ヨルダン 2012
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古代ローマ都市遺跡・ジェラシュ
前書き
これからご紹介するのは、2012年8月に訪れたヨルダンの旅行記です。
近々、ヨルダンへ行く計画のある方はこの先を読まない方がよいかもしれません。というのも、例えば、これからある遺跡を見に行こうという時に、事前に写真を見て知っている状態よりも、現地で初めてそれを目にする方がはるかに感動が大きいように思うからです。
すでにヨルダンの旅を決めた方は、ご自身の判断を信じてそのまま行って大丈夫です。中近東は怖いと思っている方、ヨルダンには全然興味がない、あるいは、興味はあるけど行きたいというほどではないという方にむしろ読んでいただければと思います。
なお、このヨルダン編で都市や遺跡について書いた説明は、ツアーを催行したユーラシア旅行社から配布された資料などのほぼ請け売りです。
ヨルダンへ
エティハド航空871便で経由地のアブダビに向けて成田空港を出発したのは2012年8月12日の午後9時半だった。およそ5時間の乗継待ちを経て、アブダビ空港からアンマン行きのエティハド航空513便が飛び立ったのは現地時間で翌日の朝8時半、飛行機はそれから約2時間後の午前10時過ぎにクイーン・アリア国際空港へ到着した。空港でガイドの出迎えを受け、バスに乗り込んでアンマンから北へ40キロほどのところにあるジェラシュへ向かう。
体調は最悪であった。空港や機内の冷房が効き過ぎだったこと、機内食を無理に食べようとしたことがいけなかったかもしれない。昼時に入ったレストランでは、食事にはほとんど口を付けられず、そのうち、吐き気もして倒れそうな気がしてきたので、観光をやめて横になっていたいと、もう少しで添乗員に申し出るところだった。
しかし、ジェラシュに着いて遺跡を見ているうち、今までの体調不良がまるで嘘のように、すっかり元気になる。不思議なものである。
ジェラシュ Jerash
この町が歴史に登場するのは紀元前4世紀頃、アレクサンドロス大王の時代という。その後、紀元前64年にポンペイウスのオリエント遠征によって共和制ローマの植民市に編入された町はゲラサの名で呼ばれた。
ローマ、ビザンティン両帝国の下で繁栄したジェラシュは、7世紀に入ってササン朝ペルシア、アラブの侵攻を受け、749年の大地震で壊滅状態となる。その後、1806年にドイツの考古学者が発見するまでは忘れられた都市であった。現在も全体の8割がまだ地中にあるという。