旅の空

イランの旅 2013

7

謎の遺跡とナグシュ・シャープール・ホテル

遺跡?

ダーラーブを目指して車を走らせていたときのことだ。イージからどれくらい走っただろうか。さほど離れてはいなかったように思う。

車窓に流れる景色を眺めていた。左側に深い峡谷が見えてくる。その峡谷の崖に遺跡のようなものが見える。それは、フィールーザーバードに行く手前で見たササン朝時代の橋に似ている気がした。

不意を突かれてカメラを構えることもできなかった。ハメドさんとバーバクさんは気付かなかったようだ。ちょうど車もスピードを出していた。戻ってもらうのも気が引けて、そのまま通り過ぎてしまった。

謎の遺跡

さっき通り過ぎたのは本当に遺跡だったのだろうか。あるいは、僕の思い過ごしか。

そんなことを考えながらいくらも経たないうちに、またしても遺跡らしきものが現れた。今度は車を停めてもらう。

イージ近くにある謎の遺跡 | The mysterious remain near Ij

それは、一見すると城壁のような建造物である。しかし、ボンダッレの泉やチェル・ベルケと違って写真投稿サイトでも見たことのないものだった。

イージ近くにある謎の遺跡 | The mysterious remain near Ij

小ぶりな石材をモルタルで積むのはササン朝ペルシアの建築技法だが、今まで訪れたササン朝遺跡では見たことのない形だ。

下の写真で洞窟の入口をふさいでいるように見えるのも石積みとモルタルの構造物である。

イージ近くにある謎の遺跡 | The mysterious remain near Ij

城壁のような、と書いたが、城壁にしては高さも形も中途半端な気がする。この遺跡は一体何か。

イージ近くにある謎の遺跡 | The mysterious remain near Ij

ダーラーブへ先を急いでいたため、近づいて確認したわけではないが、洞窟の下にいくつかある穴は何かの建造物の跡ではないかと思う。

イージ近くにある謎の遺跡 | The mysterious remain near Ij

下の写真はイージ側の先端部である。グーグルマップの航空写真を使ったおおまかな計測であるが、現存する建造物の長さは約150m、高さは最大部分でおよそ6mといったところか。

イージ近くにある謎の遺跡 | The mysterious remain near Ij

ただし、ダーラーブ側も同じことが言えるが、航空写真を見る限り、建造物はかつてはもっと先まで続いていた節がある。

ボンダッレの泉で見た石積み、チェル・ベルケ、そしてこの謎の遺跡。ひょっとして、これらはみな関連したものなのだろうか。

農業王国

オリーブ、イチジク、トウモロコシ、オレンジ、綿花…、サルヴェスターンからダーラーブに至るまで、様々な作物が育つ広大な畑を数えきれないほど見てきた。ファールス州は知られざる農業王国なのだ。

全く意外だったが、オレンジは冬のダーラーブ名物にもなっているという。この地域がどれほど水に恵まれているかをよく表していると思う。

ファールスといえば荒涼とした大地を条件反射的に思い浮かべてしまうが、その認識は改めなければいけないかもしれない。

イージ、ダーラーブ間の風景 | The scenery between Ij and Darab
イージからダーラーブへ

イージからダーラーブへの移動は、約50キロという距離の割には1時間半もかかった。途中、ダムの横を通る区間があったが、そこの道幅が狭い上に未舗装路だったせいだ。

夕方6時前、ダーラーブ市内に入った。シーラーズからはるばる260kmである。シーラーズと比べればやはり地方の田舎町、物淋しさは否めない。

予想をはるかに超えて内容の濃い一日だった。

2日間お世話になった運転手バーバクさんとはダーラーブのホテルでお別れだ。彼の運転なら何時間でも快適に、安心して乗っていられた。プロと呼ぶにふさわしい優秀な運転手だった。我々を送り届けたらすぐにシーラーズへとんぼ返りするという。

ナグシュ・シャープール・ホテル  Naghsh Shapur Hotel

2013年8月現在、ダーラーブにある中級以上でおそらく唯一のホテルがこのナグシュ・シャープールだ。

建物の外観を見た時は、建築工事中か廃業してしまったのかと思った。

将来、増築するつもりなのか、屋上部分に鉄骨が突き出たまま。これほど奇妙な外観のホテルはイランでも他の国でも見たことがない。それと、ホテルの前面は広大な更地。まさに殺風景を絵に描いたような風景である。

ナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darabナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darab

しかし、恐る恐る入ってみれば意外や意外、三ツ星という格付け以上に立派できれいな内装だ。

ファールスに美人多しとはガイドのハメドさんの言だが、ここのフロントにいた女性も思わず見とれるほどの美人だった。

フロントの壁にはホテル名の由来となっているレリーフのレプリカがある。

ナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darabナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darab

館内には本格的なレストランもある。このレストランはなかなか美味しい料理を出すので、夕食にわざわざ外へ繰り出す必要はないと思う。

案外、地元民の利用が多く、祝いの席など、ちょっとかしこまった会食に利用されているようだ。

ナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darabナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darab

エレベーターはないが、2階建てなのでさほど不都合もない。スイートを含めて客室は全部で22、その他、会議や結婚式などに利用できる多目的ホールも備えている。

ナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darabナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darab

部屋は簡素な造りで中級ホテル並だが、エアコンはきちんと効くし、ミニバーもあるし不満はない。

イランを旅行していて感心するのは、どんなホテルに泊まっても必ず室内履きのサンダルが部屋に用意されていることだ。おかげで、旅行の度に必ず持っていく携帯スリッパをイランでは使う機会がない。他の国ではなかなかそうはいかないものだ。思うにこれは、イランが日本と同じく家の中で靴を脱ぐ文化だからではないか。

ナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darabナグシュ・シャープール・ホテル(ダーラーブ)| Naghsh Shapur Hotel, Darab

心配していたのは水回りだ。まず、トイレがイラン式でなかったことに胸を撫で下ろした。イランの洋式トイレは全般的に挙動がやや不審なところはあるが、水が流れないといったようなことは今までほぼなかった。

逆に少々がっかりしたのは、シャワーブースがなかったこと。この状態でシャワーを浴びると、たとえカーテンをしていても便器の辺りまで床が水浸しになる。我慢と慣れの問題ではあるが、それでも、シャワーを浴びる間、洗面所用のサンダルは外に避難させておくのが無難だ。

お湯もきちんと出るには出たが、少し熱めを浴びたい僕には、レバーを目一杯高温側にした状態で適温なのはやや物足りなかった。

さて、ホテル全般の評価について。言っては悪いが、慣れない客商売をしている感が拭えない。「粗相」もあったが、愛想が良く誠実な感じのスタッフたちに免じて、これ以上は書くまい。フロントで働いていたのはおそらく、ホテルの隣にあるダーラーブ大学の学生である。

もしダーラーブにもう一度行く機会があったとしたら、またこのホテルに泊まってもいいかなとは思う。というより、他に選択肢はないのだが。

参考までにホテルの地図、住所、電話番号を下に掲載する。この記事を書いている時点でホテルの公式ウェブサイトはない模様。ナグシュ・シャープール・ホテルの詳細な情報を記した媒体は、インターネットでは公式サイトを含め、このサイトが世界初ではないだろうか。

それから、フロントに置いてあったペルシア語のリーフレットをついでに掲載する。英語版は作っていないとのこと。だが、ペルシア語を読める必要はない。ここに連れて行ってくれと運転手にこれを渡せばきっと話が早いと思う。

ちなみに、イランの運転手は知らない場所へ行くときでも道路地図を広げたりはしない。道端にいる地元民を片っ端から何人でもつかまえて道を聞きながら目的地にたどり着くのが彼らの流儀だ。道を聞かれた方も決してそれを邪険にしたりはしない。

タンゲ・チャク・チャクへの道

8時頃、レストランのある1階へ下りる。ハメドさんはもう席に着いていた。

明日はいよいよ念願のタンゲ・チャク・チャクを訪れる日だ。期待に胸を膨らませながら食事を始めたところへ、思いもよらぬことをハメドさんから告げられた。

あろうことか、タンゲ・チャク・チャクに行くのは難しいかもしれないというのだ。ハメドさんがこのホテルの支配人から聞いた情報だが、ダーラーブからタンゲ・チャク・チャクへ行く途中の村まで車で1時間、そこから先は車で行けないので徒歩で片道1時間半かかるというのだ。つまり見学時間を含めるとタンゲ・チャク・チャクだけで1日がかりということだ。しかも、山登り専門のガイドを手配する必要があるという。

タンゲ・チャク・チャクに行ってそれ以外の場所を割愛するか、それともタンゲ・チャク・チャクをあきらめるか、究極の二者択一を迫られることになった。

タンゲ・チャク・チャクを迷わず選ぶべきと最初は思われた。しかし、真夏の炎天下に3時間の徒歩はどうなのか。それに、タンゲ・チャク・チャク同様、ダーラーブやダーラーブゲルドにだってまた来られる保証はないのだ。どちらも削りたくない。さらに悪いことには、その山登り専門ガイドと連絡が取れないという。

目の前が暗くなった。ようやく在処がわかったというのに、しかも目前まで来ているというのに、再びタンゲ・チャク・チャクをあきらめなければならないのか。

そもそも、テヘランの手配会社は、タンゲ・チャク・チャクを含めた僕のリクエストに対し手配可能と回答したのである。「行けないなら行けないと日本にいるうちに教えてほしかったよ。」と僕はついハメドさんに少しきつい口調で言ってしまった。「テヘランではそこまでわからなかったと思うよ。」とハメドさんは答えた。

ダーラーブで世話になる運転手と9時頃に明日の打ち合わせをするというので、彼にも聞いた上でタンゲ・チャク・チャクに行くかどうかを判断することにした。テーブルの上を重苦しい空気が漂う。

その後、ダーラーブの運転手がホテルにやって来て、ハメドさんとしばらくフロントで立ち話をした。その運転手の話はホテル支配人の情報とはかなり違っていた。それによると、途中の村までは舗装路だが、そこからタンゲ・チャク・チャクまで10キロ程の区間が未舗装路である。四輪駆動車であれば行けるはずなのだが、洪水で道が壊れたので行けないとのこと。もう悩む余地はなかった。代わりの予定をハメドさんと話し合って部屋に戻った。

急転

夜10時を回った頃、ドアをノックする音が聞こえた。誰だろう。ドアを開けてみるとハメドさんがいた。部屋の電話が故障していて内線が使えなかったという。まだ新しいホテルだというのに。

ハメドさんはだしぬけに「明日、タンゲ・チャク・チャクに行きます。」と言った。びっくりして聞いてみると、先ほどホテルに来たダーラーブの運転手がハメドさんに電話をかけてきたのだという。タンゲ・チャク・チャクに行く途中の村で友人に四輪駆動車を借りることができ、その先も四輪駆動車なら行けるとのこと。

気持ちの整理を済ませていた僕は混乱したが、当初の予定どおりタンゲ・チャク・チャクにも行けることになったのだから、願ってもないことだ。そのかわり、明日の出発は7時半という早い時間になった。

この急転回の背後には、せっかく日本から来たのだからと奔走してくれた運転手氏の並々ならぬ厚意があったのである。