イランの旅 2009
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タンゲ・チョウガーン
タンゲ・チョウガーン(チョウガーン渓谷) Tang-e Chowgan
ビーシャープールの遺跡から目と鼻の先、カールーン川沿いの岩壁に、ササン朝の素晴らしいレリーフ群がある。
古代の街道はこの川沿いを通っていたらしい。レリーフは、そこを通る人々に支配者たちの威光を見せつけるものなのだ。
シャープール2世と臣下たち Naqsh-e Shapur Dovvom
シャープール2世(309~379 AD)。人差し指を軽く曲げて立てる仕草は恭順の意を表す。
バハラーム1世騎馬王権神授図 Naqsh-e Bahram Avval
アフラ・マズダ神(写真右)から王権を授与されるバハラーム1世(273~276 AD)の図。2頭の馬と馬に乗った神と王は向かいあって左右対称をなしている。王が乗った馬は倒れた敵を踏みつけている。典型的なササン朝レリーフの図式である。
バハラーム2世騎馬謁見図 Naqsh-e Bahram Dovvom
従者に導かれて馬上のバハラーム2世(276~293 AD)に謁見するアラブ人の図。背後に献上物の駱駝が描かれている。タンゲ・チョウガーンの中で最も保存状態が良く、美しいレリーフだと思う。
見るのに夢中で、なぜ、レリーフの中央部分が一直線に深くえぐれているのか、聞くのを忘れた。
シャープール1世対ローマ戦勝記念図 Naqsh-e Shapur Avval
シャープール1世(240~272 AD)がローマ帝国との戦いで勝利したことを記念するレリーフ。ビーシャープール一帯にあるレリーフの中では最も規模が大きく、手が込んだものだ。特に、下段の騎馬隊が居並ぶ様は壮観である。
このレリーフだけ特に損傷が激しいのが惜しまれる。
シーラーズへ
カーゼルーンで遅い昼食をとる。ラマダン中だが、こんな辺鄙な場所でも、営業しているレストランがあるのは意外だった。
ガラス窓を新聞紙で目張りしているので、中の様子はうかがえない。しかし、入ってみれば、客は我々だけだった。ガイドのスィヤーヴァシーは、僕と一緒にテーブルには着くが、ラマダンをきちんと守って何も口にしない。シーラーズにいる3日間、昼食はこの状態が続いた。
ラマダン中の人物を前に飲食するのは、非常に気が引けるものだ。特に、彼が時々、辛そうな顔をしているのを見ると。しかし、こちらとしては、真夏でもあるし、飲まず食わずというのは考えられない。
シーラーズに戻ってホテルで休憩すると、もう夕方になった。戻ってから市内観光する時間も気力もあるだろうと思っていたが、結局、ビーシャープール行きは一日がかりだった。
シャープール1世の立像があるというシャープール洞窟へ行けなかったのが心残りだ。洞窟へ行く手段は徒歩のみで、ホテルをさらに2時間半早く出る必要があるというので、断念した。
アリー・エブネ・ハムゼ聖廟 Emamzade-ye 'Ali Ebn-e Hamze
夕食前、5年前に訪れた、アリー・エブネ・ハムゼ聖廟へ案内される。懐かしい。何も変わっていない。が、ラマダン中だからか、大勢の信者が中庭に集まってお祈りをしていた。モッラー(導師)のもと、数人の男性が、かわるがわる、コーランか何かの一節を朗々たる声で詠唱する。哀調を帯びた節回しが聖廟に響き渡った。