旅の空

イラン 2016

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ケルマーンとカーシャーン

ケルマーン

2016年の夏休みの旅行先として最初に考えていたのは、実はイランではなかった。

前回の旅の余韻がまだ続いている。あれほど濃密な旅はもうできないかもしれないと思った。3年が経とうとしているが、イランを再訪するにはまだ早すぎる気がしていた。

しかし、行先が決まらないまま時間が過ぎていき、結局、最後に残ったのはまたイランだった。予定の1ヶ月前になって慌てて航空券とビザの手配をする。

問題は6回目のイランでどういう旅をするかだ。初めは、エスファハーンやカーシャーンで自由気ままに過ごすフリープランを考えていたが、途中で考え直した。やっぱり、まだ行ったことのない町にまず行きたい。

そこへ思いついたのは、2015年に退避勧告が解除されたばかりのケルマーンである。イランを初めて訪れた2004年以来、ケルマーン行きは念願だったのだが、ケルマーン州に長い間、退避勧告が出ていたため、叶わなかったのだ。

国内手配の見積りを2社から取ったところ、どちらも予想外に高額だったのでびっくりした。同じ旅行内容で比較しても、この3年間で少なくとも数万円から十万円近く高くなった印象である。その要因としてはまず、いわゆるアベノミクスによって為替が円安方向に振れていることがあるだろう。加えて、宿泊費を始め、イラン国内の旅行単価が上昇しているのではないかと推測する。

核開発をめぐって長年、欧米と対立してきたイランだが、2016年1月に欧米との合意を履行したことで、これまでイランに課されていた経済制裁は解除されることになった。以来、ビジネスや観光で訪れる外国人が急増しているという。一方で庶民には、景気が良くなったとか、生活が楽になったという実感がさほどないらしい。

危険情報レベル2

前述のとおり、ケルマーン州には2007年10月から約8年間にわたって、外務省が発表している海外安全情報において、レベル1からレベル4まである危険情報のうち、最も深刻なレベル4の「退避勧告」が出ていた。

2007年に日本人旅行者がケルマーン州のバムで誘拐された事件はまだ記憶にあるかもしれない。ケルマーン州では過去に外国人旅行者が誘拐される事件が続発したことに加え、麻薬密売組織と取り締まりにあたる治安部隊との間で銃撃戦が度々発生していたという。同州を縦断するケルマーン・バム街道は、国境のあるスィースターン・バルーチェスターン州を経由してアフガニスタンから流入する麻薬の密輸ルートになっていると聞く。

そのケルマーン州に出ていた退避勧告が2015年4月になってレベル2(不要不急の渡航は止めてください)へと一気に2段階、引き下げられた。外務省の海外安全情報は、ケルマーン州について次のように記載していた。

ケルマーン州 :「レベル2:不要不急の渡航は止めてください。」(引き下げ) 
ケルマーン州においては,2007年~2008年にかけて,外国人旅行者の誘拐事案が連続して発生し,それを受けてイラン外務省から不要不急な渡航は避けるよう勧告が発出されていました。しかし,その後,イラン政府観光局,文化遺産庁及び内務省が連携して外国人観光客に対する安全システムを確立させ,外国人旅行者の安全にかかる情報を当局間で共有するシステムを構築するなど,安全対策が改善され,2014年には,イラン外務省による上記の渡航勧告も解除されました。実際,2014年中,同州においてテロ・外国人誘拐などの事件は発生しておらず,同州の治安情勢は改善し,現在も情勢は安定して推移しています。
ついては,同地域の危険情報を「レベル2:不要不急の渡航は止めてください。」に引き下げますが,渡航・滞在する場合には,最新の治安情報の入手に努め,特に夜間の一人歩きを控えるなど,特別な注意を払うとともに自身の安全対策に万全を期してください。

僕は、危険情報がレベル2に引き下げられるかなり前から、ケルマーンの治安は問題ないとイランで聞いていた。もちろん、退避勧告が出ているうちは行くつもりはなかったが。

ネットでもケルマーン州の最近の旅行記をちらほら見かけるようになり、とうとう退避勧告が解除されたわけだが、それでも、危険度が下がったとはいえ、「不要不急の渡航は止めてください」などという勧告が出ている地域を旅行することには正直なところ、不安やためらいがあった。

その状況で背中を押したのは、駐イラン日本大使が、ケルマーン州を訪問するよう日本の旅行者に勧告したとされるラジオイランの2015年5月20日付けの記事である。以下に引用する。

駐イラン日本大使、「日本の旅行者はケルマーン訪問を」
イラン駐在の羽田日本大使が、日本の旅行者に対して、イラン南東部のケルマーン州を訪問するよう勧告しました。
イルナー通信によりますと、ケルマーン州の史跡や観光地を視察するため、水曜、ケルマーン入りした羽田大使は、ケルマーンの空港で、責任者や記者を前に、「数年間の空白を経て、最初の日本人としてケルマーンを訪問できたことを嬉しく思う」と述べました。
羽田大使は、「現在、治安状況の改善により、この地域は危険がないと考える。日本の旅行者がこの州を楽に訪問できるよう期待する」と述べました。また、「私は一日本人としてここにやってきた。ケルマーン州を見学し、テヘランに戻ったらテヘランで暮らしている、あるいは東京にいる日本人にこの訪問の成果を報告したい」と語りました。
一方、ケルマーン州文化遺産・伝統工芸・観光総局のジャハーンシャーヒー次長も、「毎年2万人の外国人旅行者がケルマーン州を訪問する。ここ数年、外国人の数が増加しているが、日本人は訪れていない」としました。
さらに、「ケルマーン州はイランの面積の11%を占めており、世界遺産に登録されているバム城砦やマーハーンのシャーザーデ庭園など、史跡や古代遺跡もたくさんある」としました。
また、ケルマーン州は隠れた魅力の土地だとし、「我々は日本大使の誠意により、本日、日本の旅行者がこの州を訪れるための新たな扉が開かれることを確信している」と述べました。

現地の大使は、安全なので旅行に行ってはどうかとまで言っているのに、本省は、不要不急の渡航は止めるよう言っている。ケルマーン州は一体、安全なのか安全ではないのか。

旅行した経験から言えば、ケルマーンと周辺の観光地の安全性に関して、シーラーズやヤズドなどイランの他の都市との違いは感じなかった。現在の町の様子からは、ケルマーン州にかつて武装麻薬密売組織が出没していたことなど信じられないほどである。僕も現地に着いた当初はレベル2を意識していたが、そのうち、危険情報が出ていること自体をすっかり忘れてしまった。

悩ましいのは、現在のケルマーンが実際はいくら安全だと自分で思っていても、外務省がレベル2の危険情報を出している以上、周囲はそうは見てくれないということだ。たとえ他の町でも起こりうるようなトラブルであっても、レベル2の地域でそれに遭遇すれば、帰国後に面倒なことになるかもしれない。レベル2以上は、基本的には、行かない方がいいですよという勧告である。「十分注意してください」のレベル1とは数字の刻み以上に重みが違う。そういう地域だけに、現地ガイドを付けることは、自分にとっても家族にとっても安心材料になると思う。

なお、念のためにお断りしておくが、以上に書いたことは2016年8月時点での情報であって、その後の状勢の変化を反映していない。また、あくまで筆者の個人的な経験と考えに基づくものである。ここに書かれた情報に基づき行動した結果に筆者は責任を持てない。最新の状勢は外務省の海外安全情報などを確認の上、判断されたい。

アルゲ・バムをめぐる葛藤

ケルマーン州はイラン南東部に位置し、テヘランからの距離はおよそ千キロ、イランで3番目に大きい州ということだ。これは、ファールス州など他の州を旅する場合でも同じことなのだが、都市と都市とがかなり離れている上、移動手段は自動車に限られる。1週間やそこらで回れるのは、州都ケルマーンとその周辺ぐらいである。

大いに頭を悩ませたのは、アルゲ・バムに行くかどうかだ。アルゲ・バムは、アケメネス朝時代かそれ以前に創建を遡り、7世紀から11世紀にかけて最盛期を迎えたとされる城塞都市である。かつてはケルマーン州のみならずイラン観光の目玉であったが、2003年にバム一帯で起きた大地震によって、日干し煉瓦でできた遺跡は原型を留めないほどの壊滅的な被害を受けた。

遺跡の修復活動が進んだことで、2013年にはユネスコの「危機遺産リスト」から除外されたが、修復活動はその後も続いていた。イランの報道によれば、アルゲ・バムの修復作業は2016年中に完了するものの、遺跡の全てを地震前の状態に復旧するわけではなく、また、それは不可能であると考えているようだ。

2016年5月時点の情報によれば、アルゲ・バムの最上部にあって随一のビュー・ポイントとされる「領主の館」へはまだ入場できず、遺跡内は修復・保全活動のために組んだ足場が至るところに残り、遺跡内の立ち入りも制限があるということだった。

何より問題なのは、アルゲ・バムが遠いことだった。ケルマーンからは約180キロ、車で片道3時間ほどの道のりである。ケルマーンからの日帰りは不可能ではないが、見学する時間や帰りも行きと同じ時間がかかることを考えれば、かなりきつそうである。

アルゲ・ラーイェンとの兼ね合いも悩みどころだった。規模は比べられないものの、アルゲ・バムと同種の城塞都市遺跡である。もし、アルゲ・バムとアルゲ・ラーイェンの両方に行ったなら、両方の感動が薄れてしまうのではないだろうか…。悩んだ末、アルゲ・バムには行かない選択をした。そして、アルゲ・バムを割愛した代わりに、カーシャーン方面へ1泊2日の小旅行をすることにした。

とはいえ、ケルマーン州をまた訪ねる機会はもうないかもしれない。やはり、アルゲ・バムには行っておくべきではなかったかと思うことがある。

旅程

旅に出ると決めて、具体的な行先や行程をあれこれと考えるのはいつもながら楽しい作業だ。しかし今回は、旅程が決まってから出発の日が近づいても、旅行気分に全然、切り替わらない。まるで、仕事で決まった予定をこなすような気持ちのまま出発日を迎えてしまった。なぜだかわからない。

日数月日行程宿泊地
8/17 ・ドバイへ エミレーツ航空319便 成田21:20発 ドバイ3:00+1着 機内
8/18 ・テヘランへ エミレーツ航空971便 ドバイ7:45発 テヘラン10:25着
(1) テヘラン
 ゴレスターン宮殿、メフラバード空港で休憩
・ケルマーンへ マーハーン航空1055便 テヘラン18:20発 ケルマーン20:00着
ケルマーン
8/19 (2) ジューパール
 シャーザーデ・ホセイン聖廟
(3) ケルマーン
 ジャバリーエ・ドーム、アルダシール城塞、ドフタル城砦、金曜モスク、モアイェディー氷室、エマーム・ホメイニー・モスク
ケルマーン
8/20 (4) ラーイェン
 ラーイェン城塞
(5) マーハーン
 昼食、シャー・ネエマトッラー・ヴァリー霊廟、シャーザーデ庭園
(6) ケルマーン
 ゾロアスター教博物館、拝火神殿
ケルマーン
8/21 (7) ケルマーン
 ケルマーン国立図書館、ギャンジアリー・ハーン複合施設(広場、バザール、モスク、浴場、神学校)、ヴァキール・バザール、ヴァキール・チャイハネ
・テヘランへ マーハーン航空1054便 ケルマーン15:40発 テヘラン17:20着
テヘラン
8/22 ・マルキャズィー州へ(車)
(8) ホルヘ
 ホルヘの建造物
(9) デリージャーン
 チャール・ナフジール洞窟
・エスファハーン州へ(車)
(10) マシュハデ・アルダハール
 ソフラーブ・セペフリーの墓、ソルターン・アリーの聖廟
カーシャーン
8/23 (11) カーシャーン
 フィーン庭園、ボルージェルディーハー邸、タバータバーイー邸、アッバースィー家の歴史的邸宅(昼食)
(12) ニヤーサル
 ニヤーサルの拝火神殿、滝
・テヘランへ(車)
・ドバイへ エミレーツ航空978便 テヘラン22:20発 ドバイ0:15+1着
機内
8/24 ・成田へ エミレーツ航空318便 ドバイ2:50発 成田17:35着
旅の空

経済制裁の解除とほぼ時を同じくして、エアバス社やボーイング社がイラン政府と旅客機の大量購入契約を交わしたというニュースが流れた。彼らの抜け目のなさには感心させられるが、これは旅行者にとっても朗報だった。経済制裁のせいで老朽化した機体の更新ができずにいたイランの航空事情は劇的に改善されるのではないか、そして、もしかしたら、イラン航空は、休止していた成田からの直行便を復活させるのではないか、という期待がふくらんだ。

しかし、事はそう都合よく進まなかった。僕が旅行した時点ではまだ旅客機の現物は一機も納入されていなかったのだ。イランで空の旅が本当に便利で快適になるのはもう少し先のことだろう。結局、今回もまたエミレーツ航空で行くことになった。

そして、今回も行きのフライトでひどく体調を崩してしまった。成田を発って、ドバイで乗り継ぎ、テヘランに着いてからその日に空路でケルマーンへ。この移動が僕には耐えられないのかもしれない。テヘランから国内線に乗ってケルマーンへ着くまでの約2時間、頭痛と吐き気に苦しんだ。いくらイラン旅行が好きでも、移動がこんなにつらいようでは考えなくてはいけないと思った。少なくとも、直行便が復活するまで、イラン行きはやめよう、と。

前にテヘランへ着いたものの、発のケルマーン便に乗るまでにはかなり時間がある。しかし、テヘラン到着後の予定を決めていなかった。テヘランの主だった見所は過去5回の旅行であらかた行き尽くしている。ガイドの勧めでゴレスターン宮殿に行ってみたものの、体調が良くないこともあって、あまり興味がわかなかった。そのうちに立っているのもつらく感じられたので、早めにメフラバード空港へ行き、空港の礼拝室で横になって休ませてもらうことにした。礼拝室なので、当然、礼拝をしている人はいるが、昼寝をしている人も案外いた。

そういえば、空港でも町中でも、スマートフォンの画面をのぞき込む人たちが3年前にも増して目につくようになった。どこにいても大抵、メッセンジャー・アプリの着信音が聞こえてくる。イランで最も人気があるのは「テレグラム」らしい。

ケルマーン行きの便を運航しているのはマーハーン航空のみ、出発は、メフラバード空港の今まで利用したことのないターミナルからだ。1時間くらいの遅延はあるかもしれないと身構えていたが、ほぼ定刻どおりの離陸だった。マーハーン航空はテヘラン・ケルマーン路線でエアバスA300-600を飛ばしている。国際線で使うような300人乗りの機体だ。ビジネス客の利用が多いようで、見たところ機内は満席だった。

ケルマーンの空港はメフラバードよりはるかに小さく、つつましかった。迎えの車に乗り込んで15分ほど夜の町を走り、3連泊するホテルに着いた。ケルマーンはヤズドより南にあるので夏の暑さはより厳しいのかと思っていたが、標高の関係なのか、意外に涼しく感じられた。特に夜は、真夏だというのに半袖では肌寒く感じるほどだった。