追憶のイエメン
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ハドラマウト編1:ワディ・ドアン
2018年4月末現在、イエメンは内戦状態にあり、全土に退避勧告が発出されています。
ムカッラ al-Mukalla
身支度には充分な時間を取るようにしているため、4時朝食、5時出発に間に合うよう、3時に起床した。まるで、こっちが朝の礼拝にでも行くかのような時間である。ホテルが期待以上に良かったこともあって、ゆっくりできないのは返す返すも残念だ。レストランのスタッフは朝早いのに嫌な顔も見せずに対応してくれた。
イエメンでのはサナアの運転手たちとアデンの空港で一旦別れ、アデンから約500キロ東にあるムカッラまで朝7時の飛行機で飛ぶ。搭乗するのは国営のイエメン航空。イエメン航空のロゴマークはセンスが良くて気に入っている。


飛行機からの眺めも雄大だった。刃物のように鋭い尾根が幾筋も見渡す限りの大地を走っている。約1時間のフライトでムカッラ郊外のアルラヤン空港に着陸した。
これから旅するハドラマウト地方で3日間を共に過ごす運転手たちが空港で出迎えてくれた。この9人の運転手たちというのが、サナアの運転手たちに輪をかけて陽気な面々だった。僕が乗った車の運転手は、日本人旅行者たちと共に自分が写った写真をたくさん持っていた。過去のツアー参加者が運転手たちと一緒に写した写真を旅行会社へ送り、それがイエメンのガイドを通じて運転手たちに渡っているのだ。
運転手たちに届くこれらの写真は、イエメンの旅がツアー参加者の多くにとってどれほど楽しいものであったかを物語る。僕も帰国後に彼らへ写真を送った一人だ。
ワディ・ハドラマウト Wadi Hadhramawt
ハドラマウト地方はかつて独立した小王国であったのが、1967年の南イエメン独立に際して併合され、現在に至っている。ハドラマウト地方の住民は「ハドラミー」と呼ばれ、古くから国際貿易で活躍しており、現在もサウジアラビアの財閥の当主や富豪にはハドラミーが多くいるという話である。イエメンの中でも独特の文化を持っている地方だ。例えば、ハドラミーの男たちはサナアなどと違って、くるぶしまで丈のあるアラブ独特の白い上衣ではなく、主に格子柄の腰巻を身に着ける。それに、ハドラマウトではジャンビーヤを腰に差している男を見かけない。カートを噛んでいる者も見なかった。
その風土もサナアやイッブ、タイズなど西部の山岳地帯とは全く異なっている。ハドラマウト地方の地理的な特徴は、全長240キロとも560キロともいう広大な涸れ川(ワジ)にある。数字が倍ほどにも違うのは、血管のように複雑に入り組んだ分岐を考慮に入れるか否かの違いだろうか。砂岩と石灰岩から成る台地が長年の浸食によって深く抉られてできた川幅は平均で2キロメートルに達するという。涸れ川というだけあって、普段、川筋に水は全く流れていないのだが、この地方では農業が盛んだから、地下水脈があるのだろう。そして、河床に水のない川でも、流域でひとたび豪雨が降るとたちまち濁流が生じて洪水被害をもたらすことさえある。
このハドラマウトで、町や集落は全てそうしたワジの平坦な川底に造られる。低地は外敵から身を守るには不利に思えるが、水や耕地など生活の基盤は高台では得られないのだ。町や重要な建物を高い場所に置こうとする山岳地帯とは成り立ちが全く違うのである。
ハドラマウト地方こそイエメンの旅のハイライトであった。
ワディ・ドアン Wadi Dawan
朝早い出発だったので、道中にあるレストランで休憩を取る。ホブスというアラブ式のパンが美味しい。
レストランを出るところで、我々の乗った車が地元民の車と軽く接触したのだが、ぶつけた方もぶつけられた方も大らかで、とげとげしい雰囲気は全くなかった。


ハドラマウト地方の中心的な都市であるサユーンを目指し、ワディ・ハドラマウトの一部でもあるワディ・ドアンを進む。すぐに山道に差し掛かり、急な上り勾配とヘアピンカーブをいくつか抜けて峠に出た。海抜800メートルのアブダラ・ガリブ峠である。

崖はそのまま真下へ直角に落ち込んでいる上、手すりの類は一切なく、おまけに崖際は風化して崩れやすくなっている。

峠からは今まで通って来た道が随分と下に見えた。あのヘアピンカーブを上ってここまで高度を稼いだとは信じられないほどだ。
近くにあった一軒の露店の店先をのぞいて度肝を抜かれた。そこで売っていたのは、拳銃に弾丸、そして極め付きは自動小銃のカラシニコフである。こんなものが露店で売っているということは、この国では銃を買うのに許可も届け出も要らないということであろう。イエメンの社会で銃がどれほどありふれた存在かを再び認識させられる。聞けば、我らの運転手たちもほとんどが拳銃を持っているらしかった。
ただ、ほとんどの男性が銃を持っているとはいえ、イエメン人がむやみやたらと人に銃を向けるような人種だとは思えない。今まで会ったイエメン人はみなすこぶる温和な人たちだったからだ。

テーブルマウンテンの広大でまっ平な頂上で車を降りる。地盤の軟らかい部分が浸食され、固い部分だけが残って台地状になった山である。そこからワディ・アドゥームの信じがたい絶景を目の当たりにした。

グランドキャニオンを思わせる雄大な渓谷が眼下に広がっていた。川筋は前方でさらに二手に分かれ、川筋に沿ってナツメヤシがびっしりと植えられている。

しかし何より目を引くのは、巨大な岩塊の上に建つハイダルジャジールという村だ。家の高さから察するに、その小さなテーブルマウンテンは30乃至50メートルほどの高さがある。ここでの暮らしとは一体どのようなものか想像がつかない。


ここから我々はワジへと下りてゆく。ブックシャーンという村の手前で車を停めた。

この村は、イエメン一の大富豪、ブックシャーン家を輩出した村であるという。一族はサウジアラビアで貿易商として成功を収め、故郷の村に宮殿と学校、病院、アスファルト舗装の道路を造った。

ひときわカラフルなパステルカラーの高層建築がかつての宮殿で、現在はホテルとして利用されているそうだ。

ブックシャーン村から先は主に未舗装路を進む。四輪駆動車が本領を発揮するオフロードのドライブがまた楽しいのだ。

この日の昼食は木陰にゴザを敷いてのピクニックランチだった。メニューは焼いた鶏肉、ホブス、ピラフ、生野菜のサラダ、チーズにヨーグルト。


この昼食は、運転手たちのリーダー格である太郎ことジュマーンが手配したという。そう難しい仕事とは思えないが、彼以外の者には任せられないのだとか。
ワディ・ドアン その2 Wadi Dawan
ワジの中を走っていた道はまたテーブルマウンテンの上へと高度を上げてゆく。これまた絶景というしかないパノラマが眼下に広がった。
ブッダ村は7千から8千ほどの人口を有するという。平地から斜面にかけて密集している高層住宅は、遠くから見る限りでは裕福そうだ。白とベージュの立方体と直方体が連綿と続く家並は現代美術の作品のようにも見える。

ナツメヤシがこれほどの密度で生えている場所を見たことがない。このナツメヤシの林から採れる莫大な量の実(デーツ)が村を潤しているのだろう。

途中、ラジット、シーフ、アルハジャレインといった個性的な村々を通った。これらの村ではナツメヤシや蜂蜜を生産しており、サウジアラビアやアラブ首長国連邦などに出荷しているということだった。蜂蜜まで採れるとは、ハドラマウトは意外に肥沃な土地なのかもしれない。

この日の最後に立ち寄ったアルマシャドという村には現在、人が住まない。日干しレンガの家々はただ、朽ち果てるのを待つばかりだった。

村には14世紀の聖人を祀った白い霊廟がある。砲弾の先端のような独特の形をしたドーム屋根が印象的だ。

アルハウタ・パレス al-Hawta Palace
薄暗くなりかけた頃、サユーンに着いた。2連泊するアルハウタ・パレスはこの地方の伝統建築を改装した宮殿風ホテルである。

部屋は簡素だが大変趣のある内装で、今までの海外旅行で泊まったホテルの中で1、2を争うといっても過言でない素晴らしいホテルだった。
