旅の空

レバノン 2019

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サイダと海の城

サイダ  Saida

エシュムン神殿からサイダ旧市街にバスで向かう途中、オスマン建築のようでもあり、マムルーク建築のようでもある新しいモスクが幹線道路沿いに見えてくる。

ハリーリー・モスク」の通称で呼ばれるこのモスクは、この街出身で、かつてレバノンの首相を務めたラフィーク・ハリーリーが故郷に寄進したものだ。彼はサウジアラビアで実業家として成功して財をなし、サウジアラビア国籍も保有していたという。ラフィークは2005年にベイルートで爆弾テロによって暗殺されたが、息子のサアドもまた後にレバノンの首相を務めた。レバノン第3の街といわれるサイダは、ハリーリー家の地盤というよりは、レバノンの歴代首相を輩出してきたスンニ―派イスラム教徒の地盤といえる。(参照:1988 distribution of Lebanon's main religious groups

この街は、1950年に敷設され、サウジアラビアから1648キロメートルに渡って伸びていた石油パイプライン、トランス・アラビアン・パイプラインの終点であり、ヨーロッパ向け原油の積出港であった。このパイプラインは1983年にサイダへの送油を停止し、1990年にはパイプライン自体が役割を終えたということだが、サイダはかつてサウジアラビアにとって縁の深い街だったのだ。(参考:アラムコ・ジャパン、TAPライン:偉大なる遺産

2017年、そのサウジアラビアを訪問中だった当時の首相、サアド・ハリーリーが突如として辞任を表明し、帰国後にそれを撤回するという不可解な出来事があった。サウジアラビアが陰で糸を引いていたのではないかとの憶測もあったが、彼は後に、唐突に辞任を発表したのは、ヒズボラとイランによって自らが暗殺される危険を回避するためだったと述べた。サアドの父、ラフィークを暗殺した下手人は未だ捕まっていないが、ヒズボラの構成員であったと目される。

かつてはエジプトやアッシリア、バビロニア、ペルシアであった国々が、現代はサウジアラビアやイランに取って代わったものの、レバノンが周辺の大国の都合に振り回される構図は変わっていない。

サイダ旧市街  Saida Old City

フェニキア時代に都市国家シドンがあったサイダは南国ムードも漂う明るい港町だ。ベイルートから40キロメートルほど南へ来ただけなのに陽射しは格段に強い。

サイダ旧市街|Saida Old Cty

ファラフェルはヒヨコ豆を潰して揚げたコロッケのようなもので、レバノンの名物料理である。サイダにはガイドおすすめの名店があり、昼食前のおやつとして御馳走になる。出来立てが美味しいのはどんな料理も同じらしく、この店で食べた揚げたてのファラフェルがあまりに美味しかったせいで、それ以後、食事の度に大抵テーブルに出てくるファラフェルをさほど食べたいと思わなくなってしまった。

サイダ旧市街|Saida Old Cty
海の城  Sea Castle(Qala'at Saida el-Bahriya)

サイダで一番の見所といえば、やはり「海の城」だろう。海岸から80メートルほど沖の岩礁に築かれた城塞で、城塞までを渡す石造りの橋もある。(参考:レバノン政府観光省サイト「Sidon」、パンフレット「Saida」)

海の城、サイダ(シドン)|Sea Castle, Saida (Sidon)

海の城は13世紀に十字軍が築いた城塞だが、城壁の一定間隔にはめ込まれた円形の石材は、ローマ帝国時代の円柱を転用したものだ。十字軍はビブロスの城塞を築いた際にも同じことをした。

ここにローマ時代の建造物があったとすれば、それはフェニキア時代からあったとも考えられる。ビブロスやこの後で訪ねるティール(ティルス)の例を考えると、建築物がローマ様式に置き換えられはしても、フェニキア時代の都市や施設はローマ時代になっても使われ続けたからだ。

海の城、サイダ(シドン)|Sea Castle, Saida (Sidon)

この海の城にはかつてメルカルト神を祀った神殿があった、そう書いているウェブサイトはいくつかあったものの、その根拠にまだたどり着けていない。(参照:Wikipedia, Sidon Sea Castle

グレン・E・マーコウは、著書『フェニキア人』(片山陽子訳 創元社 P.106)で、港を防衛するための塔や城塞といった施設がここに存在していた可能性があると述べている。海の城にほど近い北側の港は、現在は漁港として利用されているのみだが、フェニキア時代にはエジプト港と呼ばれていた古い港である。その旧エジプト港の出入口にあたる位置に海の城は建っており、フェニキア人がここに城塞を築いていたとしてもおかしくない。

海の城、サイダ(シドン)|Sea Castle, Saida (Sidon)

ここには十字軍の城塞だけでなく、マムルーク朝時代に増築されたらしい建造物もある。しかし、僕はフェニキア時代の名残をひたすら探した。建築の専門知識を欠く僕には結局、それがあったともなかったとも、確かなことは何も言えないのであるが。

海の城、サイダ(シドン)|Sea Castle, Saida (Sidon)

城塞の上物は十字軍が造り替えたにしても、少なくとも基礎部分にはフェニキア時代の構造物が残されているのではないだろうか。

海の城、サイダ(シドン)|Sea Castle, Saida (Sidon)

海の城の先端部では、建物が崩壊しており、土台部分が露出して波に洗われている。ここはウォーターフロントどころか、海の中であろう。このような場所に遺跡があること自体が新鮮な驚きで、感銘を受けた。こんな海の真っただ中に建物を造ろうと考えるのはフェニキア人くらいのものではないか。

海の城、サイダ(シドン)|Sea Castle, Saida (Sidon)

海の城で最も印象深かったのは、最上部から望む港湾都市サイダの素晴らしい眺めである。岸から100メートル足らずの距離ではあるが、少し沖に出ただけで、見える景色がこれほど違うものかと思った。

海の城、サイダ(シドン)|Sea Castle, Saida (Sidon)

西側にある塔は保存状態が良く、なかなか見応えのある造形だが、見ていて違和感を覚える。それが何故なのか少し考えて気付いたのは、石積の壁に使われている切石の大きさや面の処理が不揃いなのである。石のブロックを積んで建物を造ろうとすれば、普通は石の大きさや面を揃えるものではないだろうか。城塞を築くために、手近なあり合わせの石材を流用したことがうかがえる。

海の城、サイダ(シドン)|Sea Castle, Saida (Sidon)

それで、フェニキア都市シドンは一体、どこにあったのだろうか。誰も、かつてシドンの王宮はあそこにありました、という具合に教えてはくれない。シドンはおそらく、現サイダの街の下に埋もれてしまっているのだ。

シドンは多分、海の城を含んだ海沿いの旧市街域にあったのだろう。フェニキア時代から現在に至るまで、この街には人が住み続けており、現在の旧市街もまた中世アラブの古い街並みを残す歴史遺産である。発掘調査によってフェニキア都市シドンの全貌が明らかになることはもう期待できないのかもしれない。

追記 2023/8/13

上に、フェニキア都市シドンはサイダの街の下に埋もれてしまっており、発掘調査で再び日の目を見る機会はもうないかもしれないと書いたのは正確ではなかった。レバノンの考古当局がサイダ旧市街で遺跡埋蔵地として1960年代に収用していた3箇所の土地で1998年以降、大英博物館が10年以上に渡って発掘調査を行っていたことを後から知った。(Sidon Excavation

一連の発掘調査によって、紀元前3千年紀の前期青銅器時代にまで遡る各時代の層から多数の遺構と遺物を確認するなど、目覚ましい成果を上げたようである。写真を見た限りでは、質的にはビブロスに勝るとも劣らない、目を見張るような遺跡だ。

レバノンの考古当局がそれらの土地を収用することになった契機は、学校建設のための基礎工事中に地中から極めて重要な遺物が発見されたことだったという。古代都市シドンの姿がさらに明らかになる機会があるとすれば、今後もおそらく同様に基礎工事などで地面を掘るときなのだろう。

サイダの市場にて In a Old Suq of Saida

サイダ旧市街のスークを少し散策する。スークはアラブの伝統的な市場で、イランのバーザールと同様、同業者が同じ区画に集まって店を構えているのが特徴だ。

サイダのスーク|The Old Suq of Saida

サイダのスークには古い建物がよく残っている。スークの内部は建物同士が身を寄せ合うようにして建っているため、通路の幅が非常に狭い。また、アーケードになっている区間もあり、高い建物に遮られて陽射しがあまり届かないため、昼間でも暗い。だが、これは夏の強烈な陽射しと暑さをしのぐための知恵なのだ。反対側から来る人ひとりとようやくすれ違えるくらいの幅しかない通路を人や荷車がさかんに行き来する。

サイダのスーク|The Old Suq of Saida

ある土産物屋の店先で、「MUREX」という手書きの表示で、白っぽい巻貝の貝殻がプラスチックのカゴ一杯に入って売られていた。Murexとはアクキガイ科の巻貝のことで、フェニキア人はこのアクキガイ科のツロツブリやシリアツブリといった貝の身から紫色の染料を採取する技術を確立し、それを独占的に販売することで莫大な富を得ていたといわれる。貝1個からはごく少量しか採れないため、この染料で染めた布地は非常に高価で、王など身分の高い人物しか着用できなかったという。

アクキガイ科の巻貝と貝紫|Murex and Royal Purple

サイダ旧市街域のすぐ外側に、染料を採って用済みになった貝殻の捨て場があるそうだ。「Murex Hill」と呼ばれるその貝塚はかつて、長さ100メートル、高さ50メートルにも達していたというが、残念ながら周囲の開発に伴って消失しつつあるようだ。

サイダ|Saida

海岸通りにあるレストランで昼食をとった。地中海リゾートとしての顔を併せ持つサイダの素晴らしい景色を2階席から望む。我々の料理には出てこなかったと思うが、見たこともない魚が店の冷蔵ショーケースに何尾も並んでいた。