旅の空

イラン 2016

7

ケルマーン その3

ケルマーン寸描  Kerman

ケルマーンの滞在は今日が最終日である。午後4時前のテヘラン行きの飛行機に乗るまで、市内を観光する。ホテルの周囲には散策したくなるようなものはなかったが、ケルマーンも今日が見納めだし、ホテルを出るまでまだ時間がある。朝食を済ませ、荷物をまとめた後で通りへ出た。

それにしても、ケルマーンで今回泊まったホテルは、イランで過去に泊まった中で最低の部類であった。あえて名前は書かないが、某予約サイトでケルマーンの第1位にランクされた3つ星ホテルである。シャワーの水勢は打たせ湯程度。配管から水漏れしていて浴室の床がいつも濡れている。冷房の調節はおろか切ることもできず、室内は肌寒い。以上は部屋を替えても変わらず。朝食は3日間とも、ナンにジャム・ハチミツ、目玉焼き、オレンジジュース1杯、チャイ、スナック菓子1袋であった。これでも、ヨーロッパ人旅行者が毎日入れ替わりで来ていたから不思議だ。ケルマーンにはどういうわけかイタリア人観光客が多いらしい。

ケルマーン | Kermanケルマーン | Kerman

昨夜、夕食のレストランへの行き帰りで通りを歩いてびっくりするものを目にした。歩道のど真ん中にある低い鉄柵である。車道との境に設置されており、どうやらバイクが進入するのを防ぐための柵らしい。問題は、歩道を塞ぐように渡した棒の高さが、ちょうど歩くときに足を上げる高さであることだ。しかも、近くに外灯がない箇所にも設置されている。もしかしたら、他の町にもこれと似たものはあったのかもしれないが、ここまで情け容赦のないものはちょっと見た覚えがない。バイクの進入防止策というけれど、僕には対歩行者トラップにしか見えない。ケルマーンの街は足下に危険が潜んでいる。

ケルマーン | Kermanケルマーン | Kerman

大通りに出た。仕事に向かうのか、人々が足早に通りを行き交う。道路際には黄色いタクシーが集結している。おそらく僕が外国人であることに気づいたとは思うが、ケルマーンでは地元民に話しかけられることはあまりなかった。それでも、出歩く際に何か緊張感を強いるような空気はやはり感じられない。その点はイランの他の町と同じだ。思うに、ケルマーン州の治安情勢が悪化していた一時期においても、ケルマーンの街中で事件が起きたわけではないはずである。ガイドと話していると、かつて麻薬密売組織がケルマーン州で起こしたという数々の事件も、イラン人の間ではもう遠い昔の出来事になりつつあるのではないかという気がしてくる。ケルマーンって治安が良くないんですよね、などとイラン人に訊いたら、相手はびっくりしてしまうかもしれない。ケルマーン州の現在の治安に関して、現地とレベル2の危険情報を出している日本との間には相当な認識のズレが生じていると感じる。

ケルマーン国立図書館  Ketabkhane-ye Melli-ye Kerman

ケルマーン国立図書館の建物は、元はケルマーンやヤズド、ラフサンジャーンの富豪らが出資して1929年に建設された紡織工場であった。その後、工場は経営破綻し、放置されたままになっていた建物は1991年に図書館へと改装されたという。

ケルマーン国立図書館 | Kerman National Libraryケルマーン国立図書館 | Ketabkhane-ye Melli-ye Kerman

非常に奇抜なデザインに見えるが、シーラーズにあるエラム庭園の宮殿を思い起こせば、たしかに同じガージャール朝時代の建築だと納得する。ただ、日干し煉瓦積みのアーチが連続する外壁はササン朝建築を彷彿とさせるものがある。

ケルマーン国立図書館 | Kerman National Libraryケルマーン国立図書館 | Ketabkhane-ye Melli-ye Kerman

内部はモスクを思わせるヴォールト天井であった。大理石製の噴水まである。中は薄暗く感じるが、読み書きに支障はなさそうだ。地元の大学生たちが男女別に分かれたそれぞれの部屋で黙々と机に向かっていた。図書館がこんな歴史的建造物で、しかも冷房も効いて快適となれば、足繫く通おうというものだ。

ケルマーン国立図書館 | Kerman National Libraryケルマーン国立図書館 | Ketabkhane-ye Melli-ye Kerman
ギャンジアリー・ハーン複合施設  Majmu'e-ye Ganj'ali Khan

ギャンジアリー・ハーンは、ケルマーンとスィースターン、カンダハールの総督及び軍司令官として、サファヴィー朝のアッバース1世(1571‐1629)に仕えた人物だという。その彼が建設したのが、広場、神学校、隊商宿、浴場、造幣所、モスク、バザールから構成される複合施設である。旧市街の中心にあり、ケルマーン観光の目玉といえるだろう。

ギャンジアリー・ハーン複合施設 | Ganj'ali Khan Complex

サファヴィー朝のアッバース1世といえば、エスファハーンのエマーム広場が思い浮かぶが、このギャンジアリー・ハーン広場もどこかエスファハーンを思わせるところがある。大きさや豪華さという点ではもちろん比べるべくもないのだが、エマーム広場よりも質実剛健な印象である。複合施設としてこれほどよく保存されたところもあまりないのではないだろうか。

ギャンジアリー・ハーン複合施設 | Ganj'ali Khan Complex

面白かったのは神学校(マドラセ)である。偶像崇拝を禁じるイスラム教の影響で、イランでも一般的には宗教関連施設に絵を描いたりはしないものだが、ここのタイルワークは、竜にスィーモルグ(鳥)、天使、ライオン、キツネ、ヤギというように何とも絵心があふれている。そういえば、同じイラン文化圏ともいえるウズベキスタンのサマルカンドやブハラにも外壁に絵を描いてしまったモスクやマドラセがあったっけ。

ギャンジアリー・ハーン複合施設 | Ganj'ali Khan Complex
ヴァキール・バザール  Bazar-e Vakil, Kerman

ギャンジアリー・ハーンのバザールは、ヴァキール・バザールへとつながっている。延々と続く先まで歩いてみたくなった。

さすがにタブリーズほどではないにせよ、かなり大きなバザールである。表現は良くないかもしれないが、タブリーズのバザールよりも原始的で、野性味が感じられる。

バーザーレ・ヴァキール(ケルマーン) | Bazar-e Vakil, Kermanヴァキール・バザール(ケルマーン) | Vakil Bazar, Kerman

アーケードを抜けた先には広大な露天のバザールが広がっている。イランのバザールを歩いていると思ったら、突然、アラブのスークに出てしまったかのような、まるで異世界に放り出された気分だった。

バーザーレ・ヴァキール(ケルマーン) | Bazar-e Vakil, Kermanヴァキール・バザール(ケルマーン) | Vakil Bazar, Kerman

店頭に積み上がった野菜や果物の何と豊富なことか。店の数も人出もアーケード区間より露天区域の方がはるかに多い。ここほど活気あふれるバザールが今までにあっただろうかと思えるほどだ。

バーザーレ・ヴァキール(ケルマーン) | Bazar-e Vakil, Kermanヴァキール・バザール(ケルマーン) | Vakil Bazar, Kerman

僕の前から、後ろから、近づいては遠ざかる人の流れを漂っているうち、時間が経つのを忘れた。ギャンジアリー・ハーン広場からどれくらいの距離を歩いたのかもわからなくなってしまった。そろそろ戻ることにしよう。

バーザーレ・ヴァキール(ケルマーン) | Bazar-e Vakil, Kerman
ヴァキール・チャイハネ  Chaykhane-ye Vakil, Kerman

ヴァキール・バザールから脇道を入ったところにあるチャイハネで昼食前に一休みする。伝統音楽の生演奏に耳を傾けながら。このヴァキール・チャイハネもまた歴史的建造物である。元は19世紀のガージャール朝時代に造られた公衆浴場であった。中は冷房が効いてひんやりと涼しい。

ヴァキール・チャイハネ(ケルマーン) | Chaykhane-ye Vakil, Kerman

歌手兼ダフというタンバリンのような打楽器奏者の男性も、サントゥールという打弦楽器奏者の男性も、演奏の合間には二人ともスマートフォンをいじっていたのが面白かった。

生演奏が行われた部屋の裏にはレストランがあり、そこでゆったりと昼食を取って食後の休憩をしているともう空港へ向かう時間が近づく。

テヘラン  Tehran

15時40分発のマーハーン航空1054便で、ケルマーンからテヘランに帰って来た。テヘランに用があるわけではなく、明日からカーシャーン方面へ向かうためだけだ。ケルマーンとエスファハーンを結ぶ便でもあれば違うプランもあったろうが、地方都市間を結ぶ路線は限られる。

これまでもそうだったが、地方を旅行して戻って来ると、テヘランがとてつもない大都会に思える。メヘラバード空港からホテルへ向かう車窓から見えるのは、林立するコンクリートのビルとせわしい人の流れと道路一杯に広がる車列。のんびりとしたケルマーンの風景との違いに馴染めなかった。

テヘラン | Tehran

この日泊まったホテルの部屋は快適で文句はないが、周囲の景色はあまり観光客向きとはいえなかった。近くのファストフード店で早めの夕食を済ませると、後は時間を持て余す。ホテルはとてつもなく広い交差点沿いにあり、反対側へ渡るための長い歩道橋が近くにある。さすがのテヘランっ子も、交通量が激しく、だだっ広いこの道路を直接渡ろうとはしないようだ。

歩道橋で道路の反対側へ渡っても特に行きたいところはない。近くに大型スーパーがあったので、どんな商品が置いてあるのか陳列棚の間を見て回った。僕としたことが、テヘランでは水道の水が飲めることをすっかり忘れて、ミネラルウォーターのボトルを買ってしまった。

僕はこの街に何の関わりも感じられない。異国の大都会で独りぼっちだ。