旅の空

イスタンブールの輝き

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スルタンアフメット

イスタンブール再訪

シェフザーデ・ジャーミィ2006年8月17日(木)、イスタンブール第一日目の朝は曇り空だった。トルコ航空の直行便で到着したのは昨日の夕方。空港から旧市街にあるホテルまでは旅行会社が手配した車で移動したので楽だった。今回は、航空券とホテルにイスタンブールでの送迎だけが付いたフリープランである。ホテルに着いたのは午後7時過ぎ、夏のトルコではようやく暗くなりはじめるといった時間だが、10時間以上もエコノミー・クラスに押し込められて疲れていたし、機内で夕食も済ませていたので、さっさと寝てしまった。一晩ホテルで眠れるのはありがたい。
ホテルを出ると、道路のはす向かいにシェフザーデ・ジャーミィというモスクが建っている。ブルーモスクほど大きくはないが壮麗なモスクだ。歩き出したものの、方角がさっぱりわからずに、しばらくの間、ホテルの周辺を行ったり来たりする。そのうち、遠くにヴァレンス水道橋が見えてきた。水道橋に直交して走るのはアタテュルク大通り。水道橋のアーチをくぐってひっきりなしに車が行き交っている。その大通りを水道橋とは反対方向に歩いて、トラムヴァイ(路面電車)のアクサライ駅にたどり着いた。

スルタンアフメット地区

スルタンアフメット駅でトラムヴァイを下りる。広大な空間の向こうに、天を突き刺すように聳える6本の尖塔と大小幾重にも連なるドームが見える。 ブルー・モスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)だ。何度見てもこの風景は圧巻だ。イスタンブールならではの眺めである。またこの街へやって来たんだという感慨と、これから始まる旅への期待で胸が高まる。
アヤソフィア博物館に向かう途中で、昔、技師をしていたという見知らぬ初老の男性から英語で話しかけられた。物腰は非常に柔らかいのだが、目つきが良くない。アヤソフィアまで案内してやると言われたが断った。普通のイスタンブール市民がこういう観光スポットで外国人に声をかけてくることはまずないと思った方がいい。スルタンアフメット周辺ではこの手の客引きが多く、日本語を話す者までいてわずらわしい。

アヤソフィア博物館 (聖ソフィア教会)

イスタンブールに来て最初に向かうのは、今回もアヤソフィア博物館である。1年前、初めて来たときほどの感動はなかったが、時間を気にすることもなく、心ゆくまで薄暗いドームの雰囲気に浸った。無数に開けられた小さな窓から鈍い光が差し込んでくる。圧倒的な高さがある。前回は素晴らしいモザイク画にばかり目を奪われていたが、よく見れば、柱頭、違う色大理石を交互に貼りあわせた壁面、天井や壁に描かれた唐草模様などの装飾もモザイクに負けず劣らず見事だ。
アヤソフィア博物館アヤソフィア博物館
アヤソフィア博物館アヤソフィア博物館
アヤソフィアを出て、近くの銀行で米ドルからトルコリラに両替えし、通りにあったロカンタ(大衆食堂)で昼食をとる。スルタンアフメットへと戻る途中、脇道からマルマラ海が見えた。トラムヴァイの通り沿いには、所々、オスマントルコ時代の古い建物や墓地が残っている。
スルタンアフメット界隈マルマラ海
スルタンアフメットに戻り、アヤソフィアとブルー・モスクの間にある公園をしばらく散策する。花と緑にあふれた明るい公園でトルコ人の家族連れがのんびりと過ごしていた。
スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルー・モスク)アヤソフィア博物館

キュチュック・アヤソフィア・ジャーミィ (聖セルギオス・バッコス教会)

スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルー・モスク) スルタンアフメット・ジャーミィの脇を抜けて、キュチュック・アヤソフィア・ジャーミィへ向かう。丘の頂上から海に向かって下ってゆく感覚だ。ブルー・モスクやアヤソフィア、トプカプ宮殿周辺にいると気付かないが、イスタンブールは、実は起伏が非常に大きい地形なのだ。アヤソフィアやブルーモスク、トプカプ宮殿が建つ場所は高台の超一等地である。
壊れかけた古い木造家屋のある路地で、子供に英語で声をかけられる。しばらく一緒に歩くと日本語を話す店員がいる工芸品店の前に出た。キュチュック・アヤソフィアの方角を教えてくれた。工事中で入れないかもしれないとも。見学した後で寄れと言われたが、あいにく、最初からこちらには戻らない計画だ。
途中の道で、東ローマ帝国時代のものと思しき遺構(宮殿の塀もしくは水道橋の残骸)をいくつか見た。このあたりは、昔、大宮殿が建っていた地域のはずだ。地面の下には遺跡や遺物がまだまだ埋もれているのではないだろうか。それにしても、何でもない街中で、思いがけず遺跡に出くわすというのがすごい。
東ローマ帝国時代の遺跡キュチュック・アヤソフィア・ジャーミィ(聖セルギオス・バッコス教会)
キュチュック・アヤソフィア・ジャーミィは、現在はモスクとなっているが、かつては、聖セルギオス・バッコスというビザンティン教会だった。残念ながら、教えられたとおり修復工事中で中へ入ることはできなかった。「小アヤソフィア」という名前のとおり、たしかに、アヤソフィアを縮小した形にも見えないこともない。周囲は古い家がひしめき合う下町だ。ひっそりとして、表通りの華やかさとは別世界だった。

ブーコレオン宮殿跡と海の城壁

キュチュック・アヤソフィア・ジャーミィを離れて海側の道路に出ると、城壁が海に沿って続いている。空港から旧市街へ入るとき、車窓から海の城壁が見え、心が弾んだ。所々、石積みが新しい箇所もあるので修復したのだろうが、建設当時のままと思われる部分も残っている。
海の城壁ブーコレオン宮殿跡
東ローマ帝国時代の遺構であるブーコレオン宮殿跡は、海の城壁から少し引っ込んだ位置にある。今や朽ちかけ、壁面にはツタが生い茂っているが、大きなアーチが連続するレンガ積みは、明らかに周囲の城壁とは違う優雅な雰囲気があった。アーチの向こうには住宅が見える。線路が城壁のすぐ裏にあり、時々、電車の通り過ぎる音が聞こえてきた。
海の城壁海の城壁

トプカプ宮殿

海の城壁に沿って、ケネディ通りという海を埋め立てた道路が通っている。城壁の真下の狭い歩道を歩くので、圧迫感を感じる。人目も少なく、あまりお勧めできる場所ではない。予定では、ブコレオン宮殿跡を見た後に海沿いの道を少し歩き、最寄のジャンクルタラン駅から電車に乗ってスィルケジ駅まで移動するつもりだった。しかし、途中で駅への入口を見落とした。引き返せばよかったのに、大した距離でもないと高をくくっていた。結局、炎天下をスィルケジまで延々と歩くはめになった。
コンスタンティノポリスを征服したメフメット2世の銅像が立つ広場がトプカプ宮殿が建つ高台のふもとにある。トプカプ宮殿のテラスからその銅像と海の城壁を見下ろすことができる。その場所で、今度は逆にトプカプ宮殿を見上げることになるとは思わなかった。この一帯には、おそらく未修復で、しかも保存状態の良い城壁が残っている。それを間近で見られたことがせめてもの慰めだ。塔の上部にラテン語かギリシア語で何か書いてある。歴史の重みが一層感じられた。
メフメット2世の銅像と海の城壁海の城壁と上にトプカプ宮殿テラス
炎天下のウォーキングはつらかった。距離も時間も実際以上に長く感じられる。歩いてもなかなか目的地に到着しないので、不安になったが、エミノニュが近づくにつれ、人通りが増えていく。エミノニュに着いたときの安堵感は言いようがないほどだ。スィルケジ駅の近くにあるオープンカフェでようやく一息入れる。しばし、海からの涼しい風に吹かれた。歩き回って疲れたら、カフェで何か飲んだり甘いものを口にするだけで、また元気が出てくるものだ。

スルタンアフメット・ジャーミィ (ブルー・モスク)

時間があるので、トラムヴァイに乗って、観光客で混み合うスルタンアフメット・ジャーミィへ行ってみる。つい床に座り込んで休んでしまう。やはり、炎天下のウォーキングがこたえたらしい。もう別の場所を見に行く気力・体力はなかった。
スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルー・モスク)スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルー・モスク)
スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルー・モスク)スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルー・モスク)
夕食の時間まではまだかなりあるので、それまで何をしようかと考えて、ふと気づいた。同じ街に6日間いるのだし、何も一日中ひたすら観光し続けなくてもいいわけだ。一旦、ホテルの部屋に戻り、ベッドで横になった。

エミノニュ夕景

夕方、エミノニュ方面へ散策に出かける。前回も空き時間にここを歩いた。大好きな場所だ。特に夕暮れ時の桟橋がいい。対岸へ帰る人たちを載せて混雑する船と桟橋を行き交う人波、岸壁には釣り人が並ぶ。屋台から売り子が声を張り上げ、お客を呼び込んでいる。露店のそばを通ると魚を焼くいい匂いが漂ってくる。桟橋の舗道が夕日を鈍く反射する。そこかしこにあるモスクが少しずつ夕闇に沈み、シルエットへと変わっていく。でも、エミノニュの夕暮れはどこか憂いを帯びている。
エミノニュ夕景エミノニュ夕景
エミノニュ夕景エミノニュ夕景
夕日を楽しんだのは良かったが、桟橋でスリに狙われた。雑踏の中、ちょうど通路が狭くなった部分を抜けたときのことだ。ショルダーバッグが人ごみの中で引っかかったように感じ、反射的に体をひねってバッグを引き寄せた。そのせいか、財布は無事だったが、財布を入れていたポケットのファスナーが開いていた。スリに狙われたのは人生で初めてだ。前回、団体ツアーで来たときには、そんな危険を全く感じなかったのに、一人旅のリスクを実感する。
エミノニュ夕景エミノニュ夕景
エミノニュ夕景エミノニュ夕景
夏のイスタンブールは、夜8時を過ぎてようやく暗くなりはじめる。もっと歩いていたかったが、スリに遭いそうになったことだし、早めに帰ることにした。イスタンブールの治安は、近年かなり怪しくなっていると聞く。ちょうど、イスタンブールで行方不明になっていた韓国人の旅行者が遺体となって発見されるという事件があったばかりで、心の片隅に緊張感を抱えながらの街歩きだった。
スィルケジでケバブサンドの夕食を済ませ、トラムヴァイに乗ってホテルまで帰る。長い一日目が終わった。
ホテルでは、昨日の夜に到着したときからエアコンがほとんど効いていなかった。部屋を出るときに設定温度を一番低くして、風量も一番強くしておいたのに少しも涼しくなっていない。暑い中を歩いて帰ってきた後で、ホテルの部屋がもっと暑のはいたたまれない。この時間になると、外にいる方がはるかに涼しいくらいだ。見るからに効かなそうなエアコンで、言っても無駄かもしれないと思いつつ、一応、「エアコンから出てくる風が全然涼しくないから点検してほしい」とフロントに苦情を言ってみた。30分くらいして係員らしき男が来た。送風口に手をかざし、納得したような表情を見せたが、何も言わずに部屋を出て行った。その後、何の反応もないまま1時間経ったところでしびれを切らし、「エアコンはどうなったんだ」とフロントを問い詰めたところ、「部屋に誰か行かなかったか」などと呑気なことを言う。事情を説明したところ、「確認してみる」と言って電話を切った。その後はもう返事を待つのはやめてシャワーを浴びた。案の定、その後、音沙汰はなかった。これから6日間、この暑い部屋で寝るのかと思うと気が滅入りそうだった。