イランの旅 2013
9
キヤーマルス宮殿(フォルグ)
レストラン
タンゲ・チャク・チャクからロスターグに戻ってきたらちょうど昼時になった。街道沿いのレストランに入る。
中にはテーブルが3つと座台が2つだけ。がらんとした室内でジュージェ・キャバーブ(チェロウ・モルグだったか)を黙々と食べる。客も我々3人だけ。田舎のレストランにしては、というより、田舎のレストランだからなのか、新鮮でおいしい鶏肉が出てきた。


時間があるので、ダーラーブへ戻る前に、ロスターグの隣村・フォルグ(ドボルジー)にある小遺跡を見に行くことにした。
ロスターグ・フォルグ高架橋
フォルグは、チャク・チャクの渓谷を挟んでロスターグのちょうど反対側に位置する村だ。チャク・チャクの渓谷から流れてきた砂礫によって形成された扇状地であることが、航空写真ではっきりと見てとれる。
ロスターグ・フォルグ間は意外に山がちな地形なのだが、92号線(ダーラーブ・ハージーアーバード街道)の途中に、ロスターグ郡長自慢の土木建造物がある。ロスターグ・フォルグ高架橋である。(※筆者が勝手に呼んでいる名称なので注意)
ロスターグ郡庁舎の壁に掲げてあったこの高架橋の写真を前に、郡長自ら説明してくれたのでよく覚えている。

切り立った巨大な岩壁だけでも圧倒的な眺めだが、分厚い岩山をくり抜いたトンネルや岩肌を削って切り開いた道路、宙を駆け抜けるような橋を目の当りにすると、それがどれほど大変な工事であったかは想像できる。観光スポットに充分なりうる景観だ。

キヤーマルス宮殿 Qasr-e Kiyamars
キヤーマルス宮殿は、ダーラーブ周辺にある見所の一つとして、テヘランの手配会社が推薦してきた遺跡だ。リクエストした場所だけでは時間が余るかもしれないと思い、推奨観光スポットをいくつか提案してもらっていた。

宮殿はフォルグの集落を抜けた胡麻畑の中にぽつんと建っている。「キヤーマルス」は旅行会社から教えられた名前だが、おそらく、「カユーマルス」(kayumars:イランの神話王朝初代の王または最初の人間ガヨーマルト)のことだと思う。

ここへ来る前に、ハメドさんがこの地域を管轄する文化遺産庁の係官に遺跡の場所を電話で問い合わせたところ、なんと係官自ら現地を案内してくれることになった。そしてさらに、この宮殿について書かれた論文のコピーを持っているという大学生2人をわざわざ呼び出してくれたのだ。フォルグの人々からも思いがけぬ親切ともてなしを受け、感謝の念しきりである。

論文のコピーを持って駆けつけてくれた大学生によれば、この宮殿はドイツの学者が調査を行っており、建物の基本的な構造はササン朝最後期の特徴を示しているという。

たしかに、外壁や基礎部分、エイヴァーン形式はそれらしく見えるところがあるが、そうだとしてもイスラム時代の改変が大きくて、正直なところ、あまりササン朝建築であるという気がしなかった。ドーム周囲の装飾などはザンド朝の仕事であろう。
何しろ、現地で聞いたこと以上の情報がないので、ここにこういうものがあった、という記述に留めたい。

拝火神殿? Ateshkade?
キヤーマルス宮殿の近くにもササン朝時代(?)の遺跡があるという。せっかくなので、案内してもらった。

見ると、拝火神殿風のいかにも古そうな建造物が畑の中にある。拝火神殿といってもタンゲ・チャク・チャクのそれとは全く比較にならないごく小さなものだ。入口の高さは大人が少し屈んで入ることのできる程度である。

さて、これも本当にササン朝時代の建造物なのかどうか、僕にはわからない。そのようにも見えるし、比較的、最近造られたようにも見える。石の積み方はキヤーマルス宮殿と共通するようだ。


もし、ササン朝時代に造られたものだとすれば、これが「村の火」もしくは「バハラームの火」と呼ばれる聖火を祀った神殿なのだろうか。

遺跡よりむしろ、青々とした畑が一面に広がる風景に魅かれた。

ここまで案内してくれた係官と大学生たちに礼を言って別れる。別れ際に大学生のカメラで一緒に記念撮影した。

午後2時過ぎ、フォルグを離れ、ダーラーブへ戻る。