旅の空

イランの旅 2004

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テヘラン

きっかけ

2004年の夏休み、久々に海外旅行へ行こうと思い立ったとき、ある旅行会社の新聞広告が目にとまった。『華麗なるペルシア紀行~イラン8日間の旅』。
イランと聞いて思い浮かべるのは、宗教家が最高指導者をしている国、イスラム革命、イラン・イラク戦争、危なくて怖そうな国、そもそも外国人が旅行できる国? その程度の認識しかなかったのである。
伏線はあった。一つは、高校時代に好きだった世界史。オリエント史の中でも、特に、アケメネス朝、ササン朝の古代ペルシア史は好きで、本も読んでいた。
もう一つは、『運動靴と赤い金魚』というイラン映画。日本との違いよりは、むしろ、似たところが印象に残った。例えば、義理人情のような心情。宗教国家にも普通の生活があるんだということも。
旅行会社がパッケージツアーを募集するくらいだから、危険ということはないんじゃないか。
世界史と映画、この2つがなかったらイランという国を旅することは一生なかったと思う。

イランへ

2004年8月9日、イラン航空801便で成田空港を飛び立った。イラン航空は、経済制裁の影響で古い機体を使い続けているというので、全く不安がなかったというと嘘になるが、フライトは終始快適だった。特に、離着陸が大変スムーズだった。
ソウルを経由し、飛行時間は12時間ぐらいだったろうか。夜11時近くになって、ようやく首都テヘランの上空に来た。
着陸態勢に入った機内の窓から、点々と広がる街の白い明かりが見えた。一直線に伸びる幹線道路には、遅い時間なのに、まだ多くの車が走っている。
上空から眺めるテヘランの夜景は、日本に比べれば地味だけど、予想に反して、ごく現代的な都会だった。

入国

飛行機がテヘランのメヘラバード空港に無事着陸すると、里帰りの在日イラン人たちの間で拍手と歓声が沸き起こった。
空港の建物も免税店も特に変わった様子はなかったが、入国審査の列に並ぶと、係官はみな、頭からすっぽり黒い被り物をした女性たちだった。初めて、イスラムの国に入ったという実感が湧いてくる。順番を待っている間、隣の列に並んでいた年配のイラン人男性がピスタチオをくれた。
パスポートとビザの簡単なチェックを受けただけで、拍子抜けするほどあっけなく入国ゲートを通過した。
ゲートを出たところで、ガイドのアミールさんが我々一行を出迎えてくれた。荷物を受け取り、両替を済ませ、空港出口まで進んで驚いた。深夜だというのに、出口の柵に、子供から大人まで、黒山の人だかりができているではないか。家族や知人を迎えに来たらしい。
空港の建物を出たとき、これが、あの悠久のペルシアに刻む第一歩だと思った。この国の匂いを脳裏に焼き付けようと深呼吸してみる。ガソリンの臭いがした。夜だからなのか、意外に涼しかった。
バスに乗り込んでホテルへと向かう途中、反対側の車線は、逆に空港へと向かう車の列がずっと続いていた。随分、夜遅くまで外に人がいるなあという印象を持った。
ホテルの部屋に入り、シャワーを浴び、明日の準備を終えてようやくベッドに入ったときには午前2時を回っていた。明日は(今日は)、午前5時半にホテルを出発。国内線のフライトの都合とはいえ、なかなか酷いスケジュールである。