旅の空

ヨルダン 2012

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七つの丘の町・アンマン

アンマン  Amman

アンマンは先史時代から人類が住み始めた世界最古の町の一つである。旧約聖書にはアンモン人の主要都市として、ラバあるいはラバトとの名で登場する。やがて、ヘブライ語でラバト・アンモンと呼ばれるようになった。さらに、アッシリア、ペルシア、マケドニアの支配の後、プトレマイオス朝の支配下に入ると、フィラデルフィアというギリシア風の名で呼ばれた。

ローマ帝国の下では、デカポリスの1つとして商業及び軍事の上でその重要性を増した。

7世紀に支配者となったアラブ人はこの町をアンマーンと呼び、ウマイヤ朝からアッバース朝にかけて繁栄したものの、地震と戦乱により次第に衰退していった。

1929年、トランスヨルダン王国の首都に定められた頃の人口は3万人足らずであったが、1946年に始まったイスラエル独立を巡る戦乱によって大量のパレスチナ難民が流れ込んだ。

【キング・アブドゥッラー・モスク】
キング・アブドゥッラー・モスク

現国王アブドゥッラー2世の曽祖父であるアブドゥッラー1世を記念して1989年に建造されたモスクだそうである。その長い歴史の割には意外なことだが、アンマンに限らず、ヨルダンには由緒ある古いモスクというものはないらしい。モスクに一つも入場しなかったイスラム圏の国は今のところヨルダンだけである。

アンマン城砦  Jabal Al-Qala'a

古代7つの丘の一つであり、ジャバル・アル・カラア(城砦の山)と呼ばれる標高850mの山上にアンマン城砦はある。アンマン発祥の地であり、青銅器時代に始まり、ローマ、ビザンティン、イスラムまでの遺構が集まった複合遺跡群である。

【アンマン城砦】
アンマン城砦
【城砦からの眺め】
アンマン城砦からの眺め | Citadel, Amman

アンマン城砦はおそらく市内で一番の好展望地である。オデオンと6千人を収容するヨルダン最大のローマ劇場を正面に見下ろす。

アンマン城砦からの眺め | Citadel, Amman

周囲の丘は、頂上から麓までコンクリートの建物がびっしりと建ち並んでいる。

【ビザンティン教会跡】
アンマン城砦:ビザンティン教会跡 | Byzantine Church in Citadel, Amman
【ヘラクレス神殿】
アンマン城砦:ヘラクレス神殿 | Temple of Hercules in Citadel, Amman

2世紀の神殿。アンモン人が造った神殿の上に建っている。コリント式の円柱。

アンマン城砦:ヘラクレス神殿 | Temple of Hercules in Citadel, Amman
【ウマイヤ朝宮殿】
アンマン城砦:ウマイヤ朝宮殿 | Umayyad Palace in Citadel, Amman

城砦にはウマイヤ朝宮殿もある。元はギリシア十字形の教会だったらしいが、筆者はむしろササン朝建築に近いものを感じた。

ウマイヤ朝宮殿 | Umayyad Palace in Citadel, Amman
【巨大国旗】

遠くで世界最大の国旗がはためく。その大きさは何と幅60m×高さ30m、特大の国旗を掲揚するポールの高さは126mにも達するという。

ペトラへ

午前中でアンマンの観光を切り上げ、ヨルダン最大の見所にして中近東屈指の大遺跡であるペトラへバスで向かう。ペトラはアンマンから200キロほど南に位置する。

【Restaurant Tawahin Al-Hawa】
Restaurant Tawahin Al-Hawa

昼食で立ち寄ったレストラン。メニューは、アラブ前菜にマンサフ(羊肉とアーモンド入りピラフ)、ブドウ、ラマダンのデザート(チーズ又はココナッツ)など。

【ペトラ・ゲストハウス】
ペトラ・ゲストハウス

ペトラ観光の拠点となるワディ・ムーサで泊まったホテル。2千年前のナバテア人の墓を利用したCave Barもある。遺跡入場門はすぐ横、至極便利な場所にある。といっても、入場門から先が長いのだが。

【ワディ・ムーサ】
ワディ・ムーサ | Wadi Musa

ホテルからの眺め

ワディ・ムーサ | Wadi Musa

夜景