旅の空

イランの旅 2009

7

エスタフル、ペルセポリス

ラマダンの珍客

昨日に続き、人気のないホテルのレストランで一人、朝食のテーブルに着く。しかし、今日は、真夏のラマダンにわざわざやって来た物好きな日本人の他に、珍客がもう一組いた。
いかにも今風の格好をした若いイラン人カップルである。特に、女性のファッションンが目を引いた。本来ならヘジャーブにより髪を全て隠すはずのスカーフは、後頭部にかろうじて引っ掛かっているだけで、ほとんどアクセサリーと化している。しかも、髪の毛を金髪に染めていた。
ラマダンなど、はなから彼らの眼中にないことは明らかだった。しかし、ラマダン中ということもあって、彼らの醸しだす場違い感は、レストランのウェイターたちの注目を集めるのに充分だった。
今日は、エスタフルというアケメネス~ササン朝期の遺跡を初めて訪れる。そして、前回来たときに見学時間が全然足りなくて欲求不満が募ったペルセポリスを再訪する。

エスタフル  Estakhr (Takht-e Tavus)

エスタフルは、アケメネス朝時代に建設された都市遺跡らしいが、その後も、ゾロアスター教の三大聖火の一つが置かれるなど、重要な場所であり続けた。サーサーン家は、かつてここにあったアナーヒター神殿の神官を代々務めていたといわれ、ササン朝ペルシアの故地でもあるのだ。
この遺跡は現在、タフテ・ターヴースという名でも呼ばれる。意味は、「孔雀の玉座」である。いかにもイランらしい、文学的な命名だ。
位置的には、ペルセポリスを通り過ぎたすぐ先である。そして、前回は気付かなかったが、ペルセポリスも、アケメネス朝の磨崖王墓があるナグシェ・ロスタムも、シャープール1世のレリーフが刻まれたナグシェ・ラジャブもみな一固まりともいえる場所にあったのだ。

エスタフル ~2 Estakhr (Takht-e Tavus)

高台を上ると、その先には、一面の荒野が広がっていた。遠くに岩山が屏風のように連なっている。荒野の真っただ中に、石の柱や壁の残骸がぽつんと立っていた。その周囲には、ペルセポリスと同じ様式の柱や柱飾りの残骸が半ば埋もれるようにしてあちこちに転がっている。
エスタフルEstakhr,Takht-e Tavus
イスタフルIstakhr,Takht-e Tavus
周辺を歩くうち、かなり広範囲の地面に、陶器のかけらが散乱していることに気づいて、唖然とした。これは、古代の遺物ではないのか。
エスタフルEstakhr,Takht-e Tavus
ガイドのスィヤーヴァシーによれば、エスタフルではまだ本格的な発掘調査は行われていない。ペルセポリスに並ぶ一大遺跡が地面に埋もれている可能性があるという。
地表に見えているものはアケメネス朝時代の遺物ばかりで、ササン朝時代の遺物としては、城壁の残骸があるだけだ。サーサーン家ゆかりの神殿などは影も形もなかった。
イスタフル:ササン朝時代の城壁跡Istakhr,Takht-e Tavus
ところで、フィールーザーバードのアルダシール宮殿内部で、そこにアケメネス様式の漆喰装飾が施されているのを見て疑問に思ったことがある。ササン朝はアケメネス朝王家の後裔をもって任じた。とはいえ、その間には、ヘレニズム系のセレウコス朝やアルサケス朝パルティアを挟んでおよそ500年もの断絶がある。500年前に祖先が用いたデザインを彼らは一体どのようにして知ったのか。しかし、エスタフルに来た途端にそんな机上の疑問は解消した。何のことはない、ササン朝建国者たちは、ここエスタフルや至近距離にあるペルセポリス、あるいはナグシェ・ロスタムで、祖先が残した造形を日頃から目にしていたに違いない。ペルセポリスも1970年代に発掘された際には遺跡全体が砂で覆われていたというが、ササン朝時代にはまだそこまで埋もれてはいなかっただろう。

エスタフル ~3 Estakhr (Takht-e Tavus)

道路を挟んだ反対側にもアケメネス朝時代のものと思われる巨石建造物の遺構があった。パーサールガードの建造物に似ているような気がする。
この遺構は、前回来たときも、ナグシェ・ラジャブへ行く途中の車窓から見えたはずだが、全く覚えていない。
イスタフルIstakhr,Takht-e Tavus
驚いたことに、ここにも陶器のかけらなどが辺り一面に散乱していた。こちら側には、立ち入りを規制するロープも柵もない。あろうとか遺跡にスプレーで落書きする輩までいる始末だ。2,500年以上も前のアケメネス朝時代と思しき夥しい量の遺物が地面に転がったままだ。
エスタフルEstakhr,Takht-e Tavus
正直なところ、土器のかけらをいくつか持って帰りたい衝動に駆られた。中には美しい色が残ったものもある。でも、悩んだ末、思いとどまった。こうした遺物の持ち出しはイランでも当然、違法だろう。それに、イランは空港での手荷物検査が厳重なのだ。そう自分に言い聞かせた。
イスタフルIstakhr,Takht-e Tavus

再びのペルセポリス  Persepolis, Takht-e Jamshid

ペルセポリスエスタフルに思いのほか時間をかけたため、ペルセポリスへ着いたのはもう昼時だった。スィヤーヴァシーの提案で、昼食で一旦外に出て、昼食後に戻って再入場することになった。一度外に出たら、また入場料を支払わなくてはいけないのかと思ったが、その辺りはガイドの顔で融通が利くらしい。
駐車場からプレハブの軽食店、土産物屋、チケット売り場などが集まる一角を抜けると、巨石積みの基壇が目前に現れる。5年前の感動が甦ってきた。
何度見ても、この石の大きさや重量感には圧倒される。それでいて、非常に精緻な石の加工もすごい。
5年前と違って、正面階段には、スノコ状の木の板が敷きつめられていた。前回より遺跡保護の意識が強くなっている。
Persepolis (Takht-e Jamshid)ペルセポリス

ペルセポリス ~2  Persepolis, Takht-e Jamshid

今回、ラマダンの威力を最も実感したのがここ、ペルセポリスである。
5年前は、ここも大勢の観光客で賑わっていた。それが、今回は、イラン人観光客の姿さえまばらである。周りに自分以外、誰もいないという時間も多かった。
照りつける日射しは以前と変わらないように思われた。500mL入りのペットボトルの水などすぐに飲み干してしまう。遺跡内に、冷たい水を飲ませてくれる大きな給水機が置いてあるのは非常にありがたく、ここで何回も給水した。でも、暑さはほとんど気にならなかった。たぶん、今回もすっかり舞い上がっていた。

ペルセポリス ~3  Persepolis, Takht-e Jamshid

正面大階段を上りきると、クセルクセス門が迎えてくれる。この大遺跡にふさわしい壮麗な門だ。門へと進むうち、自然と気分が高揚してくる。巧みな演出効果だと思う。
門に浮き彫りされている牡牛と有翼獣神を改めてよく見ると、どちらも石とは思えないほど表面が滑らかで、隆々とした筋肉の表現も見事だ。その技巧には目を見張るものがある。
クセルクセス門(万国の門):ペルセポリスXerxes' Gate (Gate of All Nations ):Persepolis
そして、ホマー。かつてこの大宮殿の梁を支えたグリフィンの柱飾りである。ペルセポリスで最も対面したかった像だ。凄みの効いた表情には妖気すら覚える。
同じく宮殿の柱を飾っていた牡牛。パターン化されたたてがみやくつわといい、なんという柔らかで優美な線と形であろうか。
ホマー:ペルセポリス牡牛の柱頭:ペルセポリス
5年前と変わっていたのは、正面階段と同じく、遺跡内の通路にも木の板が敷いてあったこと。そして、主だったレリーフや彫刻の周囲を大きなガラスで囲ってしまったことだ。たしかに、遺跡保護にはこの方が良いかもしれないが、写真を撮ろうとすると、どの位置からでもガラスが写ってしまうのが困りものだ。
「不死隊」のレリーフ:ペルセポリスThe Royal Guards: Persepolis, Takht-e Jamshid
遺跡内にハレムの建物を復元した博物館がある。5年前、この建物を見て、不意に奈良を頭に思い浮かべたことを思い出す。あのときの既視感は何だったのだろうと考えてみた。たぶん、赤い柱に木の柱頭を見て、つい、朱塗りの柱と雲斗の組み合わせ連想してしまったのだ。
ペルセポリス:博物館Persepolis (Takht-e Jamshid)

ラーネイェ・ターヴース  Lane-ye Tavus

昼食のため、一旦、ゲートをくぐって遺跡の外へ出る。行先は、5年前にも訪れたレストラン、「ラーネイェ・ターヴース(孔雀の巣)」である。ペルセポリス周囲には、相変わらずここ以外にレストランはなさそうだ。
ペルセポリスまで来たからには、ここにも是非もう一度行きたいと思っていた。楽しかった2004年の旅で、思い出に残る場所の一つだ。
ペルセポリス周辺の景色ラマダンのラーネイェ・ターヴース・レストラン
果たして、ここでもラマダンの閑古鳥が鳴いていた。見たところ、我々以外にお客はせいぜい2~3組。前回来たときには、国内外からの観光客で、ほぼ満席の大繁盛だったというのに。でも、頭上を梢が覆い、中央の池で噴水が上がるこのレストランは本当に居心地が良い。野良猫が餌をねだりに忍び寄って来るのも懐かしい。
見覚えのある男性従業員がいた。5年前もこの店で彼を見かけたような気がする。障害で口がきけない彼とスィヤーヴァシーは手話と唇の動きで会話していた。「5年前にもここへ来たよ」と伝えると、嬉しそうに笑顔を見せた。
Restaurant Lane-ye Tavus in Ramadanラマダンのラーネイェ・ターヴース・レストラン
帰り際、彼は、「午後5時から池をプールにするから水着を持ってもう一度来い」と冗談を言った。あるいは、ラマダンで商売上がったりなので、本当に水遊びでもしていたかもしれない。