旅の空

イランの旅 2013

2

フィールーザーバード、コナール・スィヤーフ

シーラーズ

シーラーズの朝。6時、目覚まし時計が鳴るのを待っている。大丈夫だ。本調子ではないけど、観光にはたぶん支障ない。ここ何年か、行きのフライトで必ずといっていいほど体調を崩している。

ベッドから起き上がってカーテンを開けたら外はまだ薄暗かった。

ベランダに出てみる。左手にキャリーム・ハーン城塞が見えた。見るのはもう三度目だ。外はまだ肌寒い。

鳩の鳴き声が聞こえる。声は同じでも日本と鳴き方が違う。この声を聞くと、イエメンで泊まった砂漠の庭園ホテルを思い出す。

これは植物が出す匂い、それともどこかでナンを焼く匂いだろうか。ヤズドでもシーラーズでも、朝の空気はいい香りがする。

ホテルの庭を見下ろすと、従業員たちが朝食の準備をしていた。

それにしても、鳥の鳴き声がけたたましい。このホテルの庭に周辺の鳥が集まるのだろうか。いや違う。鳴き声が固まりすぎている。声のする方へ行ってみる。

発生源は、庭の一角に建つ巨大な鳥小屋だった。中に夥しい数のセキセイインコがいた。

旅の始まり

イランでの2日目、いよいよ今日から観光開始だ。今日はフィールーザーバードを再び訪れることにしている。

4年前、アルダシール・ファッラフを通りがかりながら、何も見ずそのまま帰ったことをずっと悔やんでいた。それと今回、フィールーザーバードの近くにコナール・スィヤーフという拝火神殿遺跡があることがわかった。

旅のメインはダーラーブだが、ファールス州を旅するのはこれが最後になるかもしれない。それならこの際、アルダシール・ファッラフやコナール・スィヤーフにも行こうと思った。それと、ついでにまたアルダシール宮殿にも。

効率の悪い旅をしていると自分でも思う。シーラーズから片道約2時間かかることを考えると、一度に全部行く方がいいに決まっているのだ。とはいえ、ドフタル城砦とアルダシール宮殿とアルダシール・ファッラフを全部一日で見るというのは詰め込みすぎな気がする。

8時半、ガイドのハメドさんとホテルのロビーで落ち合う。今日と明日のダーラーブまで世話になる運転手がホテルの庭で待機していた。名前はバーバクさん。奇遇なことに、アルダシール1世の父と同じ名だ。今日の小旅行にうってつけの運転手ではないか。

シーラーズの街中を車でしばらく走っているうちに、前2回の訪問でほんの少しだけついた土地勘が戻ってきた。

市の中心部を横切るのは涸れ川で水が流れていない。この川沿いの道路を走っていくうち、特に見覚えのある場所を通りかかった。「アリー・エブネ・ハムゼってこの近くじゃなかったかな?」とハメドさんに話しかけたら、アリー・エブネ・ハムゼという単語をバーバクさんが聞き取って、シーラーズに来たことがあるみたいだと言ったので、3回目ですと教えた。アリー・エブネ・ハムゼ霊廟のドームがそのときちょうどすぐ左に見えた。

4年前に来たとき、この街にも地下鉄を整備する計画があると聞いた。そのときは半信半疑だったが、今や市内のあちこちで建設工事が進んでいる。市内の慢性的な交通渋滞はひどくなる一方なのだというが、シーラーズに地下鉄は似合わないと思うのは僕だけだろうか。

シーラーズの朝は本当に涼しくて、窓を開けているだけで車内は充分快適だ。日が高くなるまではエアコンなど全く必要ない。むしろ、長袖を着た方がよかったかと思うくらいだ。今年はテヘランが異常に暑くて、気温が43℃まで上がる日があったらしい。たしかに、今回は以前と逆で、テヘランより南のシーラーズやダーラーブの方が過ごしやすかった。

フィールーザーバードへ

見覚えのある地形が次々と目の前に現れてくる。今回、ドフタル城塞は通過だ。

そういえば、ドフタル城塞の峡谷を流れる川は、4年前はそれなりに水量があった気がするが、上流にできたダムの影響か、今回はすっかり干上がって涸れ川になっていた。

アルダシール宮殿  Kakh-e Ardashir

ガルエ・ドフタルを過ぎて集落に入ると宮殿の崩れたかけたドームが見えてくる。初めて見るわけでもないのに「あれだ!」と思わず声をあげてしまう。

駐車場には旅行中の家族連れらしき車がすでに何台も停まっていたが、遺跡に入場する様子はない。

フィルザバード:アルダシール宮殿Ardashir Palace, Firuzabad

入場時間を確認したが、4年前のように午後1時から閉まるということはなさそうだった。とすると、前回はラマダンだったからなのか。

フィールーザバード:アルダシール宮殿Kakh-e Ardashir, Firuzabad

2回目なのでもう説明はなくてもよかったが、管理事務所の職員が宮殿内を一緒に回って解説をしてくれた。おかげで、宮殿の2階にも上がることができた。(別料金)

フィルザバード:アルダシール宮殿Ardashir Palace, Firuzabad

宮殿の周囲も広範囲にわたって石材が散乱しており、かつては家臣たちの住居や兵士の詰所、倉庫などの付属建物が立ち並んでいたのだろう。しかし、宮殿以外の調査・復元は手の付けようがないといった印象である。

フィールーザーバード:アルダシール宮殿Kakh-e Ardashir, Firuzabad

ところで、前回来たとき、宮殿前に広がる石材散乱区域は一面、背の低い雑草が生い茂っていたが、今回、草はほとんどなくなっており、地面には黒く焼けた跡がある。まさか、除草するために手っ取り早く火を付けたのだろうか。いくら何でも乱暴すぎないか。

アルダシール宮殿、フィールーザーバードArdashir Palace, Firuzabad

敷地の隅にチャハールターグ(拝火神殿)の遺跡がある。宮殿に比べると、これら付属建物に使用された石は質が劣り、積み方も粗いようだ。チャハールターグ以外にも石積みの遺構がいくつか形を留めている。

フィルザバード:アルダシール宮殿のチャハールターグCharahtaq in Ardashir Palace, Firuzabad

Ardashir Palace, Firuzabad

前回もここで大量の写真を撮っているのだが、結局、前回と同じ地点でほぼ同じ写真ばかり撮っていた。やはり僕は思う、イランで最も美しい建造物はこの宮殿ではないかと。

アルダシール宮殿、フィールーザーバードKakh-e Ardashir, Firuzabad

コナール・スィヤーフへ

アルダシール・ファッラフはアルダシール宮殿から約9km南にある。距離的には、アルダシール宮殿の次にアルダシール・ファッラフに行くのが順当だと思うが、宮殿に1時間半いたので、もう正午近くになっていた。アルダシール・ファッラフにはたっぷり時間をかけたいとガイドのハメドさんに伝えてある。

一方、コナール・スィヤーフもアルダシール宮殿から南へ約28km、車で約20分ほどの距離なので、さほど遠くない。そこで、先にコナール・スィヤーフへ行ってからフィールーザーバードへ戻って昼食をとり、昼食後にアルダシール・ファッラフを心ゆくまで観光することにした。

中心にそびえる塔のおかげで、アルダシール・ファッラフは遠くからでも一目でわかる。広大な畑の緑に浮かぶベージュ色の塔を横に見ながらコナール・スィヤーフへ向かう。

コナール・スィヤーフの拝火神殿  Chahartaqi Konar Siyah

正確に言えば、「コナール・スィヤーフの拝火教複合施設」だろうか。この遺跡を知ったのは、ゾロアスター教研究者である青木健氏の著作『ゾロアスター教の興亡―サーサーン朝ペルシアからムガル帝国へ』を読んだことがきっかけだ。

それによると、コナール・スィヤーフはササン朝時代に建造され、フィールーザーバードとペルシア湾岸の港町スィーラーフを結ぶ隊商路の繁栄に支えられた。チャハールターグ(四方が吹き抜けのアーチ型神殿、聖火礼拝殿)とアーテシュキャデ(聖火護持殿)の他、神官たちの居住施設なども備えた複合施設として現存するものは、このコナール・スィヤーフとタンゲ・チャク・チャクの2つだけだという。

フィールーザーバードから65号線を南下してゆくと、道路左側の小高い丘に建つ拝火神殿が不意に見えてくる。道路から荒れ地に直接乗り入れる感じだが、車を停められるスペースは一応ある。(地図:Konar Siyah Fire Temple Complex

コナール・スィヤーフの拝火神殿Konar Siyah Fire Temple Complex

コナール・スィヤーフとは植物の名前らしいが、それがこの辺りの地名である。Konar(トゲハマナツメ)とSiyah(黒い)が組み合わさって固有名詞になっているので、Konarにエザーフェ(-e)はつかない。

コナール・スィヤーフの拝火神殿Chahartaqi Konar Siyah

イランに過去4回来ているが、チャハールターグやアーテシュキャデを見るのは実はこれが初めてだ。青木健氏の本に掲載されている写真を見た時は、高さが10mもあるようには見えなかったが、実物を目の当たりにすると、やはり大きいと感じる。

コナール・スィヤーフの拝火神殿Konar Siyah Fire Temple Complex

まず、手前のアーテシュキャデに近づくと、軒下部分に施された連続アーチ状の壁龕が目についた。入口が二重に見えるが、元々あった神殿の外壁に、補強のためか、さらに外壁を被せたものではないだろうか。また、ドームがモスク風になっており、比較的最近に補修を受けたと思われる。

内部に足を踏み入れようとした途端に靴が滑ったので地面を見たら、干し草が一面に敷き詰められており、割と新しい動物の糞が所々に落ちている。あろうことか、何者かがここを勝手に家畜小屋として使ったのだ。イランに2つしか残っていない貴重な遺跡を一体何と心得るのか。

コナール・スィヤーフの拝火神殿Chahartaqi Konar Siyah

次に、チャハールターグの方へ。4つのアーチを支える柱は太くてかなり強固な造りで、現代まで残ったのもうなずける。チャハールターグのある位置からは幹線道路が遠くまでよく見渡せる。眼下の街道を守るように、そして街道を通る旅人から見えるよう意識してこの場所に造られたことがわかる。崖の方へ歩を進めると、斜面にまで石材が散乱している。かつてはチャハールターグの外側にも建造物があったはずだ。

コナール・スィヤーフの拝火神殿Konar Siyah Fire Temple Complex

チャハールターグには、4本のアーチの他に別の建造物とを渡すアーチがもう一つある。そのせいで、ある方向から眺めるとまるで5本足のように見えるのだ。

コナール・スィヤーフの拝火神殿Chahartaqi Konar Siyah

2つの神殿の他に、はっきりとした形で残る建物は数え方にもよるが2棟か。しかし、残っているものより崩壊したものの方が多いかもしれない。さらに、背後を石積みの壁で囲まれているが、壁には人が充分通ることのできる大きさのアーチが開いているので、防御壁ではなさそうだ。聖域と外界とを隔てる意味合いがあるのかもしれない。

コナール・スィヤーフの拝火神殿Konar Siyah Fire Temple Complex

少し離れた位置から神殿を眺めてみた。現存する遺跡の何倍も広い範囲に、かつて建物の一部だった石材が大量に散乱している。

コナール・スィヤーフの拝火神殿Chahartaqi Konar Siyah

コナール・スィヤーフのキャラバンサライ  Karvansara-ye Konar Siyah

コナール・スィヤーフの拝火神殿群から65号線をさらに南へ約2.9kmの荒野に、キャラバンサライ(隊商宿)遺跡がある。(地図:Konar Siyah Caravansary

コナール・スィヤーフのキャラバンサライ遺跡Caravansary of Konar Siyah

石材や石の積み方が先ほど見た拝火神殿と共通するように見えたが、このキャラバンサライもササン朝時代に造られたものだろうか。

コナール・スィヤーフのキャラバンサライKarvansara-ye Konar Siyah