旅の空

イラン 2016

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ジューパール、ケルマーン

シャーザーデ・ホセイン聖廟  Emamzade-ye Shahzade Hoseyn, Jupar

ケルマーンの約30キロ南にジューパールという田舎町がある。車で約30分ほどか。旅の始めに、この村の有名なエマームザーデを訪ねた。エマームザーデを辞書で引くと、「イスラム教シーア派のイマーム (教主) の子孫を祀った霊廟」とある。つまりは、シャーザーデ・ホセインを祀った霊廟なのだが、シャーザーデ・ホセインがいかなる人物なのか、正直なところ知らないし、興味がない。廟の建物が見たくてやって来ただけだ。

2004年版の『地球の歩き方』によれば、ジューパールは、スパイスやハーブの生産で知られる。小さいけれど、明るくて感じの良い町だ。なだらかな起伏が続く地形である。

目抜き通りの両側に並ぶ商店の店構えが思いのほか立派なのは、高台に建つ聖者廟を目当てにこの町を訪れる参詣客のおかげだろうか。現に、聖廟の周りの緑地や廟の敷地内と思われるところにまでテントが張られていた。

シャーザーデ・ホセイン聖廟、ジューパール | Emamzade-ye Shahzade Hoseyn ,Jupar

シャーザーデ・ホセイン聖廟が完成したのはガージャール朝時代だが、着工はサファヴィー朝時代だという。エスファハーンのモスクを彷彿とさせるのはそのためだろう。星型の幾何学模様が施されたドームといい、色調の異なる青を多用したタイルといい、タイルの青と日干し煉瓦のベージュとのコントラストといい、均整の取れた形といい、美しさではイランでも屈指のイスラム建築ではないかと思っている。

シャーザーデ・ホセイン聖廟、ジューパール | Emamzade-ye Shahzade Hoseyn ,Juparシャーザーデ・ホセイン聖廟、ジューパール | Emamzade-ye Shahzade Hoseyn ,Jupar

しかし、シーア派の教義やイマームの伝記に興味がない僕にとって、内部は特に見るべきものがなかった。実は、イランの聖者廟でよくみられる内部の鏡張りはどうも好きになれないのだ。

美しいドームやタイルを眺めながら廟を一周したが、30分もかからずに見終わってしまった。ジューパールにはこの聖廟の他に見所はないという。のっけから時間配分の目論見が狂った。ジューパールには、マーハーンへ行く途中か行った帰りに寄るべきところだろう。

ジャバリーエ・ドーム  Gonbad-e Jabalie

ケルマーンの町の東外れにジャバリーエ・ドーム(ゴンバデ・ジャバリーエ)と呼ばれる建造物が建っている。ジャバリーエとは、ゾロアスター教徒を意味するギャブリー(gabri)が転じたものだという。八角形に組み合わされた壁の上に日干し煉瓦造りの丸屋根が載っている。高さは10mほどか。壁面を砕石とモルタルによって積み上げた技法はササン朝建築のようにも見えるが、八角形の平面や頂点が尖った放物線のアーチは明らかにイスラム化以降の様式であり、ササン朝滅亡後にササン朝の建築技法を用いて建造されたものらしい。

ジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Gonbad-e Jabalie, Kerman

ドームの入口には、「石の博物館」(Muze-ye Sang)という看板を掲げてある。ケルマーンとその周辺で発掘された石碑など石にまつわる遺物が内部に展示されているが、このドームが建てられた目的も、史料がないためわかっていないのだという。

ジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Gonbad-e Jabalie, Kermanジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Gonbad-e Jabalie, Kerman

ただ、ケルマーンの拝火神殿にいたゾロアスター教司祭から聞いた話だが、現在、ケルマーンの拝火神殿で灯されている聖火はかつて、このジャバリーエ・ドームに安置されていたという。それが事実なら、ここは拝火神殿だったことになる。

ジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Jabalie Dome, Kerman

ジャバリーエ・ドームの位置から西を向けば、山の上に城壁が見える。ササン朝ペルシアを建国したアルダシール1世が築いたとされる城砦である。

ジャバリーエ・ドーム その2  Gonbad-e Jabalie

ジャバリーエ・ドームの周囲は広々とした芝生の園地になっており、その一角に不思議なオブジェが立ち並んでいる。

ジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Gonbad-e Jabalie, Kermanジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Gonbad-e Jabalie, Kerman

疾走する馬の群れ、それから、笛を吹く男とそれを取り囲むヤギ。馬の方は黒く分厚い鉄板を組み合わせた影絵だが、羊飼いとヤギたちの素材は何と車やバイクの廃部品なのだ。

ジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Gonbad-e Jabalie, Kermanジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Gonbad-e Jabalie, Kerman

この見事な造形センスとリアルな描写はどうだろう。立派な現代アートである。この一群のオブジェを制作したアーティストは一体、何者だろうか。

ジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Gonbad-e Jabalie, Kermanジャバリーエ・ドーム、ケルマーン | Gonbad-e Jabalie, Kerman
アルダシール城塞  Qal'e Ardashir

ケルマーンは3世紀、ササン朝ペルシア建国の祖であるアルダシール1世が建設したといわれるが、その歴史の証人ともいうべき遺跡が町の東、小高い2つの山にある。アルダシール1世が辺境の守りを固めるために築かせたとされる城砦である。

隣り合う2つの山それぞれに城砦があり、ドフタル城砦という呼び名もあるが、それがアルダシール城塞の異名なのか、2つの山にある遺跡をそれぞれ区別して呼んでいるのか判然としない。ここでは、低く長い尾根の山にある方をアルダシール城塞、高くて急峻な山にある方をドフタル城砦と仮に呼んでおく。

アルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kerman

ケルマーンの町発祥の遺跡であるにもかかわらず、アルダシール城塞(ドフタル城砦)は、観光名所として認知されているとは言い難く、ネットにも全くといってよいほど情報がない。だが思うに、ケルマーン最大の見所は実はこの城塞である。

アルダシール城塞、ケルマーン | Qal'e Ardashir, Kermanアルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kerman

ドフタル城砦の名前が付いた公園で車を降り、長い尾根へと続く緩やかな坂を上る。駐車場から見えた遺構は、最も外側に位置することもあり、城壁の一部ではないかと思うが、近くに大きな開口部を持った部屋もある。

表面部分は溶けて土に還りつつあるものの、日干し煉瓦の形をいまだ留めていることに驚く。城塞というだけあって、壁の厚みは相当なものだ。

アルダシール城塞、ケルマーン | Qal'e Ardashir, Kerman

遺跡の全貌を目にして度肝を抜かれた。東に向かって伸びる山筋に沿って、日干し煉瓦で造った建造物の残骸が散在しているのだ。もはやこれは大遺跡といってよい規模である。これほどの遺跡がどうして無名に近い状態でいるのか、理解に苦しむ。

城塞からはケルマーンの街並みが見下ろせる。ケルマーンの町は広大な平原にあるものの、周縁部は山がちな地形である。特に、東側は州を縦断する峻嶮な山並みに塞がれ、さらにその東には、夏は気温60度にも達するという砂漠がアフガニスタン国境近くまで広がっている。まさに要害の地といえよう。

アルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kerman

遺跡内は基本的に通路が整備されておらず、前に人の歩いたところが道になっているにすぎない。傾斜があって、非常に滑りやすいところもある。断崖の際のような場所でも手すりや安全柵などはない。

自分の足で踏みしめているのが元々の山肌なのか、それとも日干し煉瓦が崩れた土なのかわからない。

アルダシール城塞、ケルマーン | Qal'e Ardashir, Kerman

イラン西北部にケルマーンシャーという町がある。ケルマーンシャーという名前は、ササン朝ペルシアの時代、即位する前にケルマーンの総督をしていてケルマーン王(シャー)と呼ばれたバハラーム4世が建設したことに由来するという。この城塞は、ケルマーン王の居城であったのだろう。

アルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kermanアルダシール城塞、ケルマーン | Qal'e Ardashir, Kerman

尾根の南端へ近づいた。下の写真で高い山の上に見えるのがドフタル城砦である。こちら側の山とあちら側の山とでは500メートルほどの隔たりがある。

アルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kerman

尾根の南端で傾斜が一段と急になる。これ以上登るのは危険だと現地ガイドから止められた。

自分でも信じられないことだが、の体調不良は一体どこへやら、照りつける太陽さえ物ともせず、それこそ何時間でも歩いていられそうなくらい元気になっていた。

アルダシール城塞、ケルマーン | Qal'e Ardashir, Kerman

奥まったところにある遺構が目に留まる。独特の存在感を放っているように感じられた。近づいてみると、この遺構の周りに集中して夥しい数の陶器や石材の破片が散乱していた。何か重要な施設があったのだろうか。

アルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kerman
アルダシール城塞 その2  Qal'e Ardashir

次の観光場所へ移動するため、車を出した直後のことだった。先ほど登った山の反対側に回り込んだところで、さっき見たものとは違う遺跡が不意に現れる。慌てて車を道端に止めさせ、はやる心を抑えて早足に遺跡の方へ向かう。周囲は何の変哲もない住宅地であった。

アルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kerman

住宅地の先の緩やかな斜面に建っていたのは、日干し煉瓦造りの大きな城門と分厚い城壁だった。高さは目測で7メートル程度か。こんな遺構があるとは全く思いもよらないことだった。

アルダシール城塞、ケルマーン | Qal'e Ardashir, Kerman

このときはまだ全体像がつかめていなかったのだが、城塞が建つこの山は、ちょうど記号の「~」(チルダ)のような形をしており、尾根の長さは700メートル余り、幅は最大で約100mに達する。その曲がりくねった長い尾根に遺跡が散在しているのだ。

尾根に続く城壁の遺構をたどっていくうち、広大な荒地に出た。そこでまたしても度肝を抜かれることになる。

アルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kerman

全長は100メートル近くになろうか。山裾から徐々にせり上がってゆく尾根に沿って、城塞の遺構が連なっている。アルダシール城塞で見てきたものの中で最も保存状態の良い遺構である。しかも、今までのものと比べると優美ささえ感じられる。50メートルほど離れたところには城の塔のような遺跡もあった。目測だが、それぞれの高さは、城壁が最大部分で約8メートル、塔は約10メートルといったところだ。

アルダシール城塞、ケルマーン | Qal'e Ardashir, Kerman

この遺跡は、単に日干し煉瓦を積んだ防塁ではない。四方に壁のある建物だったはずである。支柱部分には美しいアーチ構造が見て取れる。アーチがあるということはその上に屋根がかかっていたかもしれない。

アルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kerman

これと同じような遺跡をどこかで見たような気がする。そうして思い当たったのは、フィールーザーバードのドフタル城砦である。ドフタル城砦で、アーチ形の入口から本丸へ上がるまでの通路は壁と天井で塞がれた暗い空間であったことが強く印象に残っている。

アルダシール城塞、ケルマーン | Qal'e Ardashir, Kerman

単なる憶測の域を出ないが、フィールーザーバードのドフタル城砦の復元予想図別図)を見ていると、アルダシール城塞もこれと似た構造だったのではないかと思えるのだ。

アルダシール城塞、ケルマーン | Ardashir Castle, Kerman
アルダシール城塞 その3  Qal'e Ardashir

アルダシール城塞の思いがけぬ偉容を目の当たりにして、僕はむしろ絶望めいた気持ちになった。こんな大遺跡をたった1時間や2時間で見て回れるはずがない、と。事前にそれがわかっていたら、旅の計画は全然違うものになっていた。

もう長いこと、ガイドと運転手を離れた場所で待たせているのが気になっていた。城塞が建つ斜面は思いのほか急で、しかも、乾いた土のため滑りやすくなっている。山に登るのはやめた。

それにしても、あのとき車を停めていなかったら、おそらくここに来ることはなかっただろう。この遺構の存在を知ることもなかったはずだ。身勝手かもしれないが、僕をこの場所に連れて来ようとしなかったガイドには大いに不満が募った。

ガイドの話からも、一般のイラン人はどうやら、たとえそれがササン朝時代のものかもしれないとしても、日干し煉瓦の残骸などに興味は持たないようだ。アルダシール1世が創建した謂れある城塞だが、惜しむらくは、相応の名声を博しているわけでもなければ、さほど大事にされているようにも見えない。