イラン 2016
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ケルマーン その2
ケルマーンの拝火神殿 Ateshkade-ye Zartoshtiyan, Kerman
イランでゾロアスター教の町といえばヤズドが有名だが、ケルマーンはヤズドの次にゾロアスター教徒が多い町だ。ケルマーンには博物館を併設した拝火神殿があるというので、是非とも行きたい場所としてリクエストしておいた。
ジャバリーエ・ドームとアルダシール城塞、そしてこの拝火神殿はどれも町の東側に立地している。これは、ササン朝時代のケルマーンが現在よりも東寄りにあったことを示唆するものだろうか。


拝火神殿の入口の扉には、拝火壇と精霊フラワシに「andīshe-ye nīk(善思)、goftār-e nīk(善語)、kerdār-e nīk(善行)」のゾロアスター教三徳を象ったプレートがしつらえてあった。拝火神殿がある地域にはゾロアスター教徒が多く住んでいるという。


しかし、拝火神殿の扉には鍵がかかっている。どうやら金曜日は休みのようだ。ゾロアスター教の施設なのに休日がムスリムと同じとは意表を突かれたが、イランの社会がイスラムの決まりごとで動いている以上、折り合いは必要だろう。
拝火神殿と博物館は日を改めて出直すことにした。ここでも時間配分の見込みが狂う。
ケルマーンの金曜モスク Masjed-e Jame', Kerman
モスクへの参道は道路から階段状に下がってゆき、その両脇を壁のように建物が並んでいる。ケルマーンの金曜モスクは、独特のアプローチ空間が印象的だ。午後3時過ぎ、照り付ける太陽を反射して、白っぽい色の敷石が一層、目映い。
門の天辺に時計台を持つこの珍しいモスクは、訪れる人もまばらで時間が止まったようだった。

金曜モスクとはいえ、ケルマーンの金曜礼拝は今やここでは行われていない。町が大きくなって人口が増えるにつれ、ここでは手狭になってしまったためだ。金曜礼拝が行われなくなった金曜モスクには心なしか物寂しさが漂う。
老夫婦が、礼拝室の中庭に面した床に向かい合って座り、仲睦まじく何か話をしていた。

日干し煉瓦のベージュ色と幾分、控え目に施されたタイルの青色を見ていると心が落ち着く気がする。

イランのモスクでヴォールト(穹窿)の天井を見上げる時、僕はいつもフィールーザーバードのアルダシール宮殿を思い出す。イランのモスクの源流は、アルダシール宮殿のエイヴァーンにあるのだと感じる。
モアイェディー氷室 Yakhchal-e Moayedi
カップ入りのソフトクリームのような不思議な形をした土壁の建造物は氷室(ヤフチャール)である。冬にできた氷をこの中で貯蔵しておけば、イランの暑い夏まで保てるというから驚きだ。

背後の壁も日射と氷室内部の温度上昇を防ぐためのものだという。氷室本体もそうだが、外の熱を内部に伝えないための壁の厚さは半端ではない。
ここはいずれ子供向けの図書館に改装されるらしく、内部の見学はできなかった。


このような氷室はイラン各地にあるようだ。僕も以前、ヤズド近くのメイボドという町で同様のものを見た。また、ケルマーンにはこのモアイェディーの他にも氷室がある。
ドフタル城砦 Qal'e Dokhtar
ジューパールでの観光時間が予想よりはるかに短かったこと、それにゾロアスター教博物館と拝火神殿が休館日だったことから、午後は時間を持て余し気味だった。そこで、心残りだったアルダシール城塞(ドフタル城砦)へもう一度行ってもらうことにした。2つある山のうち、高い方の山はまだ見ていない。麓の適当な場所に車で近づいてもらう。
粗末な家が並ぶ狭い未舗装の道に入り込んでいった。家の外で遊んでいた子供たちや車の整備をしていた男が我々の方を見る。一体、何が面白くてこんなところへ来たのかとでも言いたげな視線を感じた。ササン朝時代の遺跡とはいえ、その真下に住む住民にとっては、単なる日常の風景に過ぎないのだろう。

麓から見上げると、ドフタル城砦の山は、登ってみようなどとは思いもよらないほどの急傾斜であった。あの急斜面の上に一体、どうやって城砦を築いたのだろう。峻険な山に建つこの城塞の方が、犯すべからざるもの、あるいは難航不落という含みのあるドフタル(乙女)城砦の名にふさわしいではないか。

片や砕石で方や日干し煉瓦という材質の違いはあるが、この城砦にもフィールーザーバードのドフタル城砦を彷彿とさせる半円形の遺構がある。

アルダシール城塞のある山の、ちょうどドフタル城砦の山と正対する東側の麓にも公園がある。そこから斜面を登る階段が続いていた。まだ明るい時間帯とはいえ、西日に照らされたドフタル城砦と麓の街並みが印象的だった。

エマーム・ホメイニー(旧マレク)・モスク Masjed-e Emam Khomeyni (Malek)
運転手の勧めで2日目の最後に訪ねたのは、エマーム・ホメイニー・モスクである。イラン革命の指導者であるホメイニー師の名を冠したモスクはイラン各地にあるが、ケルマーンのエマーム・ホメイニー・モスクは旧名をマレク・モスクといい、元はセルジューク朝時代に建てられたものだという。


日干し煉瓦の組み方を工夫して模様を作るところや日干し煉瓦の壁にタイルをあまり貼らないところは、ヴァラーミーンの金曜モスクに似ている。しかし、エマーム・ホメイニーという名前が付いたせいか、このモスクはプロパガンダの色合いを帯びてしまった。
中庭に、「mā amrīkā rā zīr-e pā mī-gozārīm(我々は必ずやアメリカを打倒するだろう)」というスローガンが掲げてある。モスクにこのようなスローガンがかかっているうちは、イランとアメリカとの友好関係は望めないのではないか。


ところで、スローガンにある「zīr-e pā mī-gozārīm」という言い回しは、直訳すると「足の下に置く」という意味になる。僕はこの語句を見てササン朝のレリーフを頭に思い浮かべた。
ササン朝ペルシアの王は、ローマ帝国との戦いで勝利した際、それを記念するレリーフを各地に刻んだが、勝者である王が地面に横たわった敵を踏みつけるという構図はお約束なのである。ペルシア語の「打倒する」という慣用句の背後には、あるいは、こうしたイメージが働いているのかと思う。

ただ、モスクや町中に反米スローガンが掲げてあるからといって、イラン国民全てがアメリカ嫌いというわけでもない。
この日、夕食に行ったKondezは、ハンバーガーやフライドポテト、ピザなどを出す、日本で想像するようなファスト・フードのチェーン店だが、店内の壁紙はニューヨーク、タイムズ・スクエアの大きな写真だった。
ディズニー映画の「アナと雪の女王」はイランでも大人気だったようで、おそらく非公認とは思うが、主人公エルサのプリントTシャツやバッグなどのキャラクターグッズを見かけない日はないほどだ。
イランで最も通用する外貨は、初めて訪れた12年前から今も変わらずアメリカ・ドルである。
「反米」という言葉だけでは片付けられない国なのだ。