旅の空

イランの旅 2009

9

シーラーズ ~ テヘラン

最終日

最終日の朝を迎える。一ヶ所滞在型とはいえ、イランを旅するのに1週間ではやはり短かかった。1週間といっても、両側の1日半ないし2日はまるまる移動時間なのだから。
今日は、シーラーズ12:40発のイラン航空426便でテヘランへ戻り、その後、テヘラン22:45発のエミレーツ航空978便で帰国する。帰国便の出発が夜10時なので、シーラーズ発の国内線をもう一つ後の便にすることもできたのだが、イランの場合、飛行機の遅延が充分にありうるので安全策をとった。国内線でも、国際線でも、出発よりかなり早い時間に空港へ着いていなければならない。シーラーズでもテヘランでも、市内観光をする時間はあったが、さすがにもう郊外へ足を伸ばすのは無理だった。

ヴァキール・ハマム博物館  Muze-ye Hammam-e Vakil

ヴァキール・ハマムは、18世紀、ザンド朝時代に造られた公衆浴場だった。現在は、ハマムの雰囲気を残しつつ、絨毯や織物を展示する小博物館に改装されている。
ヴァキール・ハマム博物館Vakil Bath Museum
中は薄暗く、天井の丸い採光窓からわずかに降りてくる光で、ヴォールトの複雑な幾何学模様が浮かび上がる。洞窟の中にいるような気分だ。大広間の八角形の池は噴水があった。中央の石柱の天辺から水面にこぼれ落ちる水音がドーム内部に心地良く響く。
ヴァキール・ハマム博物館Muze-ye Hammam-e Vakil
ドームの裾回り一面に施された素晴らしい装飾がここの見所だろう。物語の場面や唐草模様を描いた彫刻画で、芸術性も高いと思う。
ハンマーメ・ヴァキールVakil Bath Museum
建物の外観も最近になって修復されたようだ。なかなか美しいタイルワークである。

ナーレンジェスターン博物館  Muze-ye Narenjestan-e Qavam

この博物館は、記憶が正しければ、元は、ガージャール朝時代の宰相の邸宅だった建物を改装したもので、現在は、シーラーズ大学が管理している。narenjとは「橙」、narenjestan-e qavamは「ガヴァーム家の橙園」を意味する。
ナーレンジェスターン博物館Narenjestan Museum 博物館ではあるが、ここは、なんといっても庭園が美しい。建物と塀に囲まれた細長い中庭は、一直線に走る水路を中心にして、その両脇に赤、青、黄の色鮮やかな花、さらにその外側に木立を配し、左右対称をなしている。ここもまた、典型的なペルシア式庭園、チャハール・バーグ(四分庭園)の例にもれない。木立の中には、庭園の名前の由来ともなった柑橘系の木もあった。
ナーレンジェスターン博物館Muze-ye Narenjestan-e Ghavam 園内のお客はわずか。ラマダンでなければ、もっと賑わっていたに違いない。
ナーレンジェスターン博物館Narenjestan Museum

シーラーズからテヘランへ

シーラーズの空港へ着くまで、車窓からありふれた町の風景をぼんやりと見つめる。途中で見たガソリンスタンドには、道路に何百メートルも大きくはみ出して給油待ちの行列ができていた。前回訪れた2007年以降、これもすっかり日常風景として定着した感がある。
空港の手荷物検査では、機内持ち込み手荷物に電池が何本入っているのか尋ねられた。デジタルカメラ用に単三電池を大量に持っていたため、「たくさん」と答えたところ、それ以上、特に追及を受けることはなかった。シーラーズ滞在中の世話をしてくれたガイドのスィヤーヴァシーとこれでお別れだ。
シーラーズ12:40発のイラン航空426便は、ほぼ定刻どおりに離陸した。シーラーズ~テヘラン間のフライトは約1時間半。まだ明るい時間帯にメヘラバード空港へ降りるのは今回が初めてである。着陸に備えて飛行機は徐々に高度を下げる。まるで、住宅地の真っただ中に着陸するかと思えるほどだった。メヘラバード空港が、いかにテヘランの市街地に近いかということを改めて実感する。
来た時と同じように、空港でガイドのマジドさんが出迎えてくれた。ラマダン中でもホテルのレストランは大抵、営業している。少し遅めの昼食をとってから簡単な市内観光に出た。

シャヒード・モタハリー(セパフサーラール)・モスク
Masjed-e Shahid Motahari (Sepahsalar)

ガイドブックにも出ていないこのモスクに行こうと思ったきっかけは、イラン観光協会(ITTO)のウェブサイトでたまたまこのモスクの写真を見たことだった。テヘランの主だった観光名所で、行きたかったところには、3回の旅行でもうあらかた行ってしまっている。37mもの高さを誇る大きなモスクがテヘランにあること自体が意外だった。
近づくと、そびえ立つミナレットと青い大きなドームが見える。しかし、聞いたところでは、ここは、政府が利用するモスクとのことで、何やら警戒が厳重である。あろうことか、一番写真に撮りたかったモスク敷地外からの撮影は禁止だ。モスク脇の通りには写真撮影禁止の標識が立っている。また、このモスクの入口には開閉式の鉄柵や警官が常駐する検問所まであった。そのような情報は、イラン観光協会のウェブサイトでは一言も触れていなかったのだが。
シャヒード・モタハリー・モスク(セパフサーラール・モスク)Shahid Motahari Mosque and School (Sepahsalar Mosque and School)
とんでもない所に来てしまった。これは見学など無理だと思ったが、マジドさんが試しに聞いてくれたところ、意外にも入場を認めてくれるという。ただ、どうやら、いつでも入れてくれるわけではないらしい。我々は、たまたま行った時間が良かったので見学できたようだ。我々には、初老の男性が付いて中を案内してくれた。案内人を務めてくれたこの男性は、物腰が非常に柔らかで親切だった。外部は写真撮影禁止だが、内部の撮影は可能だった。
セパフサーラール・モスク(シャヒード・モタハリー・モスク)Masjed-e Sepahsalar (Masjed-e Shahid Motahari)
ドームの下に立つと、たしかにこのモスクがこの辺りでは格式あるモスクであり、政府が利用するというのも頷ける。このモスクは同時にマドラサ(神学校)でもあり、現在もモスク内にたくさんある小部屋に神学生が住んでいるという。現に、小部屋の玄関口にサンダルが並んでいた。
シャヒード・モタハリー・モスク(セパフサーラール・モスク)Sepahsalar Mosque and School(Shahid Motahari Mosque and School)

ダルバンド  Darband

最後に立ち寄ったのが、テヘラン北部、アルボルズの山麓というよりは山腹に開けた保養地、ダルバンドである。アルボルズの乾いた山肌を間近に望み、両側を切り立った岩壁に挟まれた谷間の道に、テヘランの街角ではまず見かけないヨーロッパ風のおしゃれなレストランや売店、チャイハネが所狭しと並ぶ。周囲は緑があふれ、空気もひんやりと涼しく、まるで別世界に飛び込んだかのよう。テヘランにはこんな場所もあるのかと驚いた。ただし、週末は大混雑するというこのリゾート地も、ラマダン中の、しかも日没前とあっては、人通りはまばら、店という店はみな開店休業状態だった。最後までラマダンに祟られる旅となった。
ダルバンドDarband ラマダン中のチャイハネ営業は御法度で、違反すれば罰金を科されるという。チャイ一杯にすらありつけないのかとがっかりしたが、驚いたことに、客引きをしているチャイハネが一軒だけあった。店に入ってさらに驚いたことには、店内は、ラマダン破りのイラン人客で賑わっていた。需要あるところ、供給もあるのだ。これには、ガイドのマジドさんも信じられないといった様子だった。
ダルバンドDarband チャイをすすりながらしばらく休んだ後、店を出る。
ダルバンドの入口まで戻った時、ちょうど上に向かって歩いてゆく警察官とすれ違った。あのラマダン破りのチャイハネがお咎めなしで済むことを願った。

空港へ

アルボルズ山麓から眺めるテヘランの街並みテヘランに来るたびに、写真に撮りたくなる風景がある。市内のある道路を通ったときに、アルボルズの乾いた山肌を背景に、ビルの街並みがきれいに収まる地点がある。でも、いつも車であっという間に通り過ぎてしまうので、写真に収められずにいる。
エマーム・ホメイニー空港へ近づくにつれ、周囲は何もない荒野へと変わっていく。遠くなった分、空港へ着いたときの安堵感は大きくなった。セキュリティ・チェックを受ける前に、テヘランにいる間、世話をしてくれたマジドさん、ドライバー君とお別れする。
メヘラバードのときと比べたら、新空港は、広いし、設備も新しく、チェックインカウンターの数が大幅に増えるなど、はるかに便利に、快適になった。
出国審査のゲートは、「Iranian」の表示だけが点灯している。「外国人」用のゲートがいつ開くのか思ったら、どうやら、イラン人だけでなく、外国人も「Iranian」用のゲートから出国するらしかった。
エミレーツ航空978便のテヘラン出発は午後10時45分。行きと同じく、ドバイ経由の長いフライトになる。

《 イラン2009 完 》