旅の空

イランの旅 2013

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ダーラーブへの招待

一枚の写真

今回の旅は、一枚の写真から始まったと言っていいかもしれない。

それは、日本で唯一の古代ペルシア概説書・『世界の歴史 9 ペルシア帝国』(足利 惇氏著、講談社)に載っていたある遺跡の写真。遺跡の名は「タンゲ・チャク・チャク」という。

写真には、両側を断崖に挟まれた谷間に建つの2つの拝火神殿が写っている。

この本を買ったのは今からもう20年近く前のことだが、イラン旅行をするようになってから何回か読み返す機会があった。そんな中でこの写真が目に止まり、いつかこの遺跡に行ってみたいと思うようになった。

Tang-e Chak Chak

タンゲ・チャク・チャクという名前から、それはヤズド郊外にあるゾロアスター教の聖地「チャク・チャク」周辺に違いないと僕は思い込んでいた。

それで、2010年にヤズドを旅行した際にはチャク・チャクも訪れ、タンゲ・チャク・チャクを探したのだが、ヤズドの現地ガイドも、チャク・チャクのゾロアスター教徒の管理人も、周辺に写真のような遺跡は存在しないという。結局、あの遺跡が本当はどこにあるのか、それが現存するのかどうかもわからないまま時が過ぎた。

そして、思いがけない形で情報が得られたのは2013年4月のこと。

古代世界の午後』という素晴らしいウェブサイトを運営されているzae06141様から、それがファールス州のダーラーブ近郊にあること、あの写真は1957年にスイス調査隊のヴァンデン・ベルゲ教授が撮影したものであることをブログのコメントで教えていただいたのだ。

タンゲ・チャク・チャクの場所が判明しても、さすがに、それだけを目的にイランへ行くことはなかったが、一緒に名前が出てきたダーラーブのことをネットや書籍で調べたみたら、周辺にササン朝時代の重要な遺跡がいくつもあるではないか。これは驚きだった。どうして今まで注目してこなかったのだろう。

こうして、ダーラーブが興味の対象に急浮上したことで、タンゲ・チャク・チャクともども、5度目のイラン行きの理由ができた。

あのコメントが頂けなかったら、おそらくタンゲ・チャク・チャクの場所を知ることも、ダーラーブに目を向けることもなく、今回の旅もなかった。zae06141様には改めてお礼を申し上げたい。

2013年のイラン

今回の旅もまた大統領選挙の年にあたった。

ただ、今回は、2期8年に及ぶ在任中、その言動で何かと物議を醸してきたアハマディネジャド大統領の再選はない。前回と違っていわゆる改革派の勢いも感じられず、保守強硬派の優勢が伝えられていた。2009年のような騒動は起こらないと思われた。

その代わり、今回はなぜかイラン大統領選挙に関する事前の報道が前回に比べて明らかに少なく、一体、誰が立候補しているのか、直前までさっぱりわからなかった。国際的信用が堕ちるところまで堕ちると、大統領選挙さえ見向きもされなくなってしまうのだろうか。

ところが、事前の予想に反し、52.5%という圧倒的な得票率で当選したのは保守強硬派ではなく、保守穏健派のロウハニ氏だったのだ。

保守強硬派が候補者を絞りきれず、お互い足を引っ張り合ったのに対し、改革派は自陣営の候補者を下ろしてまでロウハニ氏に浮動票を集め、保守強硬派の当選を阻んだ。背後でその工作に動いていたのはハタミ前大統領だったという。ロウハニ氏の勝因の一つにはこうした政治的駆け引きの勝利があった。

そして、その動きに呼応して、8年間のアハマディネジャド政権にうんざりしていた有権者がここぞとばかりにロウハニ氏に票を投じた。蓋を開けてみれば、保守強硬派の得票数は2位と3位の候補者を合わせてもロウハニ氏の約半分という、これまた意外な結末だった。

4年前の大統領選ではもはや再起不能と思えるまでに叩きのめされた改革派だが、今回、見事に一矢報いたといえるのではないか。

さて、そうした政治情勢の下に訪れた2013年8月のイラン。

大統領が替わって明るい兆しも見え始めたが、強化される一方の経済制裁はかつてないほど威力を発揮しているようだった。実際、数年前までは1ドル=約1万リアルだった為替レートが、空港免税店での為替レートであるが、今回は1ドル=3万1千リアルにまで下落していたのである。

影響で、食料品に始まってあらゆるものが値上がりし、国民生活は以前よりも格段に厳しくなっているという。

でも、生活が厳しいという割には、予想外に多くの人がスマートホンを持っていたような気がしたのだが…

外食事情に係る考察

この国の政治に「アラブの春」のような革命が必要かどうかはともかく、少なくとも外食業界には革命的変革が必要である。

主菜はまだいいとしよう。レストランで出すスープは決まってスーペ・ジョウ(大麦のスープ)、サラダはトマトとキュウリとキャベツとニンジン、飲み物はノンアルコールビールかコーラかファンタかスプライトかドゥーグ(塩味のヨーグルト飲料)。しかも、ノンアルコールビールとスプライトは置いていない店の方が多い。

店が違っても、昼と夜はこの組み合わせが毎日続くのだ。5回来ているせいもあるが、到着初日の夕食で早くも飽き飽きしてきた。

外食事情は初めて来た9年前と全く変わっていない。他の国なら必ずといっていいほどレストランのメニューにある100%のフルーツジュースも、イランでは、飲みたければ街角のジュース屋に行くしかない。

しかし悲しいかな、この状況を受容してゆく自分がいるのである。スーペ・ジョウは店によって味付けが違うし、味噌汁のようなものだと思えばよい。たとえサラダが毎食同じでも、野菜が新鮮ならやっぱりおいしい。飲み物だって、ジュースではなくてミネラルウォーターを注文すれば糖分の摂り過ぎも防げるし、飲み水も確保できて一石二鳥だ。後でチャイを飲めば、そこで角砂糖を確実に1個以上は口へ放り込むことになるのだから。

それでも、様々な果物を荷台に満載したトラックを毎日、道路脇で見せつけられて、食べたくて仕方がなくなった僕は、ガイドのハメドさんにお願いして、食べきれないほどのメロンやスイカやブドウをホテルのレストランで出してもらった。強烈な日差しを浴びてたわわに実るイランの果物はひときわ甘く、瑞々しかった。

ちなみに、イランでの朝食はいつも楽しみなのだ。イラン産の濃厚な蜂蜜をつけて食べるナンは、たとえ毎日続いても飽きることはない。

旅のメモ

ダーラーブのようにマニアックすぎる地域がそもそもガイドブックに載るはずもなく、ネットや歴史関係の本においてさえも、フィルザバードやビシャプールなどに比べると情報が格段に少ない感がある。

しかし、実際に行って思ったのは、ダーラーブは見応えや満足感という点で、それら2都市に決して引けを取らないということだ。実際のところ、今までは、その豊かな歴史遺産にふさわしい注目を受けてこなかったのではないかという気がする。

この方面への旅行に関心がある方の参考になればと思い、今回の旅程表と旅のメモを下に書いてみた。

旅程表
日数月日行程宿泊地
8/20 ・ドバイへ エミレーツ航空319便 成田21:20発 ドバイ3:10+1着 機内
8/21 ・テヘランへ エミレーツ航空971便 ドバイ7:45発 テヘラン10:25着
(1) Rey
 Borj-e Toghrol, Cheshme-ye Ali
・シーラーズへ イラン航空225便 テヘラン16:40発 シーラーズ18:30着
シーラーズ
8/22 (2) Firuzabad …シーラーズから約125km、2時間
 Ardashir Palace, Ardashir Khwarrah(Ancient City of Gur)
(3) Konar Siyah …(2)から約30km、20分
 Fire Temple Complex, Caravansary
シーラーズ
8/23 (4) Sarvestan …シーラーズから約100km、1時間半
 Sarvestan Palace
(5) Fasa近郊 …(4)から約45km、40分
 拝火神殿遺跡
(6) Estahban …(5)から約46km、30分
 昼食
(7) Ij …(6)から約30km、40分
 Cheshme-ye Bondarre, Chel Berke
・ダーラーブへ …(7)から約52km、1時間半
 名称不明の遺跡
ダーラーブ
8/24 (8) Rostaq
 Tang-e Chak chak
(9) Forg(Doborji)
 Qasr-e Kiyamars, Ateshkade(?)
(10) Darab
 Masjed-e Sangi, Asiyab-e Sangi, Naqsh-e Shapur, Ateshkade-ye Azarjuy
ダーラーブ
8/25 (11) Darab
 Darabgerd
・シーラーズへ(ダーラーブから約260km、約3時間半)
(12) Shiraz
 Aramgah-e Hafez, Aramgah-e Sa'di
・テヘランへ アーセマーン航空3781便 シーラーズ18:00発 テヘラン19:20着
テヘラン
8/26 (13) Rey
 Tappe-ye Mil, Aramgah-e Bibi Shahrbanu, Dej-e Rashkan, Qal'e Gabri
(14) Varamin
 Masjed-e Jame
・ドバイへ エミレーツ航空978便 テヘラン22:45発 ドバイ0:15+1着
機内
8/27 ・成田へ エミレーツ航空318便 ドバイ2:50発 成田17:35着
  • 今回も西遊旅行に手配を依頼。同社のフリープランを基にしたアレンジ・プランである。
  • 今回のガイド(スルー、日本語)はハメド・マンスーリさん。アブティン・セイルという旅行会社を経営している。
  • 毎日、ホテルを出発する時間は概ね8時~8時半、夕方6時くらいにはホテルに着いていた。昼食は午後2時、夕食は夜8時というように日本より遅めだ。
  • シーラーズ、ダーラーブ間の距離は約260km、旅行者にとって現実的な移動手段は車のチャーター以外にないと思う。今回、ダーラーブへの往路はシーラーズの運転手に送ってもらい、シーラーズへの復路はダーラーブの運転手に送ってもらった。日本にいるうちに予め旅行会社へ手配を頼んだ方がよいだろう。
  • サルヴェスターンは、シーラーズから車で1時間半の距離だが、ビーシャープールやフィールーザーバードと違って観光にまる1日以上かかるというほどでもなく、周辺に他の観光スポットがあるわけでもない。さらに、ビーシャープールやフィールーザーバードとは方向違いである。サルヴェスターンだけ行ってまたシーラーズに戻るのは効率が悪そうだ。
    そこで、ダーラーブへ行く途中でサルヴェスターンに立ち寄るプランをお薦めしたい。地図を見ていただくとわかるが、サルヴェスターンはダーラーブ方面へ向かう高速道路沿いにあるのだ。
  • ダーラーブにある中級以上のホテルは、2013年8月現在、おそらく1軒(Naghsh Shapur)だけである。公式サイトも、利用者による情報もネットにないようなので、後ほど本文で詳しくご紹介する。
  • 筆者は今回、タンゲ・チャク・チャクにたまたま運良く行けたが、現状では、行けない場所と思っていた方がよいかもしれない。詳しくは後述する。
  • エスタフバーンからイージを経てダーラーブへと抜ける道は山岳路で、時間がかかる上に遠回りである。
    一方で、シーラーズからダーラーブへの移動に通常利用するであろうルート(86・92号線)は全線高速道路並みで、チャーター車なら所要3時間半ほど。筆者のような寄り道をしなければ、シーラーズを基点とした次のような1泊2日のプランも可能だ。
    ・1日目 シーラーズからサルヴェスターンを経由してダーラーブへ(市内観光、宿泊)
    ・2日目 ダーラーブゲルド観光後、シーラーズへ戻り