旅の空

バリ島 2018

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ゴア・ガルバとイエ・プル

バレ・ウダン  Bale Udang

午後から半日のツアーへ出かける前にウブドにあるバレ・ウダンというレストランへ案内してもらった。竹で柱を組み、ヤシの葉で屋根を葺くという伝統建築はこのレストランのポリシーらしい。博覧会のパビリオンのような巨大な本棟も総竹組み造りで圧巻だが、池の中に浮かんだ東屋風の離れの方が気持ち良さそうだった。

食事が出てくるのを待っているとき、東屋が揺れた。最初は竹組みの建物だからだろうと思ったが、近くを人が歩いたくらいでそう揺れるものではない。どうやら地震らしかった。

バレ・ウダン Bale Udangバレ・ウダン Bale Udang

ミーゴレン(インドネシア焼きそば)とマンゴージュースだけ頼むつもりだったのが、「クリスピーダック(アヒルの素揚げ)はいかがですか?」などとウェイトレスが言うものだから、つい、それも食べたくなり注文してしまった。ミーゴレン一皿の量が多めだった上に、クリスピーダックの皿にも副菜がいくつか載っているので、一人で食べ切れないことはもう箸をつける前から明らかだった。しかも、クリスピーダックにはサービスでアイスティーがついてきたのだが、マンゴージュースを飲んだ後ではさすがにほとんど飲めなかった。レモングラス添えのアイスティーが絶品だっただけに、口惜しさもひとしおである。

バレ・ウダン Bale Udangバレ・ウダン Bale Udang

食後にレストランの敷地を一回りしてみる。前面は一面の水田に接し、背後は森に囲まれている。レジャーパークのように広大な敷地だ。

ゴア・ガルバ  Goa Garba

ゴア・ガルバはウブドの東、ペジェン村にある遺跡である。縁起などはっきりとしたことはわかっていないようだが、ウブドのゴア・ガジャ遺跡と同じ頃、11世紀から12世紀に造られたと考えられている。ヒンズー教の高僧が瞑想する場所だったらしい。ここは、『地球の歩き方』の本文では紹介されていないが、地図で名前を見つけて気になっていた。ガイドもここに来るのは初めてで、ネットで場所を調べたと言っていた。他の国でも言えることだと思うが、残念ながら、観光ガイドだからといって全員が自分の国の歴史や遺跡に詳しいわけではないのだ。

目印となるのはペンウクル・ウクランという寺院である。寺院から渓谷へと下る途中の踊り場のような平地に目指す遺跡がある。

ゴア・ガルバ Goa Garba

舗装された階段を下ってゆくと石造りの山門が見えてくる。階段の表面は苔むしていて滑りやすく、注意が必要である。山門をくぐると石段がさらに下へ続いている。高齢者や足腰が弱い人には勧められない、垂直かと思うような急傾斜だ。

装飾は全くないが、精巧な切石積みの山門だ。バリ島でこうした建造物は今まで見たことがない。むしろ、ジャワ島で見たヒンズー教寺院を思わせる。岩肌を覆う苔の緑を背景に、コルジリネの赤い葉が鮮やかだ。

ゴア・ガルバ Goa Garba

山門を下りた先の右手に岩壁を彫った祠か祭壇のようなもの、座禅を組んでやっと一人が入れそうな空間もある。前回訪ねたゴア・ガジャにも同じように岩を削って造った修行場があった。上の方から絶えず水が滴り落ちてくる。

ゴア・ガルバ Goa Garba

瞑想場の上には沐浴場らしきものが新旧で2つあった。ただし、石造りの水槽にはどちらもかかとがようやく浸かる程度の水しか溜まっておらず、現在も使われているようには見えなかった。下の瞑想場に落ちていた水はここから流れていたのだ。切石積みの壁は厚い苔で覆われて、周囲の森と同化しつつあった。

渓谷の深い森の中にひっそりと佇むゴア・ガルバは、いつまでもいたくなるような心安らぐ場所だった。決して万人向けの観光名所とはいえないが、来たかいはあった。

ペンウクル・ウクラン寺院 Pura Pengukur Ukuranペンウクル・ウクラン寺院 Pura Pengukur Ukuran

ちなみに、ゴア・ガルバから見て崖上に位置し、菩提寺のようにも見えるペンウクル・ウクラン寺院は意外に立派な寺だった。境内には、ジャワ島で見たシャイレンドラ朝やマタラム朝の祠堂を思わせる、あまりバリらしくない石造りの大きな祭壇がある。生殖信仰と思しきモニュメントもあった。

イエ・プル  Yeh Pulu

前回の旅行では割愛したイエ・プルという遺跡に行ってみることにした。ゴア・ガジャの近くだ。広々とした水田風景を眺めながら一本道を進む。遺跡は一本道を10分ほど歩いた先にある。途中に沐浴のための水場がいくつかある。

イエ・プル Yeh Pulu

ジャングルなのか畑なのか区別がつかない場所もあったが、遺跡までの道は熱帯植物園を歩いているようだった。細かく分かれたヤシの葉や太くて長いバショウの葉に陽の光が当たるときれいだ。遺跡見物よりもこのまま田園散策を続けたいとさえ思った。

イエ・プル Yeh Pulu

イエ・プル遺跡はヒンズー教の神話をモチーフとしたレリーフ群で、14世紀後半のものとされる。レリーフ自体はさほど巧いものではない。でも、ここに着くまでの散策でもう満足している。

イエ・プル Yeh Pulu

遺跡には管理人のおばあさんがいて、頭から聖水をふりかけてくれる。Donationと書いた箱がレリーフの下に置いてあるので、賽銭程度の心付けを入れるのがマナーだろう。

面白いと思ったのは、供え物である小さなチャナンがレリーフの体の上にも置かれていたことだ。バリ島ではこうした浮彫の像にさえ魂が宿ると考えるようだ。

ニュークニンの夕べ  Nyuh Kuning

この日の予定を終えてニュークニンのヴィラに戻ると、レストランのある別棟の2階へ上がった。ウブドは夕方になると風が吹く。他に誰もいない四方吹き抜けのレストランで、涼しい風に吹かれながら、鳥の鳴き声に耳を傾けたり、景色を眺めたりしている。

ニュークニン Nyuh Kuning

夕日を浴びて、水田の周りに立つヤシの木がほんのりと赤味を帯びる。田んぼにいた農家の人たちも家路につく。一面の田んぼに張られた水に夕焼けがよく映えた。

ニュークニン Nyuh Kuning

夕食は昨日と同じワルンへ。美術関係の仕事をしていて、バリ島には休養でよく来るという日本人男性の先客がいた。そこにたまたま居合わせたこのワルンのオーナー夫人である日本人女性と3人で、バリ島の話などをして1時間ほど過ごした。

ヴィラに戻った後は部屋のテラスに置いた椅子に腰かけて、昨日と同じように夜闇から聞こえてくる蛙の声や虫の音を聴きながらぼんやりと過ごす。すると近くで、蛙とも虫とも違う「チッ、チッ」という短い小さな鳴き声がする。声のする方を見ると、果たして昨日も見かけた灰色っぽい小さなヤモリだった。しかも今日は2匹いる。

バリ島で見る小さいヤモリを気持ち悪いとか怖いとかいうのは全然賛成できない。ヤモリは人に害を及ぼすどころか、害虫などを食べてくれる益獣なのである。それに、よく見れば実はなかなか可愛い顔をしているのだ。

地震

あろうことか夜中に地震で目が覚めた。翌日になって知ったことだが、震源はまたしても隣のロンボク島で、地震の規模もマグニチュード7という大きなものだったらしい。寝ているときは起きているときに比べて実際の震度より大きく感じるものだが、震度3くらいはあったように思えた。しかも分単位に感じられるほどの異様に長い揺れである。建物や部屋のガラス扉がミシミシ、ガタガタと音を立てる。一瞬、両側の巨大なガラス扉が割れて床に散乱し、壁にはヒビが入り、崩れてきた柱や天井の下敷きになる光景が脳裡に浮かんだが、揺れが収まると辺りは再び静寂に戻った。近所の住人がパニックを起こして外に出た様子もない。ヴィラの建物に被害はなさそうだった。

これまで、バリ島というのは地震が起きない場所と考えられていたはずだ。その常識は昨年のアグン山噴火、あるいは1ヶ月前のロンボク島の地震によって根底から覆ってしまったのだろうか。

もしかしたらまた大きな地震があるかもしれないと考えて、その後は靴を枕元に置いて寝た。建築物に日本ほどの耐震性が期待できない外国で地震に遭うのはどれほどの恐怖かが身に沁みてわかった。