旅の空

イランの旅 2004

エスファハーン

チャハール・バーグ通り  Khiyaban-e Chahar-bagh

出発時間の10時まで余裕がある。身支度を手早く済ませて、散歩に出た。
ホテルは、チャハール・バーグという大通りに面している。通勤、通学の人々が足早に通り過ぎる。道端の売店では、男性たちが店頭に並んだ朝刊を品定めしていた。
まだ冷たさが残っている朝の空気。でも、日射はもう肌を刺すようだった。今日も暑くなりそうだ。
チャハール・バーグ通りKhiyaban-e Chahar-bagh

エマーム広場  Meydan-e Emam

エスファハーン:エマーム広場 我々が乗ったバスは、一見、観光地とは思えない路地裏に入って止まった。色々な香辛料が混ざった匂いが漂う店先を抜けると、急に視界が開けた。
エマーム広場は、南北510m、東西160mの広さがある。
日干しレンガでできた建物が広場を取り囲んでいて、工芸品などを売る店がずらりと軒を並べている。広場を挟んで宮殿、2つのモスク、バザールが向かい合っている。

アーリー・ガープー宮殿  Kakh-e 'Ali Qapu

薄暗い宮殿の天井を見上げると、見事なアラベスクが描かれていた。
3階のテラス席は、その昔、王が広場で行われるポロ競技を観戦した場所だけあって、眺めが素晴らしい。かつて、「世界の写絵」と呼ばれたエスファハーンの町並みが遠くまで見渡せる。
最上階には音楽室がある。壁に、様々な楽器の形をした穴が空いている。余分な残響を吸収するためのものだという。
アーリー・ガープー宮殿Kakh-e 'Ali Qapuアーリー・ガープー宮殿

マスジェデ・エマーム(イマーム・モスク)  Masjed-e Emam

エスファハーン:イマーム・モスクエスファハーン:マスジェデ・エマームEsfahan:Masjed-e Emam
マスジェデ・エマームは、17世紀、サファヴィー朝時代に建設されたモスクである。見事なタイルワークと鍾乳石飾りに息を呑んだ。精緻極まりない唐草模様が、高さ20メートルはあろうかというモスクのあらゆる壁という壁を埋め尽くしている。しかも、模様はワンパターンではないのだ。青を主体にしているが、異なるパターンのタイルを随所に使い分けている。
ドームの真下で、現地ガイドのアフマッドさんが、アザーンを見事な節回しで披露してくれた。「アッラーフ・アクバル、アクバ~ル」。朗々たる声が、7回音が返るといわれるドームに響き渡る。体が震えた。
イスファハン:イマーム・モスクイスファハン:イマーム・モスク

マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー  Masjed-e Sheykh Lotf-ol-lah

シェイフ・ロトフォッラー・モスクは、王族のための私的なモスクだった。作りも、イマーム・モスクに比べて内向的な感がある。タイルの青に包みこまれるような回廊を奥へ進む。ドームにはさらに凝った演出が施されていた。
天井の一部分にだけ外光が差し込むようになっている。長い尾羽を垂らしたクジャクの形だった。
シェイフ・ロトフォッラー・モスクMasjed-e Sheykh Lotf-ol-lah

バーザーレ・ゲイサリーエ  Bazar-e Qeysarie

イスファハン:イマーム広場イマーム・モスクの真向かいには、ゲイサリーエ・バザール入口があって、そこから先は、ずっとバザールが続いている。屋根付きのアーケードとなっているため、中は少し暗い。ここで自由時間となった。土産物、工芸品、ペルシャ更紗、食料品などなど、あふれんばかりの品物を店頭に並べ、あらゆる種類の店が、道の両側に連なっている。店も品物も多すぎて、とても1日やそこらで見きれるものではない。絨毯を買わないか、と流暢な日本語で声をかけてきた小柄な男性がいた。自由時間は、あっという間に過ぎた。
イマーム広場の中にあるレストランで昼食をとっているとき、突然、停電があった。真夏のイランである。冷房のない室内は少々つらいものがあった。

ハージュー橋  Pol-e Khaju

エスファハーンは水量豊かなザーヤンデ川が町のすぐ傍を流れるオアシス都市である。そのザーヤンデ川に何本か架かる美しい橋もまた見どころの一つだ。
昼食後、17世紀に造られたハージュー橋を見に行った。橋は、連続アーチの2階建て構造になっている。下流側には親水階段もあって、水遊びもできる。アーチの下にいると、川を吹き抜ける風は冷たいくらいに感じる。大勢の人が涼みに来ていた。
川岸には昼寝にちょうどよさそうな芝生があちこちにある。たくさんの家族連れが木陰に大きな敷物を広げ、寛いでいた。
ハージュー橋Pol-e Khaju川辺でピクニック

四十柱宮殿  Kakh-e Chehel Sotun

四十柱宮殿も17世紀のサファヴィー朝時代に建設された迎賓館だ。「四十柱」(チェヘル・ソトゥーン)という名の由来は、宮殿の20本の柱が、前庭にある大きな池の水面に写って40本に見えることからだが、我々の行ったときは、池の水がすっかり抜かれており、おまけに、前庭で屋外コンサートをしたか、あるいはする予定だったのか、池の上に仮設の観客席が組んであって、興ざめであった。
しかし、宮殿内部の装飾や絵は素晴らしかった。
観光に来ていたイラン人一家を、少し離れた距離からさりげなく隠し撮りしたら、すれ違ったとき、笑顔で「Thank you」と言われた。
エスファハーン自然史博物館四十柱宮殿Kakh-e Chehel Sotun

再びエマーム広場へ  Meydan-e Emam

午後4時半頃、一旦、休憩のためホテルへ戻る。夕食までの空き時間に有志でエマーム広場へ行くことになった。有志といっても、ほぼ全員が参加したように思う。タクシーをチャーターし、1台に3人ずつ乗り込んだ。
夕方近いのに、日はまだ高い。照りつける日差しもほとんど変わっていないように思えた。広場を歩く人もまばらだ。
広場を歩いていたら、背の高い髭面の青年に英語で話しかけられた。思いつめたような顔をしている。あなたはコイズミを支持するのか、と聞かれた。日本の首相の名を彼は知っていた。彼の質問に答えた後、反射的につい、あなたはハタミ大統領を支持するのか、と聞いてしまった。瞬間、「しまった」と思った。我々にはそういう発言は許されないんだ、と彼は悶えるように答える。迂闊だった。この国の言論の自由がどの程度なのかわからない。少なくとも、この広場で政治の話をする気は毛頭なかったのだが。
バザールの方へ向かった。エマーム広場を突き抜けている道路がある。バザールへ行くにはどうしてもこの往来の激しい道路を渡らなければならないのだ。信号もなく、車が途切れることもなく、歩行者がいるからといって車が止まってくれるわけでもないこの道路を、一人で渡らなければならない。
現地の人たちを見ると、車と車とのわずかな間合いを機敏に縫って、当たり前のように渡っていく。自分には絶対できないと思った。でも、待っていては、いつまでたっても反対側へ渡れない。イラン人を盾にする作戦をとった。道路を渡ろうとする人の横に並んで、彼と同調して動くのだ。でも、「そのタイミングで出るのか…!」と呆気にとられて、なかなか難しかった。やっとのことで反対側へ渡った時、恐怖で心は震え上がり、冷や汗をかいていた。イランを旅していて怖いと思ったのは前にも後にもこのときだけだ。
ある店で、ガラムカール(ペルシャ更紗)のバッグを買った時、誤って一ケタ多い金種を店員に渡してしまった。イランの通貨はリヤルだが、日常的には、リヤルからゼロを一つだけとったトマーンという単位を使うため、頭が混乱するのだ。けれども、間違って余分に渡したお金をきちんと返してくれた。
エスファハーンの名物菓子ギャズを売る店にも行った。とても愛想の良いおじいさんと小学校2~3年生くらいのかわいい孫娘が店番していた。賞味期限を知りたかったが、パッケージに書いてある日付はペルシャ文字にイラン歴。向こうは英語が話せず、こちらはペルシャ語がわからずで、一苦労した。土産用に2箱買って、少しまけてもらった。
ミネラルウォーターを買おうとしていたある店先で、全身黒ずくめの若い女性二人が、「話をしてもいいですか?」と日本語で声をかけてきた。エスファハーン大学で日本語を勉強しているらしい。ここでもまた、女性の方から声をかけられてびっくりした。彼女らは、イランでも人気を博した日本のテレビ番組、『おしん』の話をした。母親が泣きながら見ていたという。

エスファハーンの夜

エスファハーンの夜夕食後、夜のエスファハーン散策へ出かける。町の様相が一変していた。一体、昼間はどこに隠れていたのかと思うほど、通りは人であふれかえっていた。道路は、夕涼みに繰り出す車で大渋滞である。どうやら、地元民は、体力を消耗する日中は室内でじっとしているようだ。体力を消耗する日中は休み、涼しくなった夜に出歩くのである。夜更かしには理由があった。炎天下に外を歩き回るのは観光客くらいか。
ザーヤンデ川にかかる橋の一つ、スィー・オ・セ橋に向かった。33(スィー・オ・セ)のアーチを持つことからそう呼ばれている。しかし、橋の上は身動きができないほどの大混雑で、我々は渡るのを断念した。
川岸も、涼みに来た人たちで一杯だった。アイスクリームを売る屋台の前に行列ができている。打ち上げ花火を手で持って上げているチャドル姿の若い女性たちがいた。キャーキャーと歓声を上げて楽しそうだったが、彼女らが打ち上げたロケット花火は、川沿いを歩く通行人の頭をかすめるような弾道で落ちていった。
その後、エマーム広場にも行った。たくさんの家族連れが、芝生で車座になって夜のピクニックを楽しんでいる。昼間をはるかに上回る大賑わいだった。小さな子供たちもそこらじゅうを走り回って遊んでいる。広場の向こうでは、イマーム・モスクが控えめな照明を浴びて、夜闇にうっすらと青く浮かび上がっていた。
ここは本当に「怖くて危ない国」なのだろうか。天国みたいな場所じゃないか。感激のあまりそう思った。