旅の空

イランの旅 2004

シーラーズ

シーラーズへ  Shiraz

テヘラン発午前6時40分のイラン航空国内線に乗って、シーラーズの空港に到着したのが8時過ぎ。
テヘランでもそうだったが、外国人は目立つようで、どこにいても視線を浴びる気がする。空港を出たロータリーに、婚礼衣装を着た新郎新婦がいた。
待っていた大型バスに乗り込む。明るい、落ち着いた感じのする街だ。
車窓から雄大な岩山と、乾いた地面、土色の家並みが次々と見えてくる。日本とはまるで違う風景に目を見張った。
ある街角で、大人たちが集まってつかみ合いの喧嘩をしている光景を見た。
市街地は至るところに芝生があり、麦藁帽を被った庭師たちがホースで丹念に水をやっていた。
シーラーズ郊外シーラーズアリー・エブネ・ハムゼ聖廟

アリー・エブネ・ハムゼ聖廟  Emamzade-ye 'Ali Ebn-e Hamze

しばらくすると、鮮やかな水色のタマネギ形ドームが見えてきた。最初の訪問先、アリー・エブネ・ハムゼ聖廟だ。
聖廟の門をくぐると、中庭に出た。周囲に木が植えてあり、中央には池もある。小さな公園のようだった。
ドームの中に入ると、全面鏡張りの内部に度肝を抜かれる。聖廟の中には、お祈りをする人や熱心に何かの本を読む子供たちがいた。廟の片隅に、モフルという、小さな丸い陶器がたくさん入った壷が置いてある。シーア派の人々は、礼拝の時、地面や床に置いたモフルに額をつけるのだという。
廟を出て、中庭の床に墓標が敷き詰められていることに気づいた。その下には死者を埋葬している。
外国人の団体に興味を持った小さな女の子3人が、少し離れたところからずっとこちらを見ている。我々が聖廟を去る時も、門に隠れてこちらを見ていた。
アリー・エブネ・ハムゼ聖廟Emamzade-ye 'Ali Ebn-e Hamzeアリー・エブネ・ハムゼ聖廟

エラム庭園  Bagh-e Eram

エラム庭園Bagh-e Eramエラム庭園
エラムとは「地上の楽園」。ぎっしりと植え込まれた花と緑が、水やオアシスへの強い思いを感じさせる。
木立が、園内の所々に濃い影を落としている。暑さと乾燥を忘れさせてくれるひと時。
エラム庭園

ハーフェズ廟  Aramgah-e Hafez

シーラーズ出身の詩人ハーフェズの廟。両側に糸杉が立ち並ぶ長い参道の先に神殿風の回廊がある。回廊への階段を上ると、中庭とその奥にある東屋風の廟が見えてくる。
東屋の下には大理石でできた詩人の棺が置いてあり、彼の詩が彫られている。
近くの小学生だろうか。小さな女の子たちが見学に来ていた。頭巾のような白い被り物姿がかわいい。
廟を囲む塀はところどころが日陰になっていて、壁の窪みに腰掛けて涼んでいる人たちがいた。チャイハネがあったのに、時間がなくて行けなかった。
中を歩いていると、ペルシャ湾岸の都市、アフヴァーズから来た英語教師という男性に声をかけられた。奥さんと子供を連れている。夏のペルシャ湾岸は気温50℃を超えるとガイドブックに書いてあった。ここも35℃は優に超えていると思うが、そういう場所に暮らしている人からすれば、ここは充分、避暑地といえるだろう。一緒に写真に収まってほしいと頼まれた。
廟の前の歩道で、「インコ占い」をしている少年がいた。腕に乗せたインコにクジを引かせる占いで、この町の名物だとか。
ハーフェズ廟Hafeziyeハーフェズ廟

サアディー廟  Aramgah-e Sa'di

同じくシーラーズ出身の詩人、サアディーの廟。ハーフェズ廟とはまた違って、広漠としたところにある。参道が果てしなく長い。糸杉の木立に囲まれた廟が遠くに小さく見える。参道一帯は、花と緑がふんだんにあしらわれている。周囲の光景とは対象的だ。ひしめく家々から背後の禿山まで、見渡す限り乾いた土色。そんな中で、廟の敷地内だけは、不自然なくらいに水気に満ちている。
地下に降りる階段を下りてチャイハネに入った。部屋の中央部は吹き抜けのようになっている。低い柵越しに下をのぞくと、そこは、魚が泳ぐ井戸(池?)だった。ここで、観光に来ていたイラン人男性2人組から親しげに話しかけられ、ツアーメンバーの人たちと一緒にお互いのカメラで記念写真を撮った。
帰国後、写真の整理をしていて気付いたのだが、このとき一緒に写真を撮った二人組は、我々がハーフェズ廟を訪れたときにちょうど居合わせたのだ。ハーフェズ廟で撮った写真に彼らが写っていた。
サアディー廟:周囲の風景Sa'diyeサアディー廟

キャリム・ハーン城塞  Arg-e Karim Khan

昼食前にキャリム・ハーン城塞に立ち寄った。城の四隅に丸い塔が付いている。日干しレンガの組み合わせで壁面に凹凸の凝った模様を作っている。土台が弱いために傾いてしまった塔もある。
昼食をとるレストランの近くでバスを降りた。冷房の効いたバスを降りると、外はまるで余熱したオーブンのようで、軽いめまいを覚えた。ちょうど一日で最も気温が高くなる時間帯なのに加え、街中にいるため余計に暑く感じる。38、9度はあったのではないか。しかし、空気が乾燥しているせいか、汗をほとんどかかず、かいてもすぐに乾いてしまう。日本の夏の暑さとは質が全然違うと思った。
昼食場所はスーフィーというレストラン。階段を下りた地下に店がある。店内には、湾岸諸国からと思しき全身白装束のアラブ人もいた。アラブ人もイランへ観光に来るのかと、意外に思った。
イランに来て初めての本格的イラン料理だ。メインのケバブをはじめ、どれも意外と口に合っておいしかった。途中、停電があった。
キャリム・ハーン城塞Arg-e Karim Khanシーラーズ旧市街の路地裏

バザール  Bazar

昼食後、市内にあるバザールを散策した。周辺の遊牧民が買い物に来るバザールとのこと。迷子になりそうな狭いアーケードがずっと奥まで続く。屋根があるおかげで日差しは入って来ないが薄暗い。
通路を挟んで両側に並んだたくさんの店舗には、調理器具や色とりどりの布など、生活用品が所狭しと陳列してある。
今は最も日が高い時間、お客も少ないのか、多くの店主が店先で堂々と昼寝していた。
絵や写真を壁にたくさん吊るして売っている通路に出た。ホメイニ師、聖母マリアとキリスト、緑色のターバンを頭に巻いたシーア派の聖者、富士山の写真まであった。後で考えると、これはイラン北部にそびえる山、ダマーヴァンドだったかもしれない。
シーラーズのバザールシーラーズのバザールシーラーズのバザール

ナシル・アル・モルク・モスク  Masjed-e Nasir Al Molk

ローズ・モスクの異名を持つこのモスクは、一人の富豪によって建てられた。精巧な鍾乳石飾りといい、壁や天井の隅々まで埋め尽くした緻密なタイル模様といい、これを造った、造らせた人間の執念に圧倒される気がした。一枚一枚のタイルにバラの花が描いてあり、それがローズ・モスクと呼ばれる所以だが、離れて見ると、バラだけではなく、一緒に描かれた唐草模様の緑や青、黄も渾然一体となって、肌色のような、なんとも微妙な色を醸し出している。
中庭から差し込む光が、礼拝室の床や柱にステンドグラスの色を映していた。
ナシル・アル・モルク・モスクMasjed-e Nasir Al Molkナシル・アル・モルク・モスク:回廊

ホテルにて

早朝出発だったこともあり、早めに予定を終了した。長くて濃い一日だった。
ホテルにチェックインしたのは午後4時頃だったろうか。部屋に入って窓を開けてみる。日本では想像もつかない風景が目に飛び込んできた。周囲は見渡す限りびっしりと木々の緑で被われている。その緑のじゅうたんの縁にはコンクリートのマンションらしき建物が並んでいるが、その背後に、草木一本見あたらない禿山が連なっていた。山肌は、太陽の直射と暑さで燃え出しそうに見えた。
ふと下を見ると、テニスをしている少年たちがいた。午後4時を過ぎたとはいえ、真夏のイランではまだ炎天下である。帽子も何も被っていない。どうして熱射病にならずにいられるのか不思議だ。
夕食まで時間があるので、ホテルの隣にある公園を散歩した。かなり広い公園だった。屋台がたくさん出ていたが、準備中の店ばかりで、稼ぎ時はもっと遅い時間なのかもしれない。日射は、昼下がりとほとんど変わっていないが、空気が乾燥しているので、木陰に入れば涼しい。涼みに来たシーラーズ市民が公園のあちこちにたむろしていて、ただ歩いているだけでさかんに声をかけられる。
ベンチに座って休んでいたら、ツアーメンバーのYさんがこちらに歩いてきた。ベンチに一緒に座って話をしていると、今度は、湾岸アラブ人らしい身なりの若い女性が通りがかったので、英語で少し会話した。彼女は、父親がイラン人でクウェートから来たという。美人で性格も明るかった。少数派ではあるが、湾岸アラブ諸国にはシーア派ムスリムもいることをずっと後になって知った。
シーラーズのホテルシーラーズの風景:禿山とオアシス
夕食は、ホテルの広い庭で伝統音楽の生演奏を聴きながらの屋外バイキングだった。炉の中に放り込まれたような昼間の熱さは嘘のように、辺りはすっかり涼しくなっていた。イランの伝統楽器、サントゥールのやや陰鬱な音色が夜気にしみわたる。ツアーメンバー同士、会話も弾んだ。
素晴らしい夜だった。みんな、満足げな表情を浮かべているように見えた。