旅の空

イランの旅 2004

エスファハーン ~ ヤズド

朝のスィー・オ・セ橋  Si-o-se Pol

エスファハーンも今日で見納めだ。午後にはヤズドへ向けて出発する。ホテル出発は9時半なので、今朝もゆとりがある。スィー・オ・セ橋の方へ散歩に出かけた。チャハール・バーグ通りにはギャズを売る店がいくつか軒を並べているが、朝早いので、まだみんな閉まっている。
橋を歩いていると、通勤や通学なのか足早に歩く人たちと大勢すれ違った。
橋の両側は、日干しレンガを積み上げた塀になっているが、ところどころアーチが開いており、ザーヤンデ川や遠景を見渡せた。
川の中から、大きな噴水が吹き上がっている。その上に、小さな虹がかかっていた。
スィー・オ・セ橋Si-o-se Polスィー・オ・セ橋

マスジェデ・ジャーメ(金曜日のモスク)  Masjed-e Jame

エスファハーン:マスジェデ・ジャーメイスファハン:ジャーメ・モスクEsfahan:Masjed-e Jame
初期イスラム建築の傑作とされるモスクである。8世紀から建設が始まり、以後、何世紀にもわたって手を加えられたため、様々な時代の建築様式が混在していて面白い。元は拝火教神殿だったという。そのせいか、このモスクのドームは、ササン朝の宮殿建築を思わせた。柔らかい色の鍾乳石飾りや質素なドームが美しい。
イラン・イラク戦争時は、ここも空爆を受け、多数の犠牲者を出したという。モスクを攻撃することは、イスラムでは、たとえ、戦争中であっても許されない所業だとガイドのアミールさんは言った。
モスクのすぐ外はバザールだった。エマーム広場のバーザーレ・ゲイサリーエまで続く、総延長4kmものバザールだという。
バザールの店を冷やかしていたHさんが、何か黒いペースト状の食べ物をもらってきて、我々にもそれを分けてくれた。口に入れると、味噌のような味がした。
エスファハーン:マスジェデ・ジャーメイスファハン:ジャーメ・モスクEsfahan:Masjed-e Jame

ヴァーンク教会  Kelisa-ye Vank

17世紀、サファヴィー朝の王アッバース1世は、アルメニア人の商才を見込んで、彼らを都エスファハーンに移住させ、保護したという。今でも、エスファハーンには3万人近いアルメニア人が住んでいるという。
ここは、移住してきたアルメニア人が建てた教会である。外観はモスクのように見える。イランに教会があるというのが不思議な感じもする。
内部を見学し終わって中庭を歩いていたら、学生だという男二人連れに声をかけられた。日陰に入って少し立ち話をした。
日向にいると、日射が肌を突き刺すようだ。日のあたる場所と影との強烈なコントラストはほとんど現実離れしていた。
ヴァーンク教会Kelisa-ye Vankヴァーンク教会

イラン料理

イラン料理の味付けは、スパイスを強烈に効かせるということもなく、穏やかだ。日本人の口にも合うし、実際、おいしいと思う。しかし、鶏、牛、羊の違いはあれ、ケバブばかり続くと、暑さバテも手伝って、さすがに少々、食傷気味となる。
副食も、サラダは毎回決まってキュウリとトマト、デザートはスイカかメロンのどちらか、というように単調だ。でも、許せないのは、レストランに置いている飲み物の少なさだ。イランは、厳格なイスラム国家なので、アルコール類は一切、口にできない。選択肢は、ノンアルコールビール、ザムザム・コーラ、ファンタオレンジ、ドゥーグという塩味のヨーグルトドリンク、水のどれかだ。しかも、ファンタオレンジは置いていない店が時々ある。果物の種類は多い国なのだから、100%フレッシュジュースでも出せばいいのにといつも思う。

沙漠の道、ナーイーンへ  Na'in

昼食後、陸路、ヤズドへ向けて出発した。荒涼たる風景が何時間も続く。
途中、ナーイーンという町に立ち寄ってトイレ休憩した。沙漠の真っただ中にあるオアシス都市である。何時間も荒野を走ってきたせいか、町の緑を見てなんだかほっとした。
出発するためバスの座席に着いた我々を、車窓越しに手招きをする中年のイラン人女性がいた。一緒に写真を撮りたいので降りてこいというのだ。思い出深い一枚である。
ナーイーンへの道ナーイーンナーイーンの町にて

キャルバンサライ跡

キャルバンサライ跡ナイーンを出てヤズドへ向かう途中、キャルバンサライ(隊商宿)跡に立ち寄った。元は、かなり由緒ある建物だったように見える。日干しレンガを緻密な凹凸に組んだ装飾は、シーラーズのキャリーム・ハーン城塞に似ているが、このキャルバンサライは、至るところ崩れるにまかせてあり、維持・管理されている様子はなかった。勝手に住み着いている住人がいて、道具やゴミがそこかしこに散らかり、家畜まで飼っている。

ガナート跡

沙漠の真っただ中にバスが止まった。周りを見渡せば、電柱と道路がはるかかなたまで一直線に続いているばかりだ。ここに、ガナートあるいはカハレーズと呼ばれる地下水路跡がある。
沙漠といっても、イランの沙漠は、サハラ砂漠をイメージするような砂の砂漠ではなく、小さな石ころと固い土の土漠である。
ガナートには、遠くの山麓から引いてきた横穴に沿って、維持・補修のために、一定間隔で縦穴を掘る。縦穴の盛土跡が荒野の先まで点々と続いていた。
ここの日射は今までで一番強烈だった。バスの外気温計は43℃を表示した。冷房の効いた車内に戻ると、何よりまず服が熱くなっていることに驚く。こういう極端に乾燥した暑さの中では、半袖よりも、直射日光を遮ってくれる分、長袖の方が涼しく感じるのだ。
荒野ガナート跡

ヤズド  Yazd

ヤズドの夕暮れ夜7時近くになって、ようやく宿に着いた。ヤズドの町からは少し離れた場所にあるコテージ風のホテルだ。
夕食まで少し空き時間があった。手持無沙汰に外をブラブラ歩いていると、遠くの空に夕焼けが見えた。
庭に設けられた屋外席で夕食を囲む頃には、すっかり日が落ちて暗くなった。夜は、涼しいというより寒いくらいだった。