旅の空

イランの旅 2007

11

バンダレ・アンザリー、マースーレ
ラーヒージャーン

バンダレ・アンザリー  Bandar-e Anzali

Bandar-e Anzali寝苦しさに、結局、ほとんど眠れずに迎えたバンダレ・アンザリーの朝。
岸壁のすぐ傍に建つホテルの窓から下を眺めると、まだ日が昇りきらない薄暗がりの中、散歩する人がちらほらいる。外の空気はひんやりとして涼しい。部屋の中は、昨夜の蒸し暑さがまだこもっている。

港の風景

朝食後、モルダーベ・アンザリー行きのモーターボートに乗るため、近くの船着き場へ行く。モルダーベ・アンザリー(アンザリー潟)は、カスピ海とつながる広大な潟湖である。
どこかで見たような風景が広がっていた。港で数珠つなぎに停泊する漁船、水面にはゴミや油が浮いている。潮臭い匂いも。
バンダレ・アンザリーBandar-e Anzali

モルダーベ・アンザリー(アンザリー潟)  Mordab-e Anzali

モーターボートでアンザリー潟へとつながる水路を疾走する。ここも本当にイランなのかと戸惑うような風景だった。
大空と鏡のような水面がどこまでも続いている。水は濁っているが、汚れているわけではなく、養分が豊かなのだ。背の高い藻が水中に茂っている。水面には、葦のような水生植物の群生が至る所に大小の島を作っていた。船長は、慣れた手つきでモーターボートの舵を巧みに操り、狭い水路を駆け抜ける。
モルダーベ・アンザリーMordab-e Anzaliアンザリー潟 低く垂れこめていた雲がにわかに黒ずんだと思ったら、やがて、ぽつりぽつりと小雨が降り出した。雨具など持ってきていない。だが、どうしようかと考える間もないくらいすぐに雨は止んだ。
そして、モーターボートをさらに進めたその先に、思いがけない光景が広がっていた。
完全に花が開いたものから、咲きかけているもの、まだ蕾のものまで。そこには、一面に咲き乱れる蓮の花が。
蓮の花:モルダーベ・アンザリーMordab-e AnzaliLotus flower of Anzali Lagoon
湖の所々に木の枝が立っている。おそらく、漁の目印だろう。
イランに来てからというもの、こんなに高い空、こんなに大きな雲は見たことがなかったような気がする。
モルダーベ・アンザリーAnzali Lagoon

魚市場にて

バンダレ・アンザリーの魚バザールに行けば、アンザリー潟がどれほど豊かな漁場なのかがよくわかる。
岸壁に沿って、魚ばかりを売る店が通りに軒を連ねている。店頭には、カスピ海やアンザリー潟で採れた、見たこともない魚が並んでいた。アンザリー潟は、カスピ海の魚の産卵場所なのだという。道理で魚が豊富なのだ。
バンダレ・アンザリーの魚バザールカスピ海の魚マーヒー・セフィード
昨日の夕食に食べたマーヒー・セフィードも大物がごろごろ並んでいた。ここまで大きくなるとは予想外だった。体長1mという大物まであった。
ある店の前を通りがかったとき、突然、日本語で話しかけられた。この店主も30年前、日本に行ったことがあるのだという。
バンダレ・アンザリーの漁師兄弟Mahi Sefid
米どころというだけあって、バンダレ・アンザリーには大きな米屋もある。
カスピ海地方で食べる米の美味しさは特筆に値すると思う。粒は長いが、しっとりとして日本米に近い食感である。イランの他の地域で口にする米とは別物と言ってよい。この米だったら日本で時々食べてもいいと思ったくらいだ。
ギーラーン産の米

マースーレ  Masule

バンダレ・アンザリーを後にして、マースーレ村へ向かう。
一面に広がる水田と、その先に緑が鬱蒼と生い茂る山並みが続く。ますます日本の田園風景に近づいていくように感じられた。
マースーレ村 マースーレへ近づくにつれ、山は険しく、間近に迫るようになってきた。山頂には雲がかかっている。
マースーレ村は、そんな深い山の中に突如として現れる。たしかにすごい眺めであった。山の急斜面にへばりつくように集落がある。

ミールザー・ガーセミー  Mirza Qasemi

着いたのがちょうど昼食時だった。駐車場近くのレストランでこの地方の名物料理「ミールザー・ガーセミー」を食す。見てくれはあまり食欲をそそらないが、あっさりとした味付けで美味しい。カスピ海地方に来て以来、こと食に関しては、米は格段に美味しくなるし、料理の種類は増えるしで、いいことづくめである。
食事をしていたら、小さなかわいい女の子が、箸の使い方を教えてくれといって近づいてきたのには驚いた。同じレストランで食事をしていた家族連れである。ここで日本人に会うことを予想していたとは思えない。かといって、箸をいつも持ち歩いているとも思えないのだが。
Mirza Qasemi(ミールザー・ガーセミー)

マースーレ 2  Masule

この村がユニークなのは、ある家の屋根がその上の家にとっての通路でもあるという家の造りにある。土地は、山の急斜面を切り開いた段々畑くらいの広さしかない。その狭い土地を有効利用するアイディアである。
通りから屋根を見上げれば、そこにもまた歩く人がいる。M.C.エッシャーのだまし絵の中にいるような不思議な感覚がある。それから、木材が多く使われていることも、カスピ海地方の家屋の特色である。まあ、山にあれだけ木が生えているのだから当然といえば当然かもしれない。
マースーレMasuleマースーレ
イランでも人気の観光地とあって、目抜き通りには土産物を売る店が続く。女性たちが欲しがりそうな小物もたくさん売っている。色鮮やかなキリムも売っている。この辺りは産地なのだろうか。そういえば、下の方で、道路沿いに夥しい量のキリムを吊るしている場所があった。
Masuleマースーレ
朝、この村は雲海に包まれるという。ここに一泊してハイキングでもすれば面白かったのにとレザーさんは言う。たしかに、その通りだと思った。
宿泊施設と思われる新しい建物も何軒か建っている。
帰り際、下の道路から村を見上げると、ちょうど山から霧が降りて来るところだった。
Masuleマースーレの山

疑似日本感

マースーレからラシュトへの道中にも、日本にいるような錯覚を起こさせる場所がいくつもあった。いちいち車を止めていたらきりがないほどだ。
ギーラーン州の田園風景A rural landscape of Gilan Province, Iran水田:ギーラーン州の風景

ラーヒージャーン  Lahijan

マースーレの次に向かったのは、イランで唯一の茶どころ、ラーヒージャーン。
風景が優しく穏やかになった気がする。シェイフ・ザーヘド廟に行く途中で、またしても見覚えのある風景に出会う。
日本のものとは少々勝手が違うがお茶の木である。水田の次は茶畑だ。
ラーヒージャーン茶畑:ラーヒージャーンTea trees: Lahijan

シェイフ・ザーヘド廟  Boq'e-ye Sheykh Zahed

シェイフ・ザーヘド廟は、ラーヒージャーンの町を見下ろす高台に建っている。
我々が行った時はちょうど葬儀が行われていて、中に入ることはできなかった。 コーランの一節か弔辞を読み上げる朗々たる声が聞こえてくる。時々、泣きが入る。
シェイフ・ザーヘド廟の屋根は、まるでネパールかどこかの寺院のような、イランでは見たことのない不思議な形をしている。
廟の周りで遊んでいた子供たち6~7人が、外国人がいることに気付き、こちらを見て何か話している。ふざけてカメラを向けたら、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
子供たちとお互い手を振って廟を後にした。
シェイフ・ザーヘド廟シェイフ・ザーヘド廟からの眺めBoq'e-ye Sheykh Zahed

お茶でも一杯

Lahijan Teaシェイフ・ザーヘド廟の参道脇にある茶店で、ラーヒージャーンの茶葉で淹れた紅茶をいただく。
ミルクのような味と香りがあって、後味に微かな苦みが残る。土産に茶葉を500グラム買った。

お茶所・ラーヒージャーン  Lahijan shahr-e chay ast

Lahijan町の中心まで戻り、ティーバッグ入りのラーヒージャーン紅茶を探す。
3軒目でようやく見つけた。日本に帰って、これを土産に配ったところ、紅茶が苦手だという人にも、非常に飲みやすいと好評だった。
聞けば、イランのどの町でもこのラーヒージャーン紅茶が手に入るわけではないらしい。生産量が少ないので、地元を中心にごく一部にしか流通しないようだ。

ラームサル

ラーヒージャーンから宿泊先のラームサルへ向けて出発したのは6時過ぎ。
意外と早く、2時間ほどでラームサルに着いたが、ラーヒージャーンに一泊してもよかったと後悔した。