イランの旅 2013
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フィールーザーバード(アルダシール・ファッラフ)
フィールーザーバード新市
昼食のため、コナール・スィヤーフからフィールーザーバードに戻ってきた。昼食場所は4年前も利用したフィールーザーバード・ツーリスト・インのレストランだ。
夏のイラン料理の定番といえば、ホレシュテ・バーデムジャーンではないだろうか。トマトとナスのシチューのようなもので、大皿山盛りのご飯にかけて食べる。さっぱりとした味付けは、炎天下を歩いた後でも、また、キャバーブに食傷気味であったとしても箸が進む一品だ。前2回の旅行では、他にどんな料理があるのか確かめもしないで、そればかり注文していた。
ところが、である。今回は行く先々のレストランでホレシュテ・バーデムジャーンを注文しても、「ない」と言われることが多くて、旅行期間中、食べたのはたしか1回だけ。フィールーザーバード・ツーリスト・インもしかり。4年前にここで美味しいバーデムジャーンを食べているのだが。
これは一体どうしたことだろう。たまたまタイミングが悪かったのか、あるいはトマトやナスの不作なのか、はたまた店の気まぐれなのか。
フィールーザーバード旧市
アルダシール・ファッラフ(栄光のアルダシール)は、ササン朝ペルシア建国の祖、アルダシール1世(在位222~240年)が建設した直径約2kmの円形都市遺跡である。3日後に訪れる予定のダーラーブゲルドを模倣してこの都市は建設されたという。
前にも書いたが、4年前ここを訪れたときには、遺跡を外から眺めただけで、写真を一枚も撮らずに立ち去るという痛恨の取りこぼしをした。そういう意味もあって、今回、フィールーザーバードのハイライトは宮殿ではなくて、この都市遺跡なのだ。
アルダシール・ファッラフ;土塁 Ardashir Khwarrah (Ancinet City of Gur)
アルダシール・ファッラフは周囲に防塁を廻らせている。それが実際どのようなものか興味があった。


今では単なる盛り土の山のようだが、これでも元は日干しレンガ積みの城壁か何かだったのだろうか。
土塁は曲線を描いて延々と続く。上から眺めると、この都市が丸い形をしていることがよくわかる。


アルダシール・ファッラフ;塔へ Ardashir Khwarrah (Ancinet City of Gur)
中心にそびえる塔は土塁の位置からだとさほど大きいものに見えない。周囲は荒地が広がっている。


塔が建つ中心部へ近づくと、ある地点から急に石材が散乱し始め、ただ事ではない様相を呈してくる。
自然の地形とは思えない地面の盛り上がりの下には遺跡が埋もれているのではないだろうか。


塔の周囲は特に埋蔵遺跡の気配が濃厚である。


アルダシール・ファッラフ;塔 Ardashir Khwarrah (Ancinet City of Gur)
アルダシール・ファッラフの中心部にそびえる塔は現存する高さで33mだが、内部は日干しレンガで完全に固められているという。外部に螺旋階段が付いていた形跡もなく、昇降手段が見当たらない。塔の用途は不明ということだ。


時間を崇拝するズルヴァーン主義がササン朝時代初期に隆盛したことを根拠に、この塔が日時計であった可能性を青木健氏は著書の中で言及している。
アルダシール・ファッラフはダーラーブゲルドの都市設計を模倣して建設されたという。ダーラーブゲルドも同様に土塁を廻らせた円形都市である。そして、ダーラーブゲルドの中心には、印象的な形をした小高い丘がある。
アルダシール・ファッラフの中心にそびえる塔は、ダーラーブゲルドの中心にある丘を模ったものではないだろうか。

外壁にある突起物はアーチの根本部分のように見える。


塔を見上げていたら、何とも場違いな一団が現れた。遺跡の中で羊の放牧とは。
アルダシール・ファッラフ;切石積遺跡 Ardashir Khwarrah (Ancinet City of Gur)
塔から少し離れた場所に切石を積んだ遺構が見える。そこへと導かれるように歩を進める。
途中にも割と大きな石材が散乱していたりする。


間違いない。これがタフテ・ネシーンとも呼ばれた切石積みの遺跡だ。


ササン朝ペルシアの建造物に用いられた建築技法は、大まかに形を揃えた小ぶりな石材をモルタルで積むというもの。これほど大きく、しかもきれいに整形した切石を使うのは異例だ。




アルダシール・ファッラフ;神殿 Ardashir Khwarrah (Ancinet City of Gur)
切石積みのある場所は土を盛って元の地面より高くしてある。
斜面を下りて石積みの向こうに回り込んだところ、そこには全く予想していなかった光景が広がっていた。


これは一体どういうことだろうか。アルダシール・ファッラフに切石積みの遺構があるのは知っていたが、これほど大規模な建造物があるという情報は本でもネットでも見かけなかったような気がするが…。

キャンガーヴァルやビーシャープールを見てきた直観で言わせてもらえば、これもアナーヒター神殿ではないだろうか。入念に整形された切石がこの建造物の重要性を物語っているように思う。


アルダシール・ファッラフ;貯水施設? Ardashir Khwarrah (Ancinet City of Gur)
神殿遺跡のすぐ脇の地面は深く窪んでおり、何らかの構造物の残骸もある。貯水施設ではないだろうか。


タフテ・ソレイマーンやターゲ・ボスターンがそうであるように、ササン朝ペルシアの重要な建造物は傍に必ず水場がある。午前中に訪れたアルダシール宮殿も同様だ。


かつて、ここには一体どんな空間が広がっていたのだろう。

アルダシール・ファッラフ;その他遺構 Ardashir Khwarrah (Ancinet City of Gur)
他にも、石敷きの通路らしきものや石材が散乱した小山など、遺跡は無尽蔵かと思えるほどだ。ちなみに、筆者は今回、特に遺跡感が強い中心部を歩き回っただけなので、実際には間違いなくもっと多くの遺跡があったと思う。


遺物散乱区域の外側には青々とよく茂ったトウモロコシの畑が続く。もちろん、畑があるのは土塁の内側である。作物の下には何も埋まっていないのだろうか。


少し前から、羊飼いが連れていた犬2匹に付きまとわれていた。犬たちは我々を吠え立てながら近寄ってくる。チャク・チャクを除けば今までイランで犬など一匹も見かけたことはなかったというのに。イスラム圏で犬は嫌われ者だと聞くが、羊飼いに犬が役立つのは万国共通らしい。
一般に犬を飼う習慣のないイランで、しかも羊の番犬にしつけは期待できそうもない。怖かったのはその点だ。それに、こっちが夢中になって遺跡を見ているところへ近づいて来て吠えるので、不愉快なことこの上ない。
犬たちは近寄って来ても僕と一定の距離を保ち、襲ってくる様子はなかったが、もし向かって来たら、僕は地面に落ちているこぶし大の石を本当に投げつけるつもりでいた。
しかし、僕が地面に落ちている石を拾うと、その動作を見た途端に犬たちはさっと身を翻して逃げてゆく。どうやら石でしつけを受けているようだ。
遠くで様子を見ていたのか、羊飼いが僕を安心させようと声をかけながら近づいて来る。あるいは、大事な犬に石をぶつけられてはかなわぬと思ったかもしれない。彼は直接当てないように石を投げて犬たちをその場から追い払った。
ここアルダシール・ファッラフで、その数何万ともいうイランの古代遺跡が置かれている現状を垣間見た気がする。
遺跡内には昔から畑作や牧畜を営んできた人たちがいる。もちろん遺跡の調査・発掘や保存にとっては支障がある。しかし、調査・発掘が行われる様子は一向にない。ただ、ここには遺跡管理事務所があって、管理人もいるだけまだましな方かもしれない。
シーラーズ
シーラーズに戻ってきたのは夕方6時過ぎ。でも、外はまだ明るい。8時にホテルのロビーでハメドさんと待ち合わせて夕食に行くまでの間、周辺をそぞろ歩くことにした。
空き時間にシーラーズ市内でも観光するつもりだったが、フィールーザーバードから帰って来たら、疲れもあってか、もうどうでもよくなっていた。


キャリーム・ハーン城塞を横目に見ながら、買い物客でごった返すバーザーレ・ヴァキールへ。特に行こうと思っていたわけでもないのに足が向いた。
バザールの店頭にはあらゆる商品があふれ、香辛料の香りが時々強く漂ってくる。
でも、今日は全く心が動かなかい。アルダシール・ファッラフまでに感動も興奮もすっかり使い果たして、何も残っていなかった。


半ば放心状態で歩いているうち、枝道から枝道へと入り込み過ぎてしまった。
これはまずい、来た道へと引き返す。しかし、どの道を通って来たかわからなくなった。元の入口に戻るのはあきらめ、適当なところでバザールを抜ける。
見覚えのない通りだ。近くにあった洋服屋の店員に「すみません。キャリーム・ハーン城塞はどこですか?」と勇気を出してペルシア語で尋ねてみる。親切にも答えは英語で返ってきた。