旅の空

インドネシア 2015

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バリ島編 その2

アグン・ラカ・リゾート&ヴィラ 2  Agung Raka Resort & Villa

アグン・ラカ・リゾート&ヴィラは広大な敷地を持っており、総面積は3.5ヘクタールにも及ぶという。正方形の土地に換算すると約187メートル四方である。その広さ故、フロント棟とヴィラや敷地内に点在するスパなどの施設との間を送迎用のカートが走り回っている。

朝食会場となっているレストランもヴィラから歩いて5分ほどの距離にある。毎朝、ヴィラとレストランとを行き来する散策の時間が昼間の観光と同じくらい楽しみになった。

アグン・ラカ・リゾート&ヴィラ | Agung Raka Resort & Villaアグン・ラカ・リゾート&ヴィラ | Agung Raka Resort & Villa

アグン・ラカの敷地内には広大な田んぼがあり、その眺めがここの売りでもある。敷地の大半は田んぼではないだろうか。ちょうど、たわわに実った稲穂が一面に広がっていた。

アグン・ラカ・リゾート&ヴィラ | Agung Raka Resort & Villaアグン・ラカ・リゾート&ヴィラ | Agung Raka Resort & Villa

また、敷地内の至るところに様々な種類の熱帯植物が植えてあり、その見慣れぬ形や鮮烈な色使いを目にして一々足が止まる。南国の植物というのは、どうしてこう自己主張が強烈なのだろう。

アグン・ラカ・リゾート&ヴィラ | Agung Raka Resort & Villaアグン・ラカ・リゾート&ヴィラ | Agung Raka Resort & Villa
ゴア・ガジャ  Goa Gajah

駐車場の先には長い下り階段が続いている。これは意外だった。目指す遺跡は谷底にあるようなのだ。中心部こそ平坦な印象はあるものの、ウブドの地形は起伏に富んでいる。

ゴア・ガジャは11世紀に造られたヒンズー教遺跡。だが、何の目的で造られたのかはわかっていないらしい。

ゴア・ガジャ | Goa Gajah

ゴア・ガジャは「象の洞窟」を意味する。名前の由来となったのは、沐浴場の奥にある石窟だ。洞窟の入口に大きく彫られた顔を遺跡発見者は象だと考えたらしいが、この顔が本当は何を表しているのかについては諸説あるらしい。

僕にはこの顔が、雅楽で使われる蘭陵王の面に似ている気がしてならないのだ。しかも、厳島神社の。

ゴア・ガジャ | Goa Gajah

洞窟の内部にはちょうど人が入るくらいの大きさの壁龕がいくつもあり、その中で僧侶が瞑想していたという。ガネーシャの像や、ヒンズー寺院でお馴染みのリンガとヨニの石像もある。3柱のリンガはそれぞれ、ヒンズー教の最高神たるシヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマ―を表している。

ゴア・ガジャ | Goa Gajahゴア・ガジャ | Goa Gajah

遺跡の外れにある沢には、何かの浮き彫りをした巨大な岩が崩落している。記憶が正しければ、この岩に刻まれたものは仏塔であると聞いた気がする。

グヌン・カウィ寺院  Pura Gunung Kawi

グヌン・カウィの駐車場周辺は、椰子の美しい木立に囲まれた棚田が広がっている。バリ島の棚田は、千年以上の伝統を有するスパックという独特の水利組合によって保たれてきたものだ。稲作のしやすい地形には見えないが、立派な水路が整備されていた。

グヌン・カウィ寺院 | Pura Gunung Kawi

遺跡を見る前に棚田の風景を楽しめるとは思わなかった。

美しい棚田を眺めながら、遺跡のある谷間へと下ってゆく。バリ島の棚田は、何もジャティルウィやテガラランだけではないのだ。観光名所ではない棚田なら島中無数にある。車での移動中も一体どれほどの美しい小さな棚田を通り過ぎただろうか。

グヌン・カウィ寺院 | Pura Gunung Kawi

やがて、川向うの木立の間から、巨大な岩壁をアーチ状に穿ったモニュメントが見えてくる。グヌン・カウィは、9世紀にバリ島を統治した王がここに葬られたことをきっかけに造営が始まった王家の墓所である。

グヌン・カウィ寺院 | Pura Gunung Kawi

イランで見たナグシェ・ロスタム遺跡を思い出した。時代も場所も様式も隔たりはあれど、どちらも王家の磨崖墓なのだ。

グヌン・カウィ寺院 | Pura Gunung Kawi

境内には仏教僧の修行場と伝わる遺跡もある。岩をくり抜いた小部屋が並ぶ庵である。ここだけは靴を脱いで入場しなければならない。ゴツゴツした冷たい岩の感触が素足へ直に伝わってきた。

グヌン・カウィ寺院 | Pura Gunung Kawi

太陽を覆っていた雲が流れると、田んぼの水や椰子の葉が陽の光を反射して輝く。駐車場へ戻る道すがら、名残惜しくて何度も振り返った。肝心の遺跡よりも、この棚田と椰子の景観の方がむしろ強く印象に残った。

グヌン・カウィ寺院 | Pura Gunung Kawi
ティルタ・ウンプル寺院  Pura Tirtha Empul

ティルタ・ウンプルは、バリ島で10世紀から14世紀にかけて栄えた王朝が建立したヒンズー寺院で、「聖なる水」を意味する。その名のとおり、境内にある泉から豊富な水が湧き出しており、沐浴場として有名である。

沐浴場から見て左側の丘に目障りな建物が建っているが、これは1954年に建てられた大統領の別荘で、今でも政府要人が利用するという。時代背景が違うとはいえ、このような場所に権力者の別荘があるというのはいただけない。

ティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empul

参拝に訪れた信徒は沐浴場になみなみと讃えられた水に腰まで浸かり、全部で30もある吐水口から勢いよく流れ出る水を頭から浴びて身を清める。外国人観光客でも作法に従えば沐浴は可能だが、たとえ気温が30度あったにしても水が冷たそうだ。

ちなみに、よくみると吐水口の中には形が違うものがある。形の違いにはそれぞれ意味があり、どういう場合に使用すべきか、あるいは使用すべきではないのか、決まりがあるのだという。

ティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empulティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empul

沐浴場の前には供物台があり、参拝に来た信徒たちが供え物を捧げる。木の葉や竹を丁寧に編み、色とりどりの花を添えた供物の美しさに目を見張った。何という繊細さだろう。バリ人の感性は日本人に通じるものがあるように思えた。

ティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empulティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empul

琵琶のような楽器を持った女神の像を境内で見つけた。サラスヴァティーであろう。

日本で弁財天として親しまれるサラスヴァティー女神は、古くはアーリア人が崇拝した自然神であって、水と豊饒を司る古代イランの女神、アナーヒターと起源を同じくするという。

バリの聖なる水の寺院にいながら、遠くイランのことをふと思った。

ティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empul

奥にある摂社で、僧侶らがちょうど供物を捧げようとする場面に遭遇した。全身白い装束に身を包んでいるのが僧侶だという。

ティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empul

僧侶らが祈祷を捧げる先には石造りの大きな祭壇がある。かなりの年月を経たものと見える。その全面に施された浮彫の緻密さは、この寺院の壁面や柱を埋め尽くす見事な彫刻の中でも別格に感じられた。

ティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empul

寺院の最奥部に聖なる水の泉がある。沐浴場に流れ込む豊富な水はこの泉から引いているという。

ティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empul

底からこんこんと湧き出す清らかな水が白い砂や小石を巻き上げている。

ティルタ・ウンプル寺院 | Pura Tirtha Empul