旅の空

イランの旅 2007

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アルダビール、アースターラー、カスピ海

極上の朝食、サルシール  Sarshir va 'asal

夏でも、サルエインの朝は冷える。泊ったホテルでは朝食が出ないので外へ食べに行く。半袖のTシャツ一枚では少々肌寒く、長袖を羽織った。
この地方で蜂蜜と並ぶ名物といえば、「サルシール」だろう。
サルシールsarshir va 'asalサルシール
サルシールとは、新鮮な牛乳の表面に浮かぶ乳脂を集めたものだ。これを、サルエイン名物の蜂蜜と一緒にナンにつけて食べる。見た目はヨーグルトのようだが、食感はホイップクリームに近い。サルシールと蜂蜜との組み合わせはまさに絶妙だった。今までの人生で最高の朝食(洋食部門では)といっても過言ではない。
道路脇の緑地帯にキャンプしている一団がいた。この冷え込みの中、テント泊は少々つらかったのではないか。遠くにそびえる山々は、標高4,811メートルの名峰サバラーン山である。
サルエインSar'eynサバラーン山

シェイフ・サフィー・オッディーン廟  Boq'e-ye Sheykh Safi-od-din

サルエインを離れ、アルダビールに向かう。この町には、イスラム神秘主義者でサファヴィー教団の開祖、シェイフ・サフィー・オッディーンという人物の霊廟がある。
シェイフ・サフィー・オッディーン廟シェイフ・サフィー・オッディーン廟Boq'e-ye Sheykh Safi-od-din
想像していたよりもはるかに立派な廟だった。入口をくぐると3基の墓塔が迎えてくれる。その脇を抜けると中庭で、回廊と荘重なドームが現れる。濃い青を基調とした緻密な模様のタイルが壁面を覆い尽くしている。
Sheykh Safi-od-din MausoleumBoq'e-ye Sheykh Safi-od-dinシェイフ・サフィー・オッディーン廟
しかし、なんといっても圧巻はドーム内部だろう。エスファハーンのアーリー・ガープー宮殿音楽室によく似た装飾だ。壁面に穿たれた、陶器や楽器の形にも見える無数の穴と橙色の抑え気味の照明とが、なんともいえない幻想的な雰囲気を醸し出していた。
靴脱ぎ場が混雑していたので、石畳のところで靴を履こうとしたら、靴下の足でガムを踏んでしまった。このような場所にかみくずを捨てる不届き者がいるとは。
Boq'e-ye Sheykh Safi-od-dinシェイフ・サフィー・オッディーン廟

アルダビール  Ardabil

アルダビールのバザールにも行ってみた。どの町でも同じだが、ゴールド・バザールにさしかかると、お客が急に女性ばかりになる。ここでも、女性たちがショウケースに張り付いて、一心不乱に金製品を見つめていた。
アルダビールのゴールド・バザールBazar-e Ardabilアルダビールのバザール
車に戻る途中、通りがかりにちょうどイラン航空の支店があったので帰国便のリコンファームをした。

カスピ海へ  Be Darya-ye Khazar

アルダビールを離れ、カスピ海を目指して車を走らせる。明らかに風景が変わった。山肌に緑が多くなってきている。

峠の手前にある長いトンネルを抜けると、そこはもう別世界、目を疑うような風景が広がっていた。眼下に連なる山々は全て、鬱蒼とした緑に覆われている。今までイランで当たり前のように目にしてきた禿山はどこにもない。トンネルを1つ抜けただけでこんなに風景が変わるとは信じられなかった。ここは本当にイランなのだろうか、と。

峠の道端で、牛が何頭か草を食べていた。近くに柵もなければ、飼い主の姿もない。放牧というよりは放置だ。
峠近くのチャイハネ風の店で昼食をとる。隣の家族連れの小さな女の子が、こちらが気になるようでしきりと笑いかけてくる。あまりに可愛かったので、写真を撮らせてもらったら、泣き出しそうな顔になってしまった。さっきまで、はちきれんばかりの笑顔だったのに。

カスピ海を目指して峠道を下る。このあたりの風景は、アッバース・キヤーロスタミーの映画に出てくるコケルやポシュテの風景を思わせる。道沿いの至るところにあるちょっとした草地で、たくさんの家族連れがのんびりと休憩していた。大きな敷物の上で車座になって食事していたり、揃って昼寝していたり。
山道を下るにつれ、次第に緑が濃く、厚くなっていく。空気が湿気を帯び、蒸し暑さを感じるようになってきた。

水田風景

山道を下りると、さらに信じられない風景が広がっていた。
車を下りて、確かめてみる。間違いない、これは稲だ。間から雑草が頭を出していたりして、日本とは幾分、様子が異なるが、一面の水田である。それに、湿っぽい空気。イランを旅していたら、突然、日本へ瞬間移動してしまったような、そんな感覚だった。頭が混乱しそうになる。
イランの水田:ギーラーン州A paddy field of Iran, Gilan Provinceギーラーン州の風景

アースターラー  Astara

カスピ海の町、そしてアゼルバイジャンとの国境の町、アースターラーに着いた。エアコンの効いた車内から出ると、空気が全身にまとわりつくように重い。この蒸し暑さは日本の夏と全く同じではないか。一瞬、頭がくらくらして、倒れそうな気がした。ファールスやヤズドのような乾いた暑さはさほど苦にならないけれど、この湿度の高さはこたえる。
バザールに行ってみる。ここのバザールは、今までイランで見てきたようなレンガ造りのアーケードではない。鉄骨を組んだ大きな小屋という感じである。密閉空間とまではいえないものの、風がほとんど通らないので蒸し暑くてたまらない。表情には出さないので感心するが、全身被り物姿の女性たちは相当つらいだろうと思う。頭の天辺からつま先まで黒一色で決めているのに、首回りだけ露出している若い女性を見かけた。真っ黒な背景に肌の色が一層引き立って見え、思わずドキッとさせられる。
アースターラー:バザールAstaraアースターラーのバザール

カスピ海  Darya-ye Khazar

バザールを抜けたすぐ先が砂浜だった。涼しい海風に吹かれてほっとする。砂浜には海の家のような休憩所がいくつもある。
カスピ海(アースターラー)カスピ海(アースターラー)Darya-ye Khazar (Astara)
初めて見るカスピ海。砂は黒く、水が澄んでいるわけでもない。日本のどこにでもあるような海だ。
大勢の人が海水浴を楽しんでいる。チャドル姿のまま水につかっている女性もいる。
Caspian Sea (Astara)Darya-ye Khazar (Astara)カスピ海(アースターラー)

カスピ海地方の風景

アースターラーから今日の宿泊地バンダレ・アンザリーまで、カスピ海に沿って車を走らせる。バンダレ・アンザリーまでの道は、まるで日本と見紛うような風景の連続だった。
一面、水田が広がっている。稲穂に実がしっかりとついていて、収穫の時期も近いと思われた。そして、水田の向こうには鬱蒼と緑の生い茂る山々。蝉の鳴き声まで聞こえてくる。
切妻屋根の家屋もどことなく日本と近いものを感じた。イランによくあるオアシス都市が、沙漠の中の水がある一点に孤立してできたのに対し、カスピ海地方は、どこまでいっても人家が点々と続き、どこが町と町の境界なのかはっきりしない。
ギーラーン州の風景Ostan-e GilanA scenery of Gilan Province, Iran

マーヒー・セフィードがある限り…  Ta mahi-ye sefid hast...

Mahi Sefid(マーヒー・セフィード)バンダレ・アンザリーに着いたのは夜8時、辺りはもうすっかり暗くなっていた。2004年のイラン旅行で知り合ったSさんから、バンダレ・アンザリーでマーヒー・セフィード(白魚)の写真を撮ってくるよう頼まれている。
イランでは魚料理がほとんど出てこないが、このマーヒー・セフィードだけは特別で、正月料理に欠かせない食材だという。「白魚がある限り、その手の物は願い下げだね」という決まり文句がペルシア語にあるほどだ。
実物を見る前に、まずは試食だ。小骨の先がY字状に分岐している。こんな珍しい骨を持つ魚は見たことがない。しかし、セフィード(白)というだけあって、白身でクセもなく、なかなか美味しい。何より、肉料理の日々が続いた後の久々の魚料理がうれしい。

眠れぬ夜

アンザリー港泊ったホテルの部屋にはエアコンがなかった。天井扇を回し、窓を目一杯、開けて寝る。しかし、窓を開ければ、対岸の港湾施設から聞こえてくる荷役作業の音が結構うるさい。かといって、窓を閉めれば蒸し暑い。まさに日本の熱帯夜のような寝苦しさだった。