旅の空

詩の小径

4

木下夕爾「晩夏」

木下夕爾

木下夕爾(きのしたゆうじ)をご存じでしょうか。1914年、広島県福山市に生まれ、戦前から戦後にかけて郷里で創作活動を続けた詩人・俳人です。1965年に50歳という若さで亡くなりました。

少々長くなりますが、『定本 木下夕爾句集』(牧羊社)に寄せられた安住敦による後書を以下に引用します。

木下夕爾は大正三年広島県福山市に生まれた。県立府中中学を卒えて上京、早稲田第一高等学院に学んだが、家庭の事情から名古屋薬専に転じ、卒業後は郷里に帰って家業の薬局を継ぎ、終生家郷の地を離れなかった。この作家が新進詩人として堀内大学に見出されたのはその名古屋薬専時代のことであり、その後、詩集「田舎の食卓」によって文芸汎論詩集賞を受け詩壇に確固たる地位を占めたのは昭和十四年のことである。

…もっとも、この作家の場合、遠く中央を離れて終始郷里福山の地にあったということ、またそのひかえ目で孤独な性格から、凡そはなばなしい在り方とは縁はなかったが、それだけ、むしろ具眼の士はひそかにこの作家に瞠目し、その作品を高く評価した。

…かくて木下夕爾は、すぐれた詩人であると同時にすぐれた俳人として、それぞれ珠玉の作品を残した。木下夕爾にあって、詩と俳句は、別のものであって別のものでなかった。その詩が純粋なようにその俳句もまた純粋だった。その詩が清新なようにその俳句も清新だった。ときに同じモチーフから詩と俳句が生まれることがあっても、詩は詩として、俳句は俳句としてそれぞれ美事な開花を示した。詩壇俳壇を通じて稀有の例である。天与の凜質によるものであろう。

邂逅

さて、筆者は、詩や文学に決して明るいわけではありませんが、木下夕爾の詩とは不思議な因縁があります。それは、邂逅とでもいうべき廻り合わせでした。

木下夕爾の詩に最初に出会ったのは中学生のときのこと。夏休みの宿題として渡された教材に「晩夏」という詩が載っていました。

晩夏

停車場のプラットホームに

南瓜の蔓が葡いのぼる


閉ざれた花の扉のすきまから

てんとう虫が外を見ている


軽便車が来た

誰も乗らない

誰も下りない


柵のそばの黍の葉つぱに

若い切符きりがちょっと鋏を入れる



『晩夏』~『定本 木下夕爾詩集』(牧羊社)

まるで、夏の強烈な季節感がこの短文の中に瞬間冷凍されてしまったかのよう。その頃、夏が特別な季節だった僕には、少なくともそう感じられました。夏を謳った作品が多いことから、木下夕爾にとってもそれは同じだったのではないかと推測します。

そして、この詩で描かれた「ひと気のない田舎の駅」の情景は、ちょうど僕が住んでいる町の駅を彷彿とさせるものでした。今でこそ、駅の改札をくぐるときはICカードに自動改札ですが、僕が子供だった頃は、どの駅でも駅員が改札に立っていて、厚紙でできた切符に鋏を入れていたものです。

木下夕爾の詩の特徴として、「映像を想起させる力の強さ」が挙げられると思います。文字を読んだ瞬間、ある光景が脳内で独りでに像を結ぶといえばいいでしょうか。

この詩はその後もずっと僕の印象に残っていましたが、いつしか肝心の作者の名前をすっかり忘れてしまいました。

木下夕爾の名を再び目にするのは大学生になってからです。現代詩に詳しく、自ら詩作もするという先輩に、この詩の話をしたのです。しかし、作者の名前を思い出せません。その先輩も木下夕爾は知らなかったようでした。

その後、大分たってから、その先輩から年賀状をもらう機会がありましたが、それに思いがけず、木下夕爾の名が書いてありました。全く別の用件で本を読んでいたら、たまたま件の詩を目にしたというのです。今にして思えば、この一件も何か運命的なものを感じます。

それ以後はもう木下夕爾の名前を忘れることはありませんでしたが、僕はそれ以上の興味を持つわけでもなく、彼の作品とは関わりのない日々を送ってきました。

木下夕爾の詩と3度目に会ったのは、それからさらに10年近くが過ぎて、社会人になってからのことです。北村薫の『リセット』という小説を読んでいたら、木下夕爾の詩が出てきたのです。

新しい季節の手

化学教室の白い窓框に

のびあがり のびあがり

攀緑植物が優しい手をかける


その翼をヂュラルミンのやうに光らせて


友よ また秋がやって来た

(以下略)


『田舎の食卓』~『定本 木下夕爾詩集』(牧羊社)

木下夕爾の詩は、期せずして僕の前に三度も現れました。もはや、単なる偶然とは思えず、木下夕爾に何か引き寄せられているような気がしてきました。

今度という今度は、彼の他の作品を読んでみたくなりましたが、ネットで調べたところ、新刊として普通に手に入る彼の作品は「児童詩集」のみ。昭和47年に発行された全集『定本 木下夕爾詩集』は、とうの昔に絶版となっていました。最寄りの図書館にもあいにく蔵書はなく、手に取って見るには、もはや東京・神田の古書店へ行くしかなさそうでした。

幸い、神田の古書店街では各書店の商品がネットで検索できる共同のデータベースが構築されていましたので、どの店に在庫があるかはすぐにわかりました。しかし、昭和47年当時に定価3千円だった全集は、30年以上経った今では古本価格で5万円に跳ね上がっています。いかにこの本が希少であるかがわかります。

そのままネットで注文することもできましたが、さすがに5万円という価格には躊躇しました。でも、今回は読んでみたいという気持ちが強くあります。そこで、神田の古書店まで出向いて現物を見てみることにしました。中をちょっと開いてみて、もし、自分が知っている詩のほかにも気に入る詩があれば買うし、なかったらやめるつもりでした。

古書店の棚で、宝探しをするような気分でようやく見つけた木下夕爾全集は、外箱が油紙で包装されていました。店主に断った上で中の本を取りだすと、図書館に置いてある古い本のような匂いがしました。

そして、本を開いて、最初のページにある詩を読んだとき、僕はもうこの本を買うしかないと思い始めました。それは、木下夕爾のデビュー作である『田舎の食卓』という詩集に収められた詩です。

都会のデッサン

 Ⅰ

日曜日―僕らは幸福をポケットに入れてあるく 時々取出したり又ひっこめたりしながら 磨かれた靴 軽い帽子 僕らは独身もののサラリイマンです さうして都会よ 君はいつでも新刊書だ オレンヂエエドの風のあとに 見たまへあの舗道の上 またもプラタヌの並木の影はいつせいに美しい詩を印刷する 爽やかな拍手とともに


 Ⅱ

百貨店―エレベエタアよ 気が向いたら地獄まで墜ちてくれたまへ 天国まで昇ってくれたまへ―ここは屋上庭園だ 遠い山脈 そして青空とアドバルウン ああ今僕らは感じる あの金網の動物たちよりももつと悲しく 都会よ 君の巨(おほ)きな掌(てのひら)に囚(とら)へられてゐる僕ら自身を


『田舎の食卓』~『定本 木下夕爾詩集』(牧羊社)

長い不在
長い不在

かつては熱い心の人々が住んでいた

風は窓ガラスを光らせて吹いていた

窓わくはいつでも平和な景をとらえることができた

雲は輪舞のように手をつないで青空を流れていた

ああなんという長い不在

長い長い人間不在

一九六五年夏

私はねじれた記憶の階段を降りてゆく

うしなわれたものを求めて

心の鍵束を打ち鳴らし


『定本 木下夕爾詩集』(牧羊社)

さて、木下夕爾は現在、どれほどの知名度があるのでしょうか。「一般の人はおろか、現代詩人の中にさえその名を知る人は少ない」と研究者が書いているくらいですし、何より、作品の出版状況を見れば、忘れ去られたも同然といってよいのではないでしょうか。

しかし、果たしてそれでいいのだろうかと素人ながら僕は思います。飾らないけれど研ぎ澄まされた彼の言葉は心奥を鋭く照らし、自分では感じ取ることができなかった新しい風景を見せてくれます。彼の詩は、むしろ、一般受けしてよさそうに思えるのです。

そして、蛇足ですが、僕が木下夕爾の詩をこのサイトで取り上げたのはもう一つ理由があります。先に紹介したソフラーブ・セペヘリーの詩に、木下夕爾と感覚的に非常に近いものを感じるのです。

帰来

僕はゐる さまざまの場所に

昔のままのやさしい手に

責められたり 抱かれたりしながら


僕はそこにもゐる

酸っぱいスカンポの茎のなかに

それを折るときのうつろな音のなかに


僕はそこにもゐる

柿若葉の下かげに

陽のあたる石の上に

トカゲみたいに臆病さうに


僕はそこにもゐる

ながれのほとりの草の上に

とらえそこねた幸福のやうに

魚の光る水の中に


僕はそこにもゐる

土蔵のかげ 桑の葉のかげに

アイヌ人みたいに

口のほとりに桑の実の汁の刺青をして


僕はそこにもゐる

小鳥が巣を編む樹の梢に

屋根の上に

略奪の眼を光らせて


僕はそこにもゐる

しその葉のいろのたそがれのなかに

とほくから草笛のきこえる道ばたに

人なつかしくネルの着物きて


ああ僕はそこにもゐる

井戸ばたのほのぐらいユスラウメの木の下に

人を憎んで

ナイフなんど砥いだりしながら


『生れた家』~『定本 木下夕爾詩集』(牧羊社)

室楽

ドアが閉じられる

コップの水が鳴る

遠い街景は

輪切りのレモンの中に


『定本 木下夕爾詩集』(牧羊社)

午前

晴天が美しい首を見せる

風がたうもろこしの髪をゆすぶる

あをい麦酒のやうに

若葉が沸騰してゐる

あ 大脳をかすめて

水上機がとんでゆく

そして僕らを置去りにする

明るい硝子壜の底の方に……


『田舎の食卓』~『定本 木下夕爾詩集』(牧羊社)