旅の空

詩の小径

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フォルーグ・ファッロフザード 「風がわたしたちを運んでゆく」

風が吹くまま

フォルーグ・ファッロフザード(1935~67)はテヘラン生まれの女性詩人です。自動車事故によって32歳という若さで亡くなりましたが、ソフラーブ・セペフリーと並んでイランでは最も人気のある現代詩人だということです。

ファッロフザードの詩を知ったのもやはり、アッバース・キヤーロスタミー監督の映画がきっかけでした。最高傑作との呼び声高い『風が吹くまま』(bād mā rā khāhad bord)という作品の題名はこの詩から取られたものです。

また、劇中、クルド人の村を訪れた主人公がある民家へ牛乳を分けてもらいに行くシーンで実際にこの詩が出てきます。赤い服を着た16歳の少女が牛乳を搾っている間、主人公がこの詩を朗読して聴かせますが、暗がりにいる少女は、会話には応じるものの、顔を見せようとはしません。しかし、主人公から牛乳代を受け取った母親に少女が抗議してお金を返させたのはきっと、美しい詩を聴かせてくれたことに対するお礼だったのでしょう。実にぴったりな場面でうまい使い方をしていると、この詩を訳して改めて思いました。

ファッロフザードの詩集は2009年だったか、2010年だったか、やはりテヘランの書店で購入しました。この詩は未収録ですが、『現代イラン詩集』に彼女の詩も何編か紹介されています。どれもみな、痛々しいまでの鋭い感受性が溢れています。

Bād mā rā khāhad bord


dar shab-e kūchak-e man, afsūs

bād bā barg-e derakhtān mī'adī dārad

dar shab-e kūchak-e man delhore'ī vīrānīst


gūsh kon

vazesh-e zolmat rā mī-shenavī?

man gharībāne be īn khoshbakhtī mī-negaram

man be noumīdi-ye khod mo'tādam

gūsh kon

vazesh-e zolmat rā mī-shenavī?


dar shab-e aknūn chīzī mī-gozarad

māh, sorkhast va moshavvash

va bar īn bām ke ham lahze dar ū bīm-e forū rīkhtan ast

abrhā, hamchon anbūh-e 'azādārān

lahze'ī bārīdān rā gū'ī montazerand


lahze'ī

va pas az ān, hīch!

posht-e īn panjare shab dārad mī-larzad

va zamīn dārad

bāz mī-mānd az charkhesh

posht-e īn panjare yek nāmā'lūm-e negarān-e man o toust

ey sarāpāyat-e sabz

dasthāyat rā chon khātere'ī sūzān, dar dastān-e 'āsheq-e man begozār

va labānat rā chon hessī garm az hastī

be navāzeshhā-ye labhā-ye 'āsheq-e man besepār

bād mā rā bā khod khāhad bord

bād mā rā bā khod khāhad bord



【私訳】
風がわたしたちを運んでゆく

わたしの小さな夜、ああ

風が木々の葉と逢引きする

わたしの小さな夜には言い知れぬ不安が潜んでいる


聴いて

闇の吹き荒れる音が聞こえる?

目の前の幸福がまるで他人事のよう

わたしは絶望に浸りすぎてしまった

聴いて

闇の吹き荒れる音が聞こえる?


この夜、今、何かが通り過ぎようとしている

今にも崩れ落ちそうな屋根の上で

赤く不安げな月

哀悼者の一団のような雲は

まるで雨が降り出す瞬間を待っているかのよう


ただ

刹那があるだけ

窓の向こうでは夜が震えている

そして地球は

それでも回転を続けている

窓の向こうでは見知らぬ人が

わたしとあなたの心配をしている

ねえ、全身緑のあなた

思い出に燃えるあなたの両手を恋するわたしの両手の上に置いて

そして命の温もりを感じさせるあなたの唇を

恋するわたしの唇に優しく重ねて

風が自分と一緒にわたしたちを運んでゆく

風は自分と一緒にわたしたちを運んでゆく