稿してしまいました。申し訳ありません。

私も世界観が広まりました。サルグル朝は記号として書籍で見かけてはいたものの、初めて頭にちゃんと収まりました。イージ王国王都として観光売り出ししないのでしょうか。。。

それにしてもファールス東部行、進むにつれて毎回驚きが大きくなります。奥津城には果たして何があるのか。。。次回も楽しみにしています!
 
 
  2013/10/22 (Tue) 22:16:28
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
お気になさらずに。
まったく同感です。「イランのマチュピチュ」ともし言い出したとしても許せます。
  2013/9/29 (Sun) 19:57:18
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。アルダシール・ファッラフ訪問記、今回も感動しました。いつもより大きい写真サイズにインパクトの大きさが伝わってきます。塔のアーチ突起らしき部分やアナーヒター寺院に似た遺跡の写真は本当に貴重だと思います。12個のベンチらしき石がならんでいる遺構はなんなのでしょうか。。。ところで今回も一つ質問させてください。外周の土塁の高さと幅はどのくらいなのでしょうか。
よろしくお願いいたします。
 
 
  2013/9/29 (Sun) 20:37:03
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
こんばんは。ありがとうございます。コメントをいただくと次の記事への励みになります。
さて、12個の石が並んだ遺構ですが、このサイト(http://www.livius.org/fa-fn/firuzabad/firuzabad_city.html)ではbathsと書いていますが、どうでしょうね。水路と取水口らしきものがあるので水に関係するものでしょうが、あの形といい、謎というほかありませんね。あの遺構は遺跡管理事務所の敷地にありました。
それから、土塁の大きさについては私の感覚ですみませんが、高さは最大で4m、幅は裾部分で6~7mといったところでしょうか。現代までよく残ったものですね。
 
 
  2013/9/30 (Mon) 23:39:36
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   ありがとうございます。参考になりました。
今後も楽しみにしています!
  2013/9/24 (Tue) 22:32:47
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。フィルザバードとコナル・スィヤーフの記事拝見いたしました。青木健氏の著書の当該部分は私も読んでいるのですが、こんなに凄いところだとは思ってもいませんでした!感激しました。また、付近のキャラバンサライは、恐らく青木氏も訪れていないようですし、もしかしたらこれまで写真撮影している人自体、殆どいないのではないでしょうか。本当に貴重な情報だと思います。もし可能であれば、このキャラバンサライの大体のサイズをお教えいただくことは可能でしょうか。

※ところで、以前私は「874年唐の都長安で死去したサーサーン貴族スーレーン家の末裔の墓誌」という記事を書いたのですが、先週図書館で伊藤義教氏が1964年に書いた「西安出土漢蕃合壁墓誌蕃文解読記」(『西南アジア研究』13号(p17-34)」という論考を偶然見つけ読みました。世界で最初に当該碑文のパフラヴィー語部分の解読をしたのは伊藤氏なのだそうです。私の記事は今となっては駄文となってしまいましたが、推理小説の解決編を読めたような感じで印象深いものがありました。
 
 
  2013/9/25 (Wed) 00:10:53
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
こんばんは。さっそくコメントをいただきありがとうございます。
コナル・スィヤーフ、なかなかすごいでしょう?崩れる前はどんな様子だったのだろうと思います。
さて、お問い合わせの件ですが、あのキャラバンサライは正方形で一辺が30mくらいだと思います。たしかにあの写真を事前に見た覚えがありません。あんな素っ気ない(?)キャラバンサライを見るのも初めてですし。
記事を修正されたのですね。私は今見ても決して駄文だとは思いませんが。伊藤義教氏の論文をたまたま見つけられたというのもすごいことではないですか。なんだか偶然ではないみたいですね。
 
 
  2013/9/25 (Wed) 23:01:08
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

キャラバンサライの件、ご返信ありがとうございます!大変参考になる情報です。

伊藤氏の記事の件ですが、実は最近ちくま文庫版『アヴェスター』を読み、巻末に伊藤氏の論文一覧が掲載されているのを知り、そこに記載されていた『西南アジア研究』 Vol7(1961年)掲載の伊藤氏の「アルトゥル・クリステンセンの人と業績」を読みに図書館に行ったところ、『西南アジア研究』は年1程度の発行であまり冊数も無いことを知り、全巻目次をチェックしていったところ、vol13に碑文の論考を見つけた次第なのです。。。

旅行記、今後の分も楽しみにしています!
  2013/9/2 (Mon) 21:17:10
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   当掲示板へお越しのみなさま

管理人です。
いつも当サイトをご愛顧いただき、ありがとうございます。
ツイッターでもつぶやいておりましたが、8月20日から27日までの8日間、5度目となるイランへ行ってきました。
今回の行先は、ファールス州の州都シーラーズから280kmほど南東にあるダーラーブという町です。研究者や古代史マニア以外の方はおそらく全くご存知ないと思いますが、この地域には素晴らしい歴史遺産(遺跡)がたくさんあります。
今までの旅よりもさらに遺跡志向な内容になってしまいましたが、すぐにでも旅行記を書き始めたい気持ちです。
ご期待ください。
  2013/8/30 (Fri) 22:41:00
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。

今月松本清張「火の路」を読みました。バラハム様の日本の遺跡と遺物の記事は、主人公の女性が数十年後に執筆した論文であるかのように感じました。松本清張氏がご存命であれば、是非バハラム様の記事の感想をお聞きしたいところです。氏は感激するのではないかと思います。

ではまた。
 
 
  2013/8/31 (Sat) 23:19:47
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
こんばんは。
いや~、さすがにそれは誉めすぎだと思います。
日本にああいう謎の遺跡があると知ったのは、まさに松本清張の著作を読んだことがきっかけですから。
でも、いつもありがとうございます。
 
 
  2013/9/1 (Sun) 01:12:01
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   いや、本当です。「火の路」の海津氏は、松本清張氏ご自身を仮託されている部分があるものと思います。女性学者の高須氏は梅津氏の魂上の師弟で、バハラム様は、高須氏の魂上の師弟という感じでしょうか。特にそう思えるのは、ちゃんと清張氏の見解と異なる部分は違うと思うと述べているところです。私は清張氏のペルシア関連文章を読むのは初めてなのですが、様々なメディアを通じて、氏の主張は既知のものとなっていたと感じました。それらの多くの扱い方や感想は、清張氏(や伊藤氏)の主張の範囲内で終わっていて、そこから先に踏み込んでいるものを見たのは、バハラム様の記事が初めてではないかと思います。清張氏(や架空の存在ではあっても高須氏も)は、発表当時であればご自身の主張が受け入れられただけで満足したかも知れませんが、今は、消化した上でその先を行ってくれる人に感激するのではないでしょうか。
 
 
  2013/9/2 (Mon) 20:23:17
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   ありがとうございます。
正直を言えば、あそこに書いてある以上のことを突っ込まれるともう何も言えなくなってしまうのですが…
ちょっとイランに傾きすぎているように思えたので、そこから離れる意識はあったかもしれません。
でも、史実が松本清張氏の論文どおりだったらいいのにというのが本心です。
青木健氏も松本氏や伊藤氏の説は新たな検証が必要だと著書の中で述べておられました。高須さんや海津さんのような人が本当に現れてほしいですね。
  2013/7/28 (Sun) 02:24:27
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

何度もすみません。偶然にエイワン・イ・ケルカの最近の写真を見つけました。Iwan-e Karkhehで出てきました。CAISの遺跡写真のコーナーではなく、ニュースレターのコーナーにありました。GWに少し時間をかけて探した時には出てこなかったのに、本日は偶然出くわしました。
http://www.cais-soas.com/News/2010/december2010/13-12.htm
これを見ると、1979年以前は宮殿の壁が残っていたようですが、最近と思われる写真では崩壊しているように見えます。

お騒がせしました。
 
 
  2013/7/28 (Sun) 21:58:21
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様
情報をありがとうございます。私も記事を読みました。
でも、本当に崩壊してしまったのでしょうか。昔の写真と今の写真とでは写している場所が違うように見えます。
ただ、イラン・イラク戦争もありましたからね。あの丁寧なレンガ積の壁がもう消失してしまったのだとしたら、惜しいことです。
  2013/7/28 (Sun) 01:48:38
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :    エイワン・エ・ケルカはGoogle Mapで見る限りスーサから25kmしか離れていないので、距離だけを考えると、スーサ等のついでに廻れる範囲内と言えそうです。唯一ネット上にある遺跡の建築物らしき写真が以下のpdfの一番下にあるのですが、不鮮明かつ解説も簡単すぎ、調査のし甲斐がありそうな感じです。
http://www.mom.fr/mecquenem/panier/export/annee/1934

ご参考になれば幸いです。
  2013/7/28 (Sun) 01:47:45
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様、

こんばんは。突然ですが、以前フーゼスタンへの旅行を検討中と仰っていた気がします。もしかして今既に行ってらっしゃいますか?それとも近々かご予定されていますでしょうか?実は今晩ホラズム遺跡を調べていたところ、
http://www.karakalpak.com/ancqurgashin.html
という凄いサイトを見つけました(既にご存知かも知れません)。これまで古代ホラズムの遺跡の保存状況を甘く見ていたので、保存状況の良さに驚き、同時に、ネット上で写真が見つからない、スーサ近郊のサーサーン朝の都市遺構エイワン・エ・ケルカ(Eiwan-é- Kerkha、Google Map座標32.331963,48.123722で遺構が明確に見て取れます)も、案外ちゃんとした遺跡が残っているのかも、と思い、ご旅行の参考になるかもしれないと思い、ご連絡してみた次第です(文字数制限につき分割します)。
 
 
  2013/7/28 (Sun) 21:24:35
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、こんばんは。
残念ながら日本におります。フーゼスタンには行ってみたいですが、あの地方の夏は本当に殺人的な暑さらしいですね?私の場合、海外に行けるとしたら夏休みだけですので、フーゼスタンに行く機会は当分ないだろうと思っています。
でも、ご親切に情報をどうもありがとうございます。
ご紹介いただいたサイトは知りませんでした。ホラズムに遺跡があれほどあるとは知りませんでしたし、サイトがきちんと整理されているのもすごいですよね。
グーグルマップ恐るべしですね。グーグルマップで新たな遺跡を発見、なんてことはさすがにないんでしょうけど。
  2013/5/2 (Thu) 23:59:44
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様、こんばんは。

タング・エ・チャク・チャクの件です。青木健著『ゾロアスター教の興亡』のp156-7に、タンゲ・チャクチャクの写真と解説を見つけました。青木氏は2005年8月10日に訪れたと記載していて、写真を見ても、ほぼこの場所で間違いは無いように思えます。Google画像検索で出てくる写真も2006年のものですから、現存している可能性は高いものと思う次第です。青木氏はダーラーブギルドから東南75キロ地点と記載しています。この青木本はp154-8までダーラーブギルド周辺の遺跡を解説していて、白黒ながら写真も9枚掲載されています。p176には、本書掲載の青木氏が訪問したペルシア州の遺跡マップも掲載されていて、これにもタンゲ・チャクチャクの場所が記載されていました。見直すと色々発見がありそうなので、今週末は青木本をざっと見直してみようと思っている次第です。ではまた。
 
 
  2013/5/3 (Fri) 10:22:27
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、こんにちは。
またまた有益な情報をありがとうございます。結局のところ、私が大して文献を読んでいないということが露呈してしまったようです。青木氏の本は何冊か読んでいますが、ご紹介いただいた本はまだ読んでいませんでした。まさかこの中に遺跡情報があったとは…。
専門的なテーマなのに何だか面白く読めてしまう、これは青木氏の筆力ですね。そういえば、アマゾンに書評を書いておられますね。
私も図書館に行くか、それともいっそ買ってしまうかして読んでみようと思います。
 
 
  2013/5/3 (Fri) 22:37:22
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :    こんばんは。私の方こそ、アマゾンにレビューを書いておきながら、ちゃんと読んでなかったことが露呈してしまいました。。。。実のところ、レビューを書いた当時一応ざっとは読んだのですが、ハードルが高くて消化できなかったのです。しかし、今回価値を再認識しました。高い本ではありますが、今回のような件を通して少しづつ役立っていって10年くらいかかって減価償却するような、かむほど美味しく味わえそうな本である気がしました(私のブログの方にもコメントいただいているようなので、そちらにも返信します)ではまた。
  2013/2/14 (Thu) 22:16:40
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様

こんばんは。Google Mapを見てみました。確かに筋が見えました。最近のGoogle Mapは人気無いところまで結構な解像度ですね。これでまた、数年前は解像度が低くて諦めた遺跡の探索にリトライしなくちゃならないような気になってきました。

 今回再度熊山遺跡の記事を拝読しまして、幾つも発見がありました。最初に読んだ時は、「日本にこんな遺跡があるんだ!」という情報で頭が一杯になり、場所の探索まで思いつかなかったのですが、再読時は頭に空きスペースができていたようで、「そういえば場所はどこなのだろう」と思いつきました。最近は情報の洪水に、一度読んだ文献や資料の再読はなかなかしてられないのですが、再読の重要性を今回再認識した次第です。

 更に、今回はじめてタジキスタン共和国観光局サイトを見て、6世紀以前に遡る史跡が割りとあることを知り、タジクの遺跡もそのうちローラー調査したいと思った次第です。

 今後の記事も楽しみにしております。
 
 
  2013/2/14 (Thu) 23:30:25
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様

こんばんは。書き込みありがとうございます。
たしかにzae06141様のサイトやブログは扱う情報の量が半端ではないので、無理もありませんね。
タジクも案外、観光資源がありそうな感じですよね。周辺の~スタン諸国に負けないよう、インフラ整備や観光振興をがんばってもらいたいものです。
  2013/2/7 (Thu) 13:12:44
[名前] :   adachi
[URL] :   
[コメント] :   はじめまして。
私の苗字は「アダチ」なのですが、
乾豆達阿と関わりがあると思われますか?

私自身は関係あると思っていて(笑)、
勝手に自分のルーツはアフガニスタンなのだな~、
なんて妄想しております。

以前、明日香村を訪れた際に、
初めてなのに「あれれ?なんだか知った土地に思える」と感じて、
導かれるように飛鳥坐神社を訪れました。

飛鳥坐神社の宮司をなさっている飛鳥家は、
折口信夫の親戚関係だそうです。
折口信夫といえば「マレビト」。
このマレビトは、つまり達阿のことなのでしょうか。

話がそれましたが(ごめんなさい)。。。
全国の安達さん、足立さん、阿立さん、皆さん、
乾豆達阿のことを知ったらどう思うのかしら。
私みたいに「あれっ、これは…」と思うでしょうか(笑)?
 
 
  2013/2/7 (Thu) 21:06:49
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   惜しいですね。ダチアが転じてアダチというのはちと苦しいでしょう。阿立という字をあてる人にはまだ会ったことがありませんが。ご先祖がもし中央アジア出身だったらそれこそシルクロードのロマンですね。
  2012/8/31 (Fri) 00:10:15
[名前] :   Mieko
[URL] :   
[コメント] :   今まで、様々な方のイラン旅行の感想をネットにて拝読してまいりましたが、今回、あまりの素晴らしさに感動したのがイラン旅行を含む貴殿の旅日記です。
私は10年ほど前にイランへ2度まいりました。貴殿のイランの歴史・伝統・文化・政治・芸術・生活に関して深い造詣と愛情を持って書かれた旅日記を拝見し、非常に感動いたしました。自分は多くのことを知らずしてイランを訪れたということを今になって実感しています。
私もまた、近いうちに大好きなイランを訪れたいと、貴殿の旅日記を拝読させていただき、改めて思う次第です。<悠久のペルシア>という表現は実に的を得ていると私は思います。貴殿の素晴らしい旅の記録、ありがとうございます。
 
 
  2012/9/1 (Sat) 10:01:54
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   Mieko様、当サイトへご訪問いただき、また、望外なるお褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。感動とまでおっしゃっていただいて、作者も感動しました。このような嬉しいコメントを頂けると、頑張ってサイトを作った労力が報われるというものです。
「多くのことを知らずして訪れた」なんてことはないと思います。だって、予備知識なしでもイランは充分楽しいですから。私も初めて行った2004年はそうでした。以来、現代イランに関する情報の多くは、あるイラン在住の方のブログから得ています。ここで、今までの感謝の意を込めて、ご紹介させていただきます。http://sarasaya.exblog.jp/
国際情勢が少し気になりますが、5度目のイラン旅行を実現したいと思っているところです。Mieko様も是非!
  2012/3/25 (Sun) 23:51:27
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   こんばんは。イスタンブール編を拝見しました。今回も非常に参考になり、また楽しめました。途中で引き返す予定が、遺跡を見ているうちに段々引き返せなくなってしまったり、迷ってもいいと思っていると迷わなかったり、本当に旅行の雰囲気が匂い立つような文章に取り込まれました。ビザンティンをテーマにイスタンブルを旅行する人は(日本人では)あまり多くはないと思うので、非常に参考になります!「イスタンブール―三つの顔をもつ帝都」を片手に拝見しました。私は、末尾にご記載のあった益田朋幸氏の「地中海紀行 ビザンティンでいこう! 」を読んで以来、いつの日か中世ビザンツ史跡をテーマにイスタンブルへ行きたいと思っているのですが、「三つの顔をもつ帝都」を読んでちゃんと訪問先を整理してからなどと思いつつ、「三つの顔をもつ帝都」でさえなかなか読み終わらない状況なのですが。。。

 今後の旅行記や、新たなるご旅行も期待しております。
 
 
  2012/3/28 (Wed) 00:08:59
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、今回もコメントありがとうございます。自分にとっても読んでくれる人にとっても旅を追体験できるような内容にしたいと思っていますので、特にうれしいお言葉でした。
それに、zae06141様ならビザンティンにきっと反応してくださるだろうと思っていました。
私も『三つの顔をもつ帝都』を読んでみたくなりました。イスタンブールにはビザンティン関係の遺跡がまだまだ人知れず残っているような気がするのです。
私は、次に行く機会があれば、まず城壁歩きの続きをしたいですね。
  2012/2/23 (Thu) 22:44:28
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   (すいません。ちょっと長くなってしまったの2回に分けました)

旅行記、印象に残るフレーズがいくつもありました。「訪れる前と後で、これほど劇的に印象が変わる国はそう多くない」「宗教国家にも普通の生活がある」まさにその通りだと思います。子供が笑顔で走りまわり、お年寄りが道端の椅子に座ってうとうとし、遊園地で乗り物に乗る子供を見る親たち。こういう社会(誤解を招くので国家や政府とは書きませんが)には、必ず意味があるのだと思うのです。

今後も資料として何度も拝見することになると思います。できれば、トルコ、ウズベク、イエメン旅行記も是非読んでみたと思いました。ではまた。
 
 
  2012/2/25 (Sat) 19:57:30
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   ありがとうございます。
サイト作りは楽しくもありますが、なかなかどうして骨が折れる作業でもありますよね。そういう意味でも、zae06141さんのサイトはすごいと思うのです。
うれしいお言葉をいただいたので、それを励みに、気持ちを奮い立たせてみたいと思います。
  2012/2/23 (Thu) 22:43:48
[名前] :   zae06141
[URL] :   
[コメント] :   バハラム様、こんばんは。全記事拝読いたしました。物凄く参考になり、啓発されました。

いつか行きたい場所リストや調べる予定リストに多数追加しました。ダレイオスがダニエル記に登場していることを知らなかったので、週末図書館で読んでみる予定です。東京国立博物館の伝安閑天皇陵出土の円形ガラス碗は私も見ているのですが、自分はいったい何を見てきたのだと思いました。ササン朝のガラス碗は出土地が特定されていないという古い説しか知らなかったので、古墳が発見されているのを知り、古墳の写真や発掘報告書など興味の種が増えて嬉しくて仕方がありません。中国出土のガラス碗も知らなかったのでこれも調査。ああ、週末が待ち遠しい!!
 
 
  2012/2/25 (Sat) 19:41:07
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   zae06141様、ゲストブックへのご投稿と望外なるお褒めの言葉をいただきまして、どうもありがとうございました。正直、ここまで評価していただけるとは思っておりませんでした。
それにしても、本当に研究熱心でいらっしゃいますね。このゲストブックを読んでくれる方にもzae06141さんのサイトを見てもらいたいので、紹介させてもらいます。
http://heartland.geocities.jp/zae06141/
  2012/1/10 (Tue) 23:44:33
[名前] :   内田
[URL] :   http://4travel.jp/traveler/captainfuture/profile/
[コメント] :   初めまして。
先月12月にイランのエスファハン、トゥデシュク村、ヤズド、テヘランの2週間一人旅から戻って来た者です。
出発前いろいろと下調べをしていったのですが、こちらのバハラムさんのHPには大変お世話になりました。
いろいろとノートにメモしていき、特にヤズド編ではHPをコピーさせて頂き、そのままガイドブックとして活用させて頂きました。

その中の特に「12エマームの霊廟」と隣りの「アレクサンダーの牢獄」は、元は一対の拝火神殿だったのではないかというバハラムさんならではの興味深い話しを始め、ジャーメ・モスクの蜂の巣形タイルのゆえん等など、ああ、ここがそうなのか~などと、HPの内容と実物とを一つ一つ確認し、関心しながら回っておりました。
お陰さまで充実した旅にすることができました。
ありがとうございました。

イランではどこに行っても親切にされ、見どころも沢山あり、バハラムさんがイランにハマったのも分かるような気がします。
イランは一度行くと、また行きたくなりますね。
また旅記の続編、楽しみにしております。
 
 
  2012/1/11 (Wed) 22:25:55
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   内田様、初めまして。ゲストブックへのご投稿ありがとうございます。
このホームページの情報が旅に役立ったとのこと。作者としてうれしい限りです。苦労してホームページを作った甲斐がありました。
内田さんの4travelのページも早速見せてもらいましたよ。私よりもよっぽどディープな旅をされていて驚きました。写真もすごい量ですし。
すれ違う人々に声をかけられ、親切にされ…これこそイランの旅ですね。
内田さんのアルバム、また見に行きます。
  2011/5/8 (Sun) 21:08:59
[名前] :   綾虎
[URL] :   
[コメント] :   旅行記楽しませてもらいました。
イランいいですよね。私もイランが好きで5回訪れました。
何回行ってもイラン人の優しさがたまりません。
 
 
  2011/5/8 (Sun) 22:28:26
[名前] :   管理人
[URL] :   
[コメント] :   綾虎さま
書き込みどうもありがとうございます。
5回はすごいですね!私はまだ4回です。(そのうち、2010年編がアップされるはずです)
何回でも行きたくなる国ですね。
綾虎さまも色々なエピソードをお持ちのようです。ブログ等をお持ちでしたら、ぜひこの場でURLをご紹介ください。またのお越しをお待ちしています。
それにしても、「綾虎」とは、うまい名前を付けられました。
  2011/5/4 (Wed) 14:27:21
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   管理人です。
『旅の空』を開設してから1年が過ぎましたが、一体、どれほどの方がこのサイトをご覧いただいたのでしょう。どうもカウンターの数字はあまりあてにならないようです。管理人が仕上がりをチェックする際にもカウントされてしまいますので。
さて、3月11日の東北地方太平洋沖地震は私にとっても大変ショックで、しばらくサイトを更新する気になりませんでした。私も何かしなければと思い、G.W.に出かける予定だった国内旅行の予算を全額、被災地への義捐金に充てました。災害ボランティアまでは踏み出せなかったのですが…
過剰な自粛は良くないということですし、気持ちを切り替えて、サイトの更新を再開したいと思います。
  2010/2/15 (Mon) 18:05:11
[名前] :   うる
[URL] :   
[コメント] :   待ってました!
イランのモスクのタイル1番好きだ、美しいと写真見ながら思い出しました。
あの写真は、茶畑に富士山に見えるなぁ。
バハラムさんは本当に遺跡が好きですね。ペルセポリスのウキウキ感が伝わります。
ヤズドも行ってないし、次のイラン旅行の参考にメモさせてもらいまっす。
 
 
  2010/2/15 (Mon) 23:55:32
[名前] :   バハラム
[URL] :   
[コメント] :   うる様、さっそくの投稿ありがとうございます。
よくぞ、あの仕掛けに気づいてくださいました。
そうですよね。あれ、富士山に見えますよね。
イランって、思わぬところで日本のものに出会うんです。
2007、2009年篇では、遺跡好きがさらに炸裂しますので、ご期待ください。
  
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