旅の空

イランの旅 2007

タブリーズ、ガラ・ケリーサー

タブリーズのバザール  Bazar-e Tabriz

タブリーズのバザールは中近東で有数の規模と歴史を誇るという。このバザールが見たくてタブリーズに来た。
タブリーズに限らず、イランのバザールでは、ある区域は食料品、また、ある区域は衣料品といったように、大抵、同じ業種の店が同じ区画に軒を並べている。それにしても、このバザールではそれが夥しい数である。
古いレンガ造りのアーケードがどこまでも続いている。迷路のように入り組んだ薄暗い通りを歩くと、まるで違う時代に迷い込んだかのよう。バザールが一体、どこまで広がっているのか見当がつかない。
それに、大きいだけではなくて、活気に満ちている。前からも後ろからも、しきりに「ヤアッラ!」と威勢の良い掛け声が飛んでくる。荷車を押して狭い道を行き交う荷物運搬人だ。道を開けろと言っているのだ。ウィンドーショッピングに気をとられていると、荷車に轢かれそうになるので気が抜けない。
タブリーズのバザールBazar-e Tabizバーザーレ・タブリーズ
タブリーズは、絨毯の名産地としても有名だ。絨毯バザールには、見事な絨毯が所狭しと並んでいる。特に買う予定はなかったけれど、実物を見ると、その素晴らしさについ欲しくなってしまう。
タブリーズの絨毯は、エスファハーンやカーシャーン産などと比べ、織の目がより細かく、丈夫なのだという。バザールに軒を連ねる店の一つ一つが工房であり、それぞれが違う意匠を凝らしているという。絨毯の写真を撮るときには、事前に店の許可をもらうようレザーさんから注意があった。意匠権への配慮である。
タブリーズのバザールBazar-e Tabizタブリーズの絨毯
タブリーズの十八番ともいえるのが絵画絨毯だ。実用ではなく、額に入れて観賞するための絨毯である。遠くから見ると、本当に油絵に見える。単に色の違う糸を織り分けているだけではなく、場所によって毛足の長さを変え、厚みや立体感まで表現している。織りの緻密さには目を見張るものがある。
絨毯バザールの入口でチャイを飲んでいたら、昔、陸軍にいたという老人に声をかけられた。戦車工場の見学で日本へ行ったこともあるという。彼は今、絨毯を売っていた。店をちょっとのぞかせてもらう。
タブリーズ:絨毯バザールTabriz:Carpet Bazarタブリーズ:絵画絨毯
バザールをうろついていると、今度は、初老の男性に声をかけられた。美味しい店を教えてやるからついて来いとのこと。ちょうど昼時だった。内心、どこかの絨毯屋にでも連れて行かれるのかと思ったが、我々を店まで送り届けると、彼はまたどこかへ歩いて行った。その店で食べたクピデはたしかに美味しかった。
タブリーズ:絵画絨毯Bazar-e TabrizThe Bazar of Tabriz

黒の教会へ

バザールから一旦、ホテルに戻り、タブリーズから200kmほど北にある「ガラ・ケリーサー」という教会跡を目指して出発する。ガラ・ケリーサーへ行った後は、南へ200kmほど下り、オルーミーエという町に泊る。今日も大移動の日だ。旅行会社のパッケージツアー顔負けの強行軍になってしまった。


途中、素晴らしい景色の連続だった。同時に、それは、どこか現実離れした風景でもあった。
雲一つない青空。広漠たる平原となだらかな山並みは、うっすらと緑がかっていて、水気が多いわけでもないが、乾ききっているわけでもない。夢でも見ているような気分にさせる景色だった。
ガラ・ケリーサーまでの道のりは遠い。

ガラ・ケリーサー  Qara Kelisa

マークーへ向かう幹線道路から脇道に入ってしばらく進むと、とんがり屋根の建物が見えてきた。ガラ・ケリーサー(黒の教会)、正式には「聖タデウス(タダイ)教会」というアルメニア教会である。建立自体は1世紀に遡る由緒正しき教会であるが、現在の建物は17世紀に再建されたものだという。また、アルメニアは、ローマ帝国よりも早く、世界で最初にキリスト教を受け入れた国だという。
「黒の教会」の周囲には、集落がわずかに点在する他は、ただ荒野が広がるばかりだ。どうしてこのような人里離れた場所に教会を建てたのだろう。
ガラ・ケリーサーQara Kelisaガラ・ケリーサー
「黒の教会」と呼ばれる所以は、建物の一部に使われた黒い石材にある。形もさることながら、この黒っぽい色調が、ある種、キリスト教会らしくない異教的な雰囲気を醸し出しているのかもしれない。教会の外壁には、天使、聖人、生命の樹、動物、唐草など、驚くほど緻密なレリーフが全面に施されている。
Qara Kelisaアルメニア教会聖タデウス教会
中に入ってみる。白と黒の石を交互に配した美しいアプス(半円形の窪み)も立派な祭壇も、すべてがらんどうであった。現在は、アルメニア人たちが年に一度の祭典を行うのみで、普段は教会として使用されていないようだ。
我々が訪れた時、ここは文化財保護当局の管理下になっており、入場料を徴収していた。保存状態も良く、きちんと維持・管理されていると感じたが、教会の敷地隅にあるトイレには恐ろしいことに扉がなかった。目隠しの壁に隠れて用を足すのだ。
教会内部の構造は、イスタンブールでいくつか見たビザンティン教会に似ている印象を受けた。正方形に向かい合わせで組んだアーチの上にドームを載せる…。もっとも、この建築技法は、ササン朝ペルシアの発明だというが。
ガラ・ケリーサー、黒の教会ガラ・ケリーサー:ドームガラ・ケリーサー:アプスと祭壇
教会内部は黒い石を多用していて、それが一層、中を暗く感じさせた。ドームの天窓から光が差し込み、荘厳な雰囲気が漂う。ドームを支える太い柱に、信仰の証というべきか、十字がいくつも刻んであった。
ガラ・ケリーサー:柱に刻まれた十字ガラ・ケリーサー:周囲の風景
ガラ・ケリーサーは、わざわざそのために足を伸ばす価値のある素晴らしいところだった。レザーさんには、1時間半もいたと嫌味っぽく言われたが、自分ではそれほどの時間を感じなかった。

オルーミーエへ

ガラ・ケリーサーを発ったのは、5時半を過ぎていたと思う。日が傾きかけていた。広い草原の先に、なだらかな丘が続いている。西日を背に、羊の群れが草を食んでいた。

ガラ・ケリーサーを離れてしばらくすると、地面を覆う緑が濃くなった。途中、道路脇でひっくり返ったまま放置された大型トラックを見た。

オルーミーエのホテルに到着したのは午後9時過ぎ。さすがに疲れたが、ガラ・ケリーサーまで行ったことを思えば、充分に見合うものだった。