旅の空

イランの旅 2007

サナンダジ、タフテ・ソレイマーン

ドライブウェイ

ケルマーンシャーのホテルの朝食は、厚めのナーンにゆで卵、チャイというシンプルなもの。でも、ナーンは焼き立て、チャイも美味しかった。
今日は朝のうちにケルマーンシャーを出て北上、サナンダジ(コルデスターン州)、タフテ・ソレイマーン(西アゼルバイジャン州)を経て、ザンジャーン(ザンジャーン州)に抜けるという、州間大移動の行程だ。今回の旅でおそらく最長距離の移動である。強行軍の感は否めない。

ケルマーンシャーからサナンダジまでは、素晴らしい景色と快適な道路がずっと続いた。道の両側には一面、畑が広がり、さらにその先には荒々しくも美しい山肌が連なる。レザーさんも運転していて気持ちいいと言った。個人的に、この道を、イランのベスト・ドライブコースに推したい。

サナンダジ  Sanandaj

終始、快調に走ることができたので、思ったより早くサナンダジに着いた。サナンダジでは、Park-e Abidarという公園とマスジェデ・ジャーメに寄るつもりだった。レザーさんも初めて来る町なので、町の人に道を尋ねながら行く。ある場所まで送るかわりに途中まで道案内してくれるというおじさんを後部座席に乗せた。
アビダル公園は、たまたまネットで写真を見つけて行こうと思い立ったのだが、残念ながら写真で見るほどきれいではなかった。庭師が手入れをしていたが、ところどころ荒れており、人もまばらだった。
サナンダジSanandajPark-e Abidar
町の中心部へ下って、マスジェデ・ジャーメへ向かう。割と大きなモスクだ。どっしりとした柱が立ち並び、独特な雰囲気を持っている。照明が柱の凹凸に光と影の美しい模様を作っている。
サナンダジ:マスジェデ・ジャーメSanandaj:Masjed-e Jameサナンダジ:マスジェデ・ジャーメ
Sanandaj:Masjed-e Jameサナンダジ:マスジェデ・ジャーメSanandaj:Masjed-e Jame
モスクを出て、通りのジューススタンドでジュースを立ち飲みしていたら、黒服のクルド人男性に話しかけられた。なんと、昔、名古屋にいたことがあるという。
クルディスタン(コルデスターン)の中心とでもいうべきこの地では、民族衣装である幅広のズボンをはいた男性を多く目にする。

ディーヴァーンダッレの衝撃  Divandarre

ディーヴァーンダッレのドライブインの壁に貼ってあった刺身と徳利の写真昼食のために立ち寄ったディーヴァーンダッレという町のあるドライブインで、信じられないものを発見した。その店の壁に貼ってあった写真である。冷の徳利と猪口、箸置きに箸、刺身は甘エビに鯛、赤身とみた。
観光客が来るような町ではない。ましてや日本人などおよそ縁のなさそうな町だ。どうしてこんなものが、クルディスタンの田舎町の食堂に貼ってあるのか?
それはそうと、この写真を貼った人物は、徳利の中身がこの国では禁制品であることを知っていただろうか。

分かれ道

タカーブという町で幹線道路を外れて脇道に入り、北東へ向かった。ここから、西アゼルバイジャン州を横断する。しばらく進むと未舗装路になった。

途中、雄大な素晴らしい風景に出会った。
空いっぱいに広がる雲の群が地上に濃い影を落とす。はるか地平まで広がる大地の上を、大きな斑の影が、ゆっくりと動いていく。霞で空と陸との境目が曖昧だった。

聖地へ

山道をひたすら走り続けると、やがて小さな火山のような山が見え、思わず声をあげた。異様な景色だ。周りの景色から完全に浮いている。これがゼンダーネ・ソレイマーンである。ここへは後で寄ることにした。
高台にあるタフテ・ソレイマーンの塔が見えてきた。城壁が周囲を円形に取り囲んでいる。
ゼンダーネ・ソレイマーンZendan-e Soleyman

タフテ・ソレイマーン  Takht-e Soleyman

城壁を見た瞬間から、これは凄い遺跡だと思った。門をくぐると、その先には、円形の湖が広がり、それを取り囲むようにしてササン朝ペルシア時代の神殿群が建っている。湖に流れ込む川はない。湖岸を削って水を外に流しているが、湖の水量が減らないところを見ると、流れ出るのと同じ水量が常に湖底から湧き出ているとしか思えない。
湖面に映る空と雲、その周りに建つ古代の神殿。絶対にここでしか見ることのできない景観だ。周囲の風景も神秘的な雰囲気が漂う。
タフテ・ソレイマーン:城壁タフテ・ソレイマーンタフテ・ソレイマーン
「ソロモン王の玉座」という、いかにもイランらしい想像力豊かな名前がついているが、もちろん、旧約聖書に登場するあのソロモン王とは本来、無関係である。ここは、ササン朝ペルシアの前のアルサケス朝パルティアの時代からゾロアスター教の重要な聖地だった。ササン朝時代には、三大聖火のうちの第二順位、アードゥル・グシュナスプ聖火が置かれ、古代の名をガンザクという。アラブ人はシーズと呼んだ。ターゲ・ボスターンのレリーフは、もともとここにあったタフテ・タクディースという建造物が破壊されたために再現したものという。
Takht-e Soleymanタフテ・ソレイマーンTakht-e Soleyman
そして、この神殿は、東ローマ帝国との因縁がある。602年、ササン朝ペルシアのホスロー2世が東ローマ帝国を侵攻、シリア、パレスチナ、エジプトなどの東ローマ領を次々と奪い、626年には、首都コンスタンティノポリスをも包囲した。
対して、東ローマ皇帝ヘラクレイオス1世は、自ら軍を率いてペルシアの領内深く遠征、反撃に出た。首都クテシフォンの目前まで迫ったところで、ペルシア宮廷内でクーデターが起き、和平が結ばれたという。ヘラクレイオス率いる東ローマ軍がペルシア遠征の途中で破壊したのがまさにこの神殿だった。
タフテ・ソレイマーンTakht-e Soleymanタフテ・ソレイマーン
前の年、イスタンブールを旅し、今なお廃墟となって残るテオドシウスの大城壁を前に、かつて、オスマントルコやアラブなどと同様に、ササン朝ペルシアの軍隊もこの城壁を包囲したのだろうかと感慨にふけった。今は、はるばるペルシアの地までやってきた東ローマ軍を頭に思い描こうとしてみる。
Takht-e Soleyman
神殿は想像以上によく残っていた。アーチの曲線などを見ると、ササン朝ペルシアは、相当高度な建築技術を有していたのではないかと思える。破壊される前はどれほど壮麗な神殿だったかと思いを馳せた。
ここは、ペルセポリスに勝るとも劣らない一級の遺跡と言っていいと思う。少々ひいき目かもしれないが。

‡Guide map of Takht-e Soleyman 1 (5MB) , 2 (6MB)
ゼンダーネ・ソレイマーン  Zendan-e Soleyman

タフテ・ソレイマーンを離れ、行きに通り過ぎたゼンダーネ・ソレイマーンへ。遠くから見ると、小さな火山にしか見えないが、頂上付近には石組が残っていて、人の手が加わっていることがわかる。ゾロアスター教の鳥葬施設だったのではないか。
頂上に立つと、50mはあろうかという深い火口が開いていた。死火山らしい。ほとんど垂直なので、落ちたらまず自力では登ってこられまい。ゼンダーン(牢獄)とはうまい名前をつけたものだ。
麓に下りたところで、旅行中のある一家と出会った。ピスタチオを両手からこぼれおちるほどたくさんくれた。
ここを離れるとき、我々の乗った車とバイクが軽い接触事故を起こした。バイクが、止まっていたバスのすぐ脇をかすめるような、変な入り方をしてきたので、運転手のレザーさんから見えなかったのも無理はない。車はサイドプロテクターが外れただけ、相手のバイクも無事で何よりだった。
ゼンダーネ・ソレイマーンZendan-e Soleyman

ザンジャーンへ  Zanjan

ゼンダーネ・ソレイマーンからザンジャーンへはおよそ150kmの道のりだが、行けども行けども一向に辿りつかないように感じた。曲がりくねった起伏の大きい山道である上に、ところどころ路面が荒れていて、そこにさしかかる度に減速を強いられる。この道を往復したくはないね、とレザーさんと話した。
ザンジャーンにようやく着いたのは、もうすっかり暗くなってから。夜8時を回っていた。オレンジ色の光が点々と灯るザンジャーンの夜景が印象的だった。
ホテルは、質素ながら非常に快適だったが、大通りに面していたため、夜遅くまで賑やかな往来の音が聞こえてきた。誤作動なのか、いたずらなのか、時折、道路脇に止められた車の盗難防止アラームがけたたましく鳴るのにはまいった。