旅の空

詩の小径

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ソフラーブ・セペフリー 「ゴレスターネにて」

ゴレスターネ村

ソフラーブ・セペフリー(1928-80)はイラン中部のオアシス都市、カーシャーン生まれの現代詩人です。

カーシャーンで購入した英訳付きセペフリー詩選集(Karim Emami氏編・訳)によれば、この詩の題名になった「ゴレスターネ」とは、カーシャーン近郊にある村の名前です。巻末の注釈には、「ゴレスターネはカーシャーン近くの小さな村で、ガムサルの5キロ東に位置する」とあります。

しかし、グーグルマップやイランの道路地図で探した限りでは、バラの産地として有名なガムサルの東5キロ周辺にゴレスターネという村は見当たりません。その代わりに、セペフリーの墓があるマシュハデ・アルダハールの東約5キロのところに同名の集落らしきものがあるのを見つけました。刊行物に書かれた注釈がそう間違っているとも思えません。余程、縮尺の細かい地図でないと載らないような小さな村なのでしょうか。

2016年の旅ではカーシャーンに加え、近郊にあるマシュハデ・アルダハールニヤーサルといった村々を訪ねましたが、いずれも風光明媚な所で強く印象に残っています。旅行記にも書きましたが、この一帯は高原にあるため、真夏の日射にもかかわらず涼しく、空気は爽やかで、何かそこにいるだけで気分が良くなるような場所に感じられました。

想像しているゴレスターネ村とは違うかもしれませんが、もし、セペフリーの詩がこの風土に触発されたものであったとしたら大いに納得できるところです。そしてこの詩は僕にとって、訪れた土地の感触を思い起こさせるよすがにもなっています。

詩の中で最も印象的な一文が第3節の最後部にあります。


"zendegī khālī nīst:

mehrabānī hast, sīb hast, īmān hast.

tā sheqāyeq hast zendegī bāyad kard."


「人生は空虚ではない

親切がある、リンゴがある、信仰がある

ヒナゲシがある限り生きなくてはならない」


dar Golestāne


dashthā'ī che farākh!

kūhhā'ī che boland!

dar Golestāne che bū-ye 'alafī mī-āmad!

man dar īn ābādī, pey-ye chīzī mī-gashtam:

pey-ye khābī shāyad,

pey-ye nūrī, rīgī, labkhandī.


posht-e tabrīzīhā

gheflat-e pākī būd, ke sedāyam mī-zad.

pey-ye neyzārī māndam, bād mī-āmad, gūsh dādam:

che kasī bā man harf mī-zad?

sūsmārī laghzīd.

rāh oftādam.

yonjezārī sar-e rāh,

ba'd jalīz-e khiyār, būtehā-ye gol-e rang

o farāmūshī-ye khāk.


lab-e ābī

gīvehā rā kandam, va neshastam, pāhā dar āb:

"man che sabzam emrūz

va che andāze tanam hūshyār ast!

nakonad andūhī, sar rasad az pas-e kūh.

che kasī posht-e derakhtān ast?

hīch, mī-chard gāvī dar kard.

zohr-e tābestān ast.

sāyehā'ī mī-dānand, ke che tābestānī-st.

sāyehā'ī bī lak,

gūshe'ī roushan o pāk,

kūdakān-e ehsās! jā-ye bāzī īnjā-st.

zendegī khālī nīst:

mehrabānī hast, sīb hast, īmān hast.

ārī

tā sheqāyeq hast zendegī bāyad kard.


dar del-e man chīzī-st, mesl-e yek bīshe-ye nūr, mesl-e khāb-e dam-e sobh

va chenān bī-tābam, ke delam mī-khāhad

bedavam tā tah-e dasht, beravam tā sar-e kūh.

dūrhā āvā'ī-st ke marā mī-khānad."



【私訳】
ゴレスターネにて

なんと広い野原だろう!

なんと高い山々だろう!

ゴレスターネはなんと草の良い香りがしたことか!

僕はこの村で何かを探していた:

多分、夢を、

光を、小石を、微笑みを


ポプラ並木の背後に

無垢な怠惰が潜んでいて、僕を誘った

葦原の根元にたたずんでいると

風が吹いてきて、僕は耳を傾けた

僕に話しかけたのは誰?

トカゲがすべるように動き出した

僕はあてもなく道を進んだ

途中でウマゴヤシの茂みを

それからキュウリ畑と紅花の植え込みと

土の忘却を過ぎて


川のほとりで

布靴を脱ぎ、座って両足を水に浸した

「今日、僕はなんと緑に染まっているのだろう

そして、僕の体はどれほど敏感なのだろう!

どうか山の後ろから悲しみがやって来ませんように

木立の後ろにいるのは誰?

否、放牧の牛が草を食んでいるだけだ

夏の正午

影は、夏の何たるかを知っている

汚れのない影

明るく清潔な隅々

感覚の中の子供たちよ! 遊び場はここだ

人生は虚しくなんかない

親切がある、リンゴがある、信仰がある

そう

ヒナゲシの花咲く限り命を繋がなくてはいけない


僕の心の中には

一つの光の茂みのような、朝のまどろみのような

何かがある

そして僕は

平原の外れまで走って行きたくて

山の頂上まで登って行きたくて

うずうずしている

僕を呼んでいたあの声が遠くで聞こえる」