旅の空

インドネシア 2015

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初・東南アジア

路線変更

2015年7月19日、少し早めの夏休みを取った僕は、午前11時のガルーダ・インドネシア航空881便で成田空港を発った。ジャワ島とバリ島を巡る8日間の旅だ。

ほぼ10年間、夏休みに中近東ばかりを旅してきた。古代オリエントの歴史や遺跡が好きとはいえ、趣向が偏り過ぎているとは感じていた。一番行きたかった遺跡にはもう行ってしまった。行ってみたい国はまだあるが、「アラブの春」の後に起こった内戦が続いており、観光旅行どころではなくなってしまった。ここで少し目先を変える必要があると思った。

行先を悩んだ末、目に留まったのがインドネシアである。南の島にはもともと興味はあった。それに何より、日本から直行便で8時間足らずの飛行時間、時差も最大で2時間と、乗り継ぎ便利用で下手をすると十数時間もかかる中近東に比べるとはるかに楽なのである。

といっても、インドネシアもまたイスラム教徒が人口の大多数を占めるれっきとしたイスラム圏であり、今回もボロブドゥール、プランバナンといった巨大遺跡がお目当てであったことからすれば、結局、今までの路線からさほど外れてはいなかったかもしれない。

今回、航空券と宿とジャワ島での手配をエス・ティー・ワールドに、バリ島での手配をバリ・チリに依頼した。

GA255便

飛行機は現地時間の17時半頃、バリ島デンパサールのングラ・ライ空港に着陸した。バリ島と日本の時差はたった1時間である。折しも、バリ島などの主要空港からインドネシアへ入国する外国人観光客に対してはビザと入国カードが免除されることになって、渡りに船といったところだ。

まず、ボロブドゥール遺跡のあるジャワ島への国内線を乗り継ぐため、入国審査を済ませ、機内預け荷物を一旦、受け取った後に空港を出て、国内線乗り場へ向かう。意外にも蒸し暑くない。今は乾期だからだ。

国内線の空港はかなり離れた場所にある。500メートルも歩いたように感じられた。案内表示に従って進んだものの、途中で方向を間違えたかと不安にさせる。

ジャワ島ジョグジャカルタ行きの便は19時15分に出発予定である。たかだか30分のフライトで食事が出るはずはないから、空港内のレストランで夕食を済ませた。

搭乗口付近で待っていたが、出発予定時刻が近づいても一向にゲートが開く気配がない。まあ、遅延がない方が珍しい。そう思いながらも念のため発着案内表示を見て青くなった。ジョグジャカルタ便の搭乗口が、チェックインの時に案内された搭乗口と違っていたのである。係員が僕の搭乗券に手書きした搭乗口が間違っていたか、途中で搭乗口の変更を知らせるアナウンスに気付かなかったかのどちらかだ。表示された行先がジャカルタになっているのは気付いていたが、搭乗口を確認に行ったのが搭乗開始予定時刻よりかなり早い時間だったので、てっきりジョグジャカルタ便の前にジャカルタ便が出発するものと思い込んでいたのだ。正しい搭乗口へと走った。

慌てて駆けつけた僕を見ると、搭乗口の係員はすぐに事情を察して、僕を階下へと連れて行った。少し待つと搭乗用のバスがやって来た。せめてもの救いは、僕のように搭乗時間に遅れた乗客が他にもいたことだった。

危うく置いて行かれるところだった。座席についてからも生きた心地がしなかったが、飛行機が離陸したのはさらに1時間近くも後だった。

何とも幸先の良くない出だしである。

マノハラ・ホテルへ

ジョグジャカルタの空港を出たところで現地ガイドの出迎えを受ける。インドネシアには日本語ガイドが大勢いるし、日本円も現地で両替できる。そういう旅行環境の良さも魅力である。

ボロブドゥール遺跡のすぐ近くにあるマノハラというホテルに向かう。ジョグジャカルタ市街から北東へ約40キロの距離である。夜の帳が下りた町のどこからか、イスラム圏ではお馴染みのアザーンが響く。聞けば、ガイドのブディーさんも運転手のアフマドさんもムスリムだという。そして折悪しく、ちょうどラマダン明けの休暇と重なっており、インドネシアでも圧倒的多数を占めるイスラム教徒が一斉に旅行へと繰り出すために、国内の観光名所と主要道路の大混雑は必至であるという。

マノハラ・ホテルへと向かう道中で早速、この大渋滞に捉まった。ある地点から車列がほとんど進まなくなる。しかし、後から後からやって来るバイクの大群は、車と車の間を縦横無尽にすり抜けていく。インドネシアは日本と同じ右ハンドル、左側通行の国である。中近東諸国に比べれば運転マナーも相当マシだ。しかし、日本人がインドネシアでバイクと接触事故を起こすことなく車を運転するのは不可能に思える。

いつの間にかすっかり眠り込んでいた。車窓を見渡せば、色とりどりの町の明かりはもはや消え失せ、ただ暗闇が広がるばかり。山間に来たようだ。マノハラ・ホテルに着いたときにはもうは午前零時を回っていた。