旅の空

イランの旅 2009

2

ペルシアの宝物

エミレーツ航空

今回は、夏休みの予定が成田から週2便しかないイラン航空の運航スケジュールと合わなかったため、エミレーツ航空を使う。エミレーツ航空は、2009年時点ではまだ成田空港に就航していなかった。
フライトスケジュールは次のとおりだった。
 (1) 羽田 20:30発 → 関西国際空港 21:45着
 (2) 関西国際空港 23:15発 → ドバイ 04:15着
 (3) ドバイ 07:45発 → テヘラン 10:25着
エミレーツ航空は羽田からテヘランまで毎日運航しているため、旅行日程を自由に組むことができる。乗継が2回あるが、乗継時間を考えれば、接続はかなり良い方だ。ドバイ空港で買い物をする時間も充分にある。
エミレーツ航空は、イラン航空に比べて遅延は少ないし、何より航空機が新しいので、フライトの安全度は格段に増す。しかし、イラン航空の直行便が成田を午後出発して日付がちょうど変わる頃にはホテルにチェックインして一眠りできるのに対し、エミレーツ航空は深夜出発の上にテヘラン到着が昼近くとなる。いかに定評あるエミレーツ航空とはいえ、エコノミークラスで約13時間、よく眠れぬままテヘランに到着し、直ちに観光開始することになる。それに、乗り継ぎで移動時間はどうしても長くなり、行きと帰りで半日ずつ損する計算だ。痛し痒しである。

ドバイへ

関西国際空港を発ってから約10時間、飛行機はイラン上空を通過する。しかも、今回の目的地であるシーラーズのすぐ近くを。これから、ドバイに降りて、テヘランへ向けて北に飛び、今度は国内線でまたシーラーズまで南下するのだ。なんという遠回りであろうか。
ドバイ国際空港は単に巨大なだけではなく、構造が感覚的に非常に分かりやすく、トイレなどの施設も新しくて充実している。日本人からみても、関西国際空港より乗り継ぎがはるかに分かりやすい。世界中から人が集まるのも当然という気がする。
しかし、過剰冷房はいただけない。搭乗待合室の温度は一体何度だったのか。半袖では凍えるほどの寒さだった。

エマーム・ホメイニー空港

2年前にイランへ来た時、イラン航空はテヘラン市中心にほど近いメヘラバード空港に着陸したが、その後、テヘランから40kmほど南の荒野に新しい空港ができて、国際線の発着は全てその新空港に移った。エマーム・ホメイニー国際空港(IKA)である。メヘラバード空港は国内線専用に運用されているという。
さほど大きくも新しくもなかったけれど、メヘラバード空港には愛着があっただけに少々淋しい気がした。まあ、国内線でいずれ使うのだが。
空港出口で日本語ガイドのマジドさんが出迎えてくれた。

その後のテヘラン

エマーム・ホメイニー空港からテヘラン市内への移動手段はタクシーか自家用車しかない模様。最低でも1時間は見積もった方がよさそうだ。ちょうど昼時にさしかかった頃、テヘラン市内へ入った。
2ヵ月前にテレビやユーチューブで見た騒乱の痕跡を車窓から探したが、少なくとも僕が通った経路では何も見つけられなかった。路上で燃え盛る路線バスや散乱した瓦礫は、すっかり片付けられていた。通りを行き交う人波に変わった様子もなく、前回来たときと同じ日常の風景があるばかりだ。
2ヵ月前のあの騒動は一体、何だったのか。それが実際に起きたことさえ信じられない気がしてきた。でも、マジドさんによれば、デモが起きた日、たった30分で大群衆が道路に溢れたのだという。
ネダーさんが射殺された場所ですと教えられたのは、何の変哲もない通りの一角だった。そこにも、事件を思い起こさせるものは何一つ残っていなかったと思う。花束も、路面に染みついた血糊も。

絨毯博物館   Muze-ye Farsh

果たして値段がつけられるのか、つけられたとして、一体、いくらの値がつくのか。この博物館には、そんなアンティークの見事な絨毯に交じって、極めて異色な作品が展示されている。イスラム教の開祖たる預言者ムハンマドの、しかも少年時代を「描いた」絨毯である。ターバンを頭に被りほほ笑む少年の姿は、まるでレトルトカレーのパッケージデザインを思わせる。神の姿を描いたり彫ったりしてはいけないというのがイスラム教の掟だったはず。神はダメでも預言者ならいいのだろうか。少なくとも、他のイスラム教国ではまずお目にかかることのない代物だと思う。
この絨毯が織られたのはイスラム革命前どころか、ごく最近である。こんなものを作って怒られなかったのかと聞いてみたが、特にそういうことはなかったという。
絨毯博物館絨毯博物館:少年時代の預言者ムハンマド

イラン考古学博物館   Muze-ye Bastan-e Iran

5年ぶりの再訪である。今回は、博物館の建物を写真撮影しても咎められることはなかった。
この博物館には、正倉院の白瑠璃碗と同型の円形切子碗も展示されている。しかし、長年、土中にあったため、ガラスで出来ているとは思えないほど、変質、変色が進んでいる。正倉院白瑠璃碗との関係で、日本人観光客はとりわけ熱心にこのガラス器を眺めていくという。
イラン考古学博物館八曲長杯:イラン考古学博物館
もう一つ、日本との縁を感じさせる展示品を見つけた。「金銅八曲長坏」である。正倉院にもこれと同じ形をした宝物があり、ちょうど白瑠璃と同時に正倉院展で出品されていた。正倉院の金銅八曲長坏は日本あるいは中国で製作されたものというが、正倉院には、白瑠璃碗や紺瑠璃坏をはじめとしてササン朝ペルシア由来の器物、文様が意外にあるのだ。
ササン朝ペルシアの柱頭:イラン考古学博物館イラン考古学博物館:

レザー・アッバースィー博物館   Muze-ye Reza Abbasi

レザー・アッバースィー博物館は、まるで、高級マンションのような、一見して博物館とは思えないような建物である。
しかし、一旦中に入れば、その外観とは裏腹に、収蔵品の見事さと豊富さに驚かされる。特に、アケメネス朝やササン朝の金製品、銀製品のコレクションは素晴らしく、独特の造形センスや工芸技術に改めて感心させられる。
レザー・アッバースィー博物館Muze-ye Reza Abbasi
レザー・アッバースィー博物館Muze-ye Reza Abbasi
レザー・アッバースィー博物館Muze-ye Reza Abbasi
イラン考古学博物館をも凌ぐかに見える所蔵品の数々がなぜこの博物館にあるのか、マジドさんを通じて博物館の職員に尋ねてみた。詳しいことはわからないが、と前置きした上で、前王室関係の品々だったらしいと教えてくれた。
レザー・アッバースィー博物館Muze-ye Reza Abbasi

シーラーズへ

テヘラン19:20発、シーラーズ20:30着のイラン航空233便に乗るため、早めにメヘラバード空港へ入る。マジドさんに見送られた後、シーラーズに着くまでは一人だ。
搭乗口近くの待合室で搭乗開始を待つ。予定時間になってもゲートが開く気配がなく、案内放送もないのが一層不安にさせる。
ターミナルから飛行機までバスで移動する。満席の機内に、見たところ外国人は僕一人だけのようだ。ひどく場違いなところに来てしまったような居心地の悪さを覚える。
離陸後、いつの間にかぐっすりと眠りこんでいた。寝不足と昨日から数えて計3回の乗り継ぎとで疲れ切っていた。客室乗務員が、知らない間に座席のテーブルを倒して、機内食のハンバーガーや菓子、ジュースを置いてくれていた。
シーラーズの空港でSiyavashi(スィヤーヴァシー)という英語ガイドの出迎えを受ける。シーラーズにいる間は彼が面倒を見てくれる手筈だ。
こんな場所だったっけ?5年ぶり、2回目のシーラーズは、前回が昼の到着だったせいか、街の印象が前回とだいぶ違うような気がした。
明日は朝からさっそく観光を開始する。ホテルにチェックインし、部屋で遅い夕食を済ませ、シャワーを浴びて、明日の支度をした後、気ぜわしく床についた。