旅の空

ペルシアと奈良

5

万葉集の中のガーサー
燃える火と袋

万葉集 巻第二 160
燃火物 取而嚢而 福路庭 入澄不言八 面智男雲(面知日男雲)
燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずや 面智男雲
 【訳】
燃える火をも取って包んで袋に入れるというではないか。面智男雲

天武天皇が崩御した際の太上天皇(天武皇后、後の持統天皇)御製歌という題詞が付いたこの歌は、古来より難訓とされているという。結句の「面智男雲(面知日男雲)」という万葉仮名が一体何を指しているのか不明なのだ。

万葉集の解説集を紐解くと、多くの先人たちがこの句に関して頭を悩ませてきたことがわかる。

・オモシラナクモ(面知らなくも= お顔をみることができなくなったことよ)
・シルトイワナクモ(知ると言はなくも= 知っているとは言わないことよ)
・アハムヒヲクモ(逢はむ日招くも= (そうした奇蹟を願って)お逢い申し上げる日を招くことよ)
等々

しかし、どの解釈をとっても、それを問題の箇所(面智男雲)にあてはめてみれば、かなり苦しいと言わざるを得ないのではないか。結句とそれ以前の句とで意味がつながらないのだ。

ただ、第4句までを「不思議な術を行う道士のように奇蹟を実現してほしい」との願いを込めたものとする点では諸説一致をみているようである。

マンスラダフマ

この「面智男雲」という句の解釈に関して画期的な説を唱えたのが、このサイトでも著作を度々引用している古代イラン学者の(故)伊藤義教氏である。伊藤氏によれば、この「面智男雲」は「メニシルダクモ」と訓じ、ある人名(職名)を表している。

その人名とは、なんと、古代イランの言葉で「聖語通暁者」を意味する「マンスラダフマ(Mansra-dahma)」だというのだ。

古代イラン学者である伊藤氏が万葉集の歌に関してこのような説を展開する根拠は、ゾロアスター教の開祖ゾロアスターの伝記中にみられる次のような逸話である。

1.(ゾロアスターは)燃える火を持ちあげ、ウィシュタースプ(王)の手においた、そしてウィシュタースプはそれを(宰相)ジャーマースプ、(王子)スパンドヤードやその他のものの手においたが、それはだれの手も焼かなかった」
2. 「ゾロアスターが新しく祭衣を調整したのを不快視した魔神アフレマンはゾロアスターのたずさえていたにひそかに人骨を入れ、機をみて人々に見せつけ「ゾロアスターは口先だけの人間。その教えは死をもたらすこと、これこのとおり」とばかりにバクロしようと期していたが、ゾロアスターは袋の外形が異様なのに気づき、ひっくり返して悪計をあばいた」

まさに冒頭の歌を彷彿とさせる内容である。特に、ゾロアスターの伝記にある「燃える火」や「袋」が歌にも出てくるのは驚きだ。もはやこれ以外の解釈が成立する余地はないように思われる。

ゾロアスター教に関する造詣がなかったら、またそのような人物が万葉集のあの歌に目を留めることがなかったら、このような解釈は決して出てこなかっただろう。

燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずや メニシルダクモ
 【訳】
燃える火をも取って包んで袋に入れるというではないか、マンスラダフマは
歌の作者

伊藤氏の説は、さらに重大な問題提起を含んでいる。ゾロアスター教の特殊な用語を歌に読む人物とはゾロアスター教徒以外にありえない。この歌が詠まれた当時の日本にそういった人物がいた可能性はあるのだろうか。

それがあるのだ。前頁でも取り上げたが、斉明天皇の時代に来朝した「都貨羅人乾豆波斯達阿」一行である。とりわけ、彼の妻「舎衛婦人」とその娘とみられる「堕羅女」が、天武天皇四年の正月に「珍しい物どもを捧げ、天皇にたてまつった」という記事が日本書紀にある。伊藤氏は、彼らの中で日本生まれの「堕羅女」こそが歌の作者であると推定した。

つまり、この歌は、飛鳥・奈良時代の日本にゾロアスター教徒がいたことを証明するのみにとどまらず、日本書紀にいう乾豆波斯達阿らがゾロアスター教徒であったことの傍証ともなりうるのである。