旅の空

イランの旅 2007

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成田~テヘラン

西・北イラン

2007年、2度目のイラン行きを思い立った。今回は、パッケージツアーでほとんど訪れることのないイラン西・北部へ。
今回は、イランへの個人旅行の手配を行うある会社を利用した。日本語を話せるガイド兼ドライバーと一緒に車でイランを巡るツアーだ。個人営業なので色々な意味で不安はあったが、メールでのやり取りを経て、信用できると判断した。
旅行料金には、宿泊費、飲食費、交通費、ガイド料、入場料が含まれ、現地でドル払いする。ホテルは先方で手配してくれるが、航空券とビザは自分で用意する。
全行程、完全オーダーメイドの旅である。西・北イランでは、シーラーズやエスファハーンなどと違って、一つの街に見どころが集中しているということがない。どうしても、点と点を移動する旅になる。
イランの地図を広げて、行き先とルートを、ああでもないこうでもないと考える時間が一番楽しかったかもしれない。

3年後のイラン

前回の旅行から帰った翌年、イランでは政権交代があった。国際協調、改革・開放路線を掲げる穏健派が選挙に敗れ、保守・強硬派のアハマディーネジャード政権が誕生した。それからというもの、核開発疑惑を発端とするイランと国際社会との対立は緊迫の度を増し、ちょうどこの頃、頂点に達していた。
アフガニスタン、イラクと戦争に踏み切ったアメリカ・ブッシュ政権が、イランにも攻撃を仕掛けるのではないか、そんな切迫感があった。旅行に行けるかどうかはひとえに国際情勢次第。祈る思いだった。
もうひとつ、不思議なニュースが飛び込んできた。あの世界有数の産油国で、ガソリンが1ヶ月100リットルの配給制になったというのだ。これに怒った市民によって焼き討ちをかけられたテヘランのガソリンスタンドの映像もテレビで流れた。このニュースも旅の不安要因に加わった。何しろ、広大な西・北イランの大地を全行程、ガイドの自家用車で回る旅だ。走行距離は、地図上でざっと計算してもゆうに2,000kmを超える。どう考えてもガソリン100リットルで足りるはずがない。イランに無事行けたとして、その後、計画どおりに旅ができるのだろうか。

ビザ

今回もイラン航空を利用することにした。イラン航空は、成田から週2便しか運航していないが、それでも直行便の便利さは替えがたい。帰りの便はぴったり2週間後。入国ビザも14日間を申請した。
ところが、送られてきたビザを見ると、有効期間が10日間になっている。すぐさま、旅行会社に確認を依頼したが、手違いなのか、あるいは、何か意図があってその日数なのか、要領を得ない。取り直す時間はない。たった4日間の不足のために、現地でビザ延長手続きをすることになった。旅程もビザ延長手続きを考えて修正を迫られた。とんだ番狂わせである。
もう一つ気がかりなことがあった。手書き部分に、一部、砂消しを使っていたり、「A」と書いた上から「B」を重ね書きしたりと修正の跡があったのだ。延長手続きの際、これが問題にならなければよいが…といやな予感がした。そして後日、この予感は見事に的中するのである。

チェックイン

いよいよ出発日がやって来た。
搭乗手続き開始時間近くになって、イラン航空の受付カウンターへ行ってみると、3年前の旅で利用した旅行会社の添乗員さんがいた。立ち話をしていると、イラン航空801便の出発時間が変更になったことを教えてくれた。
電光掲示板を振り返って、我が目を疑った。14:55発のはずが、22:00発になっている。約8時間の遅れだ。しかも、搭乗予定の機体がまだテヘランの空港にいると聞いて、どうしてこんなふざけた国に入れ込んだのだろうと後悔した。旅行も休暇も取り消したい気分になる。
しかし、イラン航空の対応は素早かった。ほどなくして、休憩用のホテルが手配された。夕食付である。空港を出て、ホテル行きのバスへ乗り込む。「チェックイン」の後に向かったのは、機内ではなくてホテル日航成田だった。
シャワーを浴びて、ベッドに横になる。ひどく妙な気分だった。夕食後、20:15発のバスで空港に戻る。
22:00発もたぶん遅れるだろうと思っていた。前回、ソウル経由で11時間くらいの飛行時間だった。離陸8時間前で飛行機はまだテヘランにいたのだから。しかし、搭乗予定の機体は、驚異的な速さで成田に飛んできた。搭乗ロビーで搭乗を待っていると、機長以下、乗務員が飛行機から降りてきた。交代で乗り込む機長・乗務員たちと笑って何か冗談を言っていた。

機内で 1

経由地の韓国・インチョン空港に到着する。3年前は出発まで機内で待っていればよかったのだが、今回は、全員、機内から出なければいけなくなった。パスポートチェックとセキュリティ・チェックを受け、乗継の手順でまた同じ機内に搭乗するという、あまり意味のない手続きをした。近くにいた里帰りのイラン人が「次は船で帰るよ」と言った。
何をしに行くのか、大勢の韓国の子供たちを乗せて、飛行機は再び離陸した。

機内で 2

8時間の遅れで体調が狂ったのか、頭痛がして気分が悪くなった。食事もほとんど喉を通らない。
これから始まる旅に胸膨らませる、といった期待感はかけらもなく、果てしなく続くと思われたフライトは、苦痛以外の何物でもなかった。