イランの旅 2013
13
ダーラーブゲルド その1
ダーラーブ最終日
この旅もとうとう終わりに近づいた。
今日は夕方までにシーラーズへ戻り、その後、テヘラン行きの飛行機に乗る予定だ。
今回の旅で最大の見所となるべきダーラーブゲルドにはシーラーズへ戻る道すがら立ち寄ることにした。
夕方までにシーラーズへ着けばよいとはいえ、ダーラーブからシーラーズまでは車で3時間半、しかも空港への到着時間はある程度余裕を見ておく必要がある。ダーラーブゲルドでそれほどのんびりできるわけではなさそうだ。
ダーラーブゲルド :序 Darabgerd
ダーラーブゲルドは、ダーラーブ市の南東約7kmに位置する円形都市遺跡である。直径約1.9kmの円の外周は、フィールーザーバードのアルダシール・ファッラフと同様に防塁で囲まれている。
この旅行記では、筆者が現地で目にしたものを、以下のように地点ごとに整理してご紹介することにした。
記事の見出しにある地点番号は地図上のpoint番号に対応しており、地図上に引いた線は、筆者が辿った経路を示している。
最初にお断りしておくが、上記の地点以外には見るべきものがないという意味では決してない。筆者は今回、ダーラーブゲルド全域をつぶさに見たわけではないが、それは単に時間が足りなかったせいだ。
正直なところ、ダーラーブゲルドの観光にどれだけ時間を割けばよいのか、行く前は全く見当がつかなかった。
何しろ、事前に得られる情報は皆無に等しく、見るものがなくて時間を持て余すのではないかという心配をしていたほどだ。とある写真投稿サイトには、「6km長の円形城壁以外は何も残っていない」というコメントもあった。
しかし、それはダーラーブゲルドに対する見当違いな評価であると言わねばなるまい。
なぜなら、実際は、土塁で囲まれた直径1.9kmの円内全域が遺構と遺物で満ちているといっても過言ではないからだ。上の航空写真を拡大していただければ、その様子がある程度想像できるのではないかと思う。
ダーラーブゲルドに足を踏み入れてすぐ、予定した2時間では到底足りないと感じた。僕だったら間違いなくここで一日過ごせる、と。もし、シーラーズへ戻る予定もなく、ガイドもドライバーもいなかったら、きっと夢遊病者のように遺跡内をさまよい続けたに違いない。
ダーラーブゲルド :縁起 Darabgerd
9世紀の学者、タバリーによれば、アルダシール1世の祖父サーサーンは、エスタフルにあったアナーヒターの火の寺院の管理者であった。
アルダシール1世の父バーバクは、エスタフル王ゴーチフルの許しを得て、17歳になった息子をダーラーブゲルドの城主ティーラーのもとへ養子に出し、ティーラーの死後は、アルダシール1世がその後を継いだ。
そして、ダーラーブゲルドから、ササン朝建国へとつながる彼の征服事業が始まる。(参照:『諸預言者と諸王の歴史』サーサーン朝諸王の章)
また、アルダシール1世が建都したアルダシール・ファッラフは、ダーラーブゲルドの都市設計に倣ったとされる。
つまり、ダーラーブゲルドは、少なくともパルティア時代にはすでに存在していた。ササン朝遺跡というよりは、むしろパルティア遺跡と考えるべきなのだろうか。
一方で、ダーラーブゲルドは、8世紀にHajjaj ibn Yusf(661-714年)によって円城化されたとの伝承がある。(参照:『サーサーン朝初期の建都政策』)
また、渡部良子氏によれば、12世紀から13世紀にかけて、ファールスの地方王朝であるシャバーンカーラとファールスのアターベク政権・サルグル朝とがダーラーブゲルドやファサーの領有を巡り度々争っている。
筆者としては、ダーラーブゲルドに現存する遺構はパルティアもしくはササン朝時代のものと信じたいところだが、実際は後世のイスラム王朝が造ったか、手を加えている可能性を念頭に置くべきかもしれない。
ただ、そうだとしたら、イスラム時代の建造物がもっと満足な形で残っていてもよさそうなものだが。
ダーラーブゲルド :ファールスの古き都より Darabgerd
ダーラーブゲルドへ近づくにつれ、視線はやがて、曰くありげな容をした双子の山へと否応なしに引き付けられる。
山を取り囲む土塁が、異様な風景を一層際立たせている。
一面の畑の向こうに姿を見せた円形古代都市は、さながら海に浮かぶ島だ。
平原の真っ只中に突如として出現したこの山も自然の造形だというのか。
「土塁」の表面には日干し煉瓦積みのような痕跡が見える。やはり、単なる盛り土などではなく、れっきとした城壁だったのかもしれない。
城壁にある円錐状の張り出しは、ギルシュマンの著書で見たエスタフルの日干し煉瓦城壁復元図を思わせる。
ダーラーブゲルド :地点1(北西門) Darabgerd
おそらくDahiye Kalbiという名前の廟が近くにある北西側の出入口から入場した。ダーラーブゲルドには城壁を崩して造ったと思われる出入口が他にも何カ所かある。
城壁の外側には大規模な濠の跡がはっきりと見てとれる。
まだ城外だというのに、早くも遺跡に出くわした。ササン朝時代の遺構ではないだろうか。
運転手のラスールさんは、城内まで車に乗って行けばいいと言ってくれたが、すでに体中の血が騒ぎ出していて、車内でじっと座ってなどいられなかった。
ここにはかつて何があったのだろうか。
ダーラーブゲルド :地点2(城壁) Darabgerd
アルダシール・ファッラフと比較すると、ダーラーブゲルドの城壁は造りがはるかに堅固で、保存状態も断然良いことに驚かされる。
城壁を上ってみる。まるでコンクリートの上を歩いているような感覚である。土だけで表面がこれほどが固く締まるものだろうか。例えば、漆喰混じりの土が固まったら、こうした質感になりそうな気がする。
通用路の脇に古い石積みがあった。これが本来の城門だったかもしれない。これもササン朝時代の遺構に見える。
城壁の上から北東方向を望む。
同じく南西方向を望む。
城壁に囲まれた直径約2キロの円形都市という点では、ダーラーブゲルドとアルダシール・ファッラフは同じだ。しかし、両者は全く趣を異にする。
ダーラーブゲルドに漂うこの不気味さは一体どこから来るのだろう。
アルダシール・ファッラフよりも謎深き遺跡という印象だ。