旅の空

イラン 2016

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ラーイェン

ケルマーン・バム街道  Jadde-ye Bam-Kerman

ケルマーンの約100キロ南にあるラーイェンという町を目指して車を走らせる。

沿道に不思議なオブジェが次から次へと現れて旅人の目を楽しませてくれる。シャッターチャンスは車が通り過ぎるまさに一瞬だ。この犬のオブジェを作ったのは、ジャバリーエ・ドームの広場にある馬のオブジェを作ったアーティストだろう。

ケルマーン・バム街道 | Kerman-Bam Expressway

ケルマーン・バム街道から見渡す数キロ先までは平原が広がり、小さな村々や畑が点在する。さらに、その先には険しい山並みが延々と横たわっている。反対側の車窓も同じであった。

ケルマーン・バム街道 | Jadde-ye Bam-Kermanケルマーン・バム街道 | Jadde-ye Bam-Kerman

街道一帯を地形図で見ると、まるで両側を高い壁で囲まれた回廊のようだ。イラン中・北部とアフガニスタンやパキスタン方面との往来にはここを通る以外にあるまい。ケルマーンが交通の要衝といわれる所以がよくわかる。古代の隊商や軍隊もここを行き来したのだろうと想像してみる。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)  Arg-e Rayen

ケルマーンから車で1時間ほどかかっただろうか。ラーイェンはちょうどジューパールに似た印象のする小さな田舎町だ。ジューパールと同じく起伏に富んだ地形である。

ケルマーン州の目玉観光スポットであるラーイェン城塞は丘の上に建っている。城塞は分厚くて高い土壁に囲まれ、どっしりとした円形の塔が一定間隔で城壁からせり出している。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

ラーイェンの城塞は日干し煉瓦で造られた中世の城塞都市であるが、その起源はササン朝時代にまで遡る。現在は廃墟となっているものの、19世紀の初めまでは人が住んでいたらしい。大きさは約140メートル四方。約18万平方メートルのアルゲ・バムに比べると面積はおよそ8分の1だが、バムとよく似た造りをしているという。また、アルゲ・バムが壊滅的な被害を受けた地震の影響もなく、保存状態も良好といわれている。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

城塞の内部は支配者階級と平民とで居住区域を分けていたらしい。城門から入って最奥部にある領主の館はさらに高い城壁で内部の守りも固めている。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

領主の館は城塞の他の建物箇所に比べるときれいに復元されすぎているほどだ。しかし、主の住まいにしては思いのほか慎ましかった。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)
アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞) その2  Arg-e Rayen

城塞の中には意外なことに拝火神殿があった。城塞が放棄されるつい200年前まで、ゾロアスター教徒もここで暮らしていたのだ。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

拝火神殿の内部に入ってみる。ドーム下の床は一段低く掘り下げられ、中央部にはさらに小さな窪みがある。ここに拝火壇を置いていたのだろうか。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

支柱の構造は四辺にアーチを配したチャハール・ターグ形式である。ドームの天井には採光のためか穴が開けてある。これまで見てきたササン朝時代の拝火神殿遺跡と同じだ。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞) その3  Arg-e Rayen

立体迷路のような城内をさまよい歩く。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

そこにあるのは土と陽光と影だけだ。建物の元の姿は想像がつかない。雲一つない青空を背景に、土壁を穿った単純な四角や丸の形はまるでシュルレアリスムの絵画でも見ているような気分にさせる。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

19世紀初めまで人が住んでいた場所なので、建材に使われている日干し煉瓦は比較的新しい。しかし、所々に、解けて土に還りかけた古い煉瓦積みが見受けられるのだ。ササン朝時代から残っているものもあるのではなかろうか。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

高い城壁に守られたラーイェンを、侵略してきたアラブの軍勢も攻め落とせなかったという。ササン朝滅亡前夜、ヤズダゲルド3世の時代の話だ。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

アルゲ・バムが地震で崩壊した後、アルゲ・バム的情緒を味わえる代用の観光スポットという感が強かったラーイェン城塞であるが、なかなかどうして見応えがあった。朝、ここに来てから、気付けばもう正午近くになっている。

アルゲ・ラーイェン(ラーイェン城塞)| Arg-e Rayen (Rayen Citadel)

ラーイェンよりはるかに広大なバムの城塞を見学するには何時間かかるだろうか。

ティーギャラーンの夜々(マーハーン)  Shabha-ye Tigaran, Mahan

昼食も兼ねて、次の目的地であるマーハーンへ移動した。ラーイェンからケルマーン方面へ70キロほど戻る。

運転手が案内してくれたレストラン「ティーギャラーンの夜々」はマーハーンの人気店であるらしい。

ティーギャラーンとは、この後訪ねるシャーザーデ庭園の水源となっている山の名である。庭園を含め、マーハーンの町自体は沙漠のただ中にあるのだが、山裾からカナートで水を引いているようだ。ティーギャラーン山系の豊富な水脈がシャーザーデ庭園とマーハーンの町を潤している。

レストラン・ティーギャラーンの夜々(マーハーン)| Restaurant Shabha-ye Tigaran, Mahan)レストラン・ティーギャラーンの夜々(マーハーン)| Restaurant Shabha-ye Tigaran, Mahan

木立にあるレストランを風が吹き抜ける。食事を済ませた後、しばらくここで休憩することにして、広々とした木陰の座台に体を伸ばした。意識はしていなかったが、炎天下のラーイェン城塞を何時間も歩き回って、やはりそれなりに疲れていたらしい。

レストラン・ティーギャラーンの夜々(マーハーン)| Restaurant Shabha-ye Tigaran, Mahan)レストラン・ティーギャラーンの夜々(マーハーン)| Restaurant Shabha-ye Tigaran, Mahan

寝そべって、噴水が立てる水音や風が枝や木の葉を揺らす音を聴く。木陰にいるだけで充分涼しいのに、頭上に巡らせたゴムの配管から時折、細かな霧が吹き出し、肌にひんやりと降りかかる。午後はもう観光など行かずに、このまま休んでいたいとさえ思った。このレストランで過ごしたひと時をいつまでも憶えていたい。