旅の空

バリ島 2018

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モンキー・フォレスト

ニュークニン  Nyuh Kuning

朝早く目が覚めてベッドで耳を澄ませると、水を張った田んぼに落ちる雨音が聞こえる。何ということだ。アグン山が噴火して隣の島で大きな地震もあって、しかも異常気象で雨ばかり降るとわかっていてどうして来たのだろうと思った。今日は決まった予定もなく、雨が降っているのなら、なおさら早く起きる必要もない。小雨ではあるが、せめて出かけるまでには止むよう願った。

別棟の2階にあるヴィラのレストランで朝食を済ませた後も部屋でぐずぐずしていた。厚い雲に覆われた灰色の空を見ると出歩こうという気分にならない。しかし、いくら待っても天気は回復しそうになく、部屋の鍵をフロントに預け、持ってきた折り畳み傘を差してヴィラを出た。

ニュークニン Nyuh Kuningニュークニン Nyuh Kuning

昨夜着いた時には暗くて何もわからなかったが、通りからヴィラまでの狭い路地は緑が多く、立派な家が並ぶ。プルメリアやハイビスカスといった南国の花が雨に濡れている。晴れていればまた違った色合いだったろうに。

ニュークニン Nyuh Kuningニュークニン Nyuh Kuning

ウブドでは通りを歩けば朝に夕に「チャナン」を目にする。草や竹で編んだ手のひらに載るくらいの小さなカゴに米や花びら、ハーブ、香を盛った供え物である。神の像に供えられたものはその神に、道端に置かれたものは「悪さをしないでね」という趣旨で悪霊に供えたものだという。バリ島では悪霊は出てこないようどこかに封じ込めておくものではなく、当たり前のようにその辺をうろついているものらしい。まるで工芸品のように丁寧に繊細に作ったチャナンだが、一度供えたもの、つまり路上に置かれたものはゴミ同然なのだという。だから、たとえ踏み散らかされても、野良犬が漁っても誰も気にしない。

ニュークニン Nyuh Kuningニュークニン Nyuh Kuning

通りに出たところでちょうど雨脚が強くなってきたので、ヴィラに引き返して大きい傘を借りた。ニュークニンの一方通行の通りを北に向かう。とりあえず、モンキー・フォレストへ行くことにした。ウブドに来た観光客が真っ先に訪ねるといってもよいくらいの観光名所なのだが前回は行かなかったのだ。今回滞在するニュークニンはモンキー・フォレストへは歩いても15分ほどで行ける距離にあるので、その点では好都合だった。

ニュークニン Nyuh Kuningニュークニン Nyuh Kuning

ニュークニンの中心部にはサッカーができるほどの芝生の広場があって、白黒の格子模様の布が巻かれたガジュマルの大樹がその端に立っている。この布は魔除けのためのものだ。ガジュマルの根元にバリ島で森の聖獣とされるバロンの大きな石像が鎮座していた。かなり手の込んだ作りの立派なバロンだ。近所のワルンへ夕食に行く時などにも必ず通る場所にあるので、毎日目にすることになった。

モンキー・フォレスト  Monkey Forest

モンキー・フォレストに近づくと、通りには猿の姿が目につくようになる。バリ島でも猿は大事にされているため、人を怖がる様子はなく、駐車している車の屋根伝いに移動したりと我が物顔である。

モンキー・フォレストはその名のとおり、カニクイザルという種類の猿が600匹ほど生息する森である。広大な森は自然保護区になっているだけではなく、「死者の寺」など3つの寺院が建つ神域にもなっている。

モンキー・フォレスト Monkey Forestモンキー・フォレスト Monkey Forest

モンキー・フォレストの楽しみの一つは、園内の至るところにある石像を見て回ることだろう。動物や神なのか悪魔なのかすらわからない奇怪なものまで、バリ人の想像力と表現力の豊かさにはつくづく感心させられる。ここまで自由でいいのかとさえ思う。

モンキー・フォレスト Monkey Forestモンキー・フォレスト Monkey Forest

長い階段を下った先に聖なる水の寺院がある。深く落ち込んだ谷底の渓流は小さいながらも周辺に降る雨を集めて水量豊富だった。見上げれば、無数の気根を垂らしたガジュマルの大木が視界を覆う。聖なる水の寺院周辺は主に欧米系の観光客でごった返しており、特に、竜の彫刻が施された石橋は狭い上に観光客が記念撮影をするので度々、足が止まる。混雑を抜けてさらに階段を下ったところに、雨に濡れて本物さながらのコモドオオトカゲの石像があった。

モンキー・フォレスト Monkey Forestモンキー・フォレスト Monkey Forest

それでも僕にとって、モンキー・フォレストで最も印象的だったのは森の植物だった。熱帯の植物の鮮烈な色と形には強い生命力を感じる。

モンキー・フォレスト Monkey Forestモンキー・フォレスト Monkey Forest

一時止んでいた雨がこの時、再び降り始め、やがてスコールかと思うような強雨に変わった。傘を差していても横から飛沫がかかって濡れるので、もはや観光どころではない。出口の方向へ向かいながら、これからどうしようかとまた考えた。

モンキー・フォレスト Monkey Forest

しかし、スコールに見舞われたかと思ったら雨は一気に上がった。深い森の中に陽が差してきて、濡れた木々の葉が輝く。雨上がりの熱帯雨林は何と瑞々しく鮮やかなのだろう。

ラカ・レケ  Laka Leke

入場した南側の出入口からモンキー・フォレストを出て、ニュークニン方向へ少し戻る。目当てのレストランがあるのだ。少し早めの昼食にした。

ラカ・レケ Laka Lekeラカ・レケ Laka Leke

ラカ・レケとはバリ語で「隠れ場所」という意味らしい。ウブドでは有名な「カフェ・ワヤン」の姉妹店で、カフェ・ワヤンと同じく、バリ伝統の東屋風の建物が並ぶレストランだ。噴水周りに象の頭をしたガネーシャや猿の王ハノマンなど色とりどりの像があしらわれ、少々やりすぎの感がしないではないが、心安らぐ空間はまさに「隠れ場所」の名にふさわしい。

ラカ・レケ Laka Lekeラカ・レケ Laka Leke

店内はまだ空いていたので、昔の米倉を改装したような離れの席を選んだ。このレストランは夜に来ればバリの伝統舞踊が無料で鑑賞できるらしいが、それでも昼の雰囲気の方が魅力的に思える。

ラカ・レケ Laka Lekeラカ・レケ Laka Leke

レストランに入る時はちょうど日が陰っていたが、料理を待っている間、日が差したりまた曇ったりと空模様は目まぐるしく変わった。陽の当たった芝生で、日本ではまず目にすることのない大きなトカゲが、別のもう一匹を追いかけていた。

モンキー・フォレスト その2  Monkey Forest

ラカ・レケ・レストランでのんびりした後、ウブドの中心部まで足を伸ばすことにした。ニュークニン方面から徒歩で王宮のある中心部へ向かう場合、モンキー・フォレストの園路を抜けるのが一番快適だが、入園料を払わなくてはならない。モンキー・フォレストに沿って反対側へと抜ける小路があるのでそこを通ることにした。ところがこの小路というのが、せいぜい一人とバイク1台がすれ違えるくらいの幅しかないのに、バイクが前からも後ろからもひっきりなしに走ってきて横をすり抜けていくのだ。バイクがぶつかってきやしないかとヒヤヒヤしながら小路を通るか、5万ルピア(約380円)の入場料を払ってモンキーフォレストを通るか悩むところだ。

モンキー・フォレスト Monkey Forestモンキー・フォレスト Monkey Forest

反対側へ抜けたところで、モンキー・フォレストの一画に祭壇らしきものが設置されているのを見た。地元民も大勢集まっている。何事かと思って近づいたところ、祭壇は、色とりどりの南国の果物をうず高く積み上げたものだった。それを取り囲んで、色鮮やかな服に身を包んだ大勢の女たちが石のベンチに腰かけている。祭壇近くには位の高い僧侶らしき男もいる。やがて隅に陣取っていたガムランの楽団が演奏を始めた。

モンキー・フォレスト Monkey Forestモンキー・フォレスト Monkey Forest

僕には何かを祝う祭りに見えたが、後でこれが葬儀だったと聞いて驚いた。供え物も人々の服装もガムランの音楽も悲愴感を全く感じさせなかった。モンキー・フォレストはこうした葬儀が執り行われる場でもあるという。

モンキー・フォレスト通り  Jalan Monkey Forest

王宮などのあるウブドの中心地は、モンキー・フォレストからは1.5キロほど北にある。ウブド随一の目抜き通りであるモンキー・フォレスト通りを歩くことにした。

雨が上がったのはよいのだが、急に陽射しが強まり、蒸し暑くなってきた。ヴィラで借りた大きな傘は邪魔になり、帽子が欲しくなる。朝は雨が降っていたから、必要ないだろうと思って帽子は部屋に置いてきてしまった。

モンキー・フォレスト通り Jalan Monkey Forestモンキー・フォレスト通り Jalan Monkey Forest

モンキー・フォレスト通りには観光客相手の工芸品店や飲食店が連なり、行き交う外国人観光客でごった返している。歩道が狭いので、すれ違いや追い越しのときには車道にはみ出すしかないのだが、車道も広いとはいえず、歩道際まで迫る車とその横をすり抜けて後ろから走って来るバイクに気が抜けない。しかもこのときのモンキー・フォレスト通りは歩道の至るところを工事しており、歩道を塞ぐように一定間隔で建設資材が置いてあったり、大穴が開いていたりするので、ウィンドウショッピングにかまけてもいられない。

モンキー・フォレスト通り Jalan Monkey Forestモンキー・フォレスト通り Jalan Monkey Forest
サラスワティ寺院とカフェ・ロータス  Pura Taman Saraswati and Cafe Lotus

ウブドの王宮から通りを2つ挟んだ先にあるサラスワティ寺院に着く頃、天気は再び曇ってしまい、その後はもう厚い雲がかかったままだった。

サラスワティ寺院 Pura Taman Saraswatiサラスワティ寺院 Pura Taman Saraswati

サラスワティ寺院はウォーターパレスとも呼ばれるとおり、寺院の前に大きな蓮池がある。蓮池に向って右側にはスターバックス、左側にはカフェ・ロータスがあって、どちらもピンク色の蓮の花咲く池と寺院を借景にして一息つける贅沢な場所なのだ。

サラスワティ寺院とカフェ・ロータス Pura Taman Saraswati and Cafe Lotusサラスワティ寺院 Pura Taman Saraswati

カフェ・ロータスの道路側は普通の屋内席だが、池に面した川床風の席が空いていた。雨上がりの蒸し暑さもあり、モンキー・フォレストから歩き続けたこともあって少し疲れていた。曇ってしまったせいで、寺院も蓮池も今一つ映えない。これ以上、写真を撮る意欲も湧かなかったので、今日のウブド散策はこれで終えることにした。

旅行することが写真を撮ることとほぼ同じになっているように以前から感じている。いい絵を撮りたいがために風景をレンズ越しに見てばかりの旅でいいのだろうか…。そんな疑問を抱えつつ、今回も写真を撮り続けるのだった。

帰りはタクシーにしようかとも思ったが、寄りたい店もあるので、行きと同じようにまたモンキー・フォレスト通りを歩いた。

ニュークニンの夜

ニュークニンのヴィラに一度戻ってから夕食はヴィラのウェブサイトで紹介していた「ベ・パシ」という近所のワルン(食堂)へ行くことにした。このワルンのオーナーはかつて日本で料理人をしていた経歴があるという。オープンカフェ風の、通りに面した席に座って往来を眺めた。だんだんと外の闇が濃くなってゆく。ニュークニンは静かな村である割に車の通行量は多い。数頭の野良犬の群れが目の前を走り抜けていった。バリ島には飼い犬なのか野良犬なのかわからない犬がたくさんいる。

注文したのは日本の焼き魚定食のようなパケット(セット)メニューだ。魚はアジの塩焼きでご飯やスープも付いている。美味しかったので、明日もここに来ようと思った。

夕食からヴィラに戻っても特にすることがなく、昼間に撮った写真を眺めたりして過ごす。シャワーを浴びた後は、テラスに置いてある椅子に腰かけて、虫の音や蛙の声に耳を傾けた。蛙の鳴き声があまりに規則的なので、ポンプか何かの動作音のように思えてくる。天井で何かが動く。灰色がかった茶色の小さなヤモリだった。