旅の空

イラン 2016

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ケルマーンの拝火神殿とゾロアスター教博物館

ケルマーンの拝火神殿  Ateshkade-ye Zartoshtiyan, Kerman

イランでゾロアスター教の町として有名なのはヤズドであるが、ケルマーンはヤズドの次にゾロアスター教徒が多いといわれている。にもかかわらず、ケルマーンに拝火神殿や併設の博物館まであることは知られていない。そういう僕自身もケルマーンへの旅行を決める直前までは知らなかったのだが。

マーハーンからの帰りにケルマーンの拝火神殿へ寄ることになった。時間は午後5時を過ぎている。できれば気力や体力を回復して翌日に来たかったが、拝火神殿が開いている時間を考えて行動しなければいけない点が少々厄介だ。に書いたとおり、拝火神殿と博物館は金曜日が休館日である。拝観時間は午後7時までだが、1時から4時までは閉まっている。行くなら午前の方がよいだろう。

ケルマーンの拝火神殿 | The Fire Temple of Kerman

拝火神殿へ入場する際は、入口の棚に置かれた白い帽子を被る決まりである。拝火神殿の外部も内部もヤズドのものに比べると小さく、質素だが、構造は同じだ。

ヤズドの拝火神殿にもあったような教祖ゾロアスターの肖像画やタペストリーが壁にかかっている。ヤズドと同様、広間と聖火壇のある部屋とは壁で仕切られているが、ヤズドと違って、柵の間からとはいえ聖火をガラス越しではなく直接撮影できたのはありがたかった。

ケルマーンの拝火神殿 | The Fire Temple of Kerman

広間の右奥にある机に年配の男性が座っていた。ガイドに確認したところによれば、彼はムーバッド(ゾロアスター教司祭)である。壁際に置いてある椅子に腰かけて、ガイドに通訳を頼んで質問をさせてもらった。

まず、この聖火はどこから来たのか。大方、ヤズドから種火分けされたものだろうと思っていた。ところが、この聖火は、今の拝火神殿に来る前はジャバリーエ・ドームにあったが、さらにその前はアルダシール城塞に置かれていたという。

ケルマーンの拝火神殿 | The Fire Temple of Kerman

迂闊にも僕は、それが意味することを後から気付いたのだが、ムーバッドの言うように、かつてアルダシール城塞にあったのなら、この聖火はササン朝ペルシアの時代から続いている可能性があるということだ。それが事実であれば、ケルマーンの聖火はヤズドやチャク・チャクのものより古いということになる。

しかも、即位前にケルマーン王(シャー)を務めていたバフラーム4世の例があるように、ササン朝ペルシアにとって東の要衝であったケルマーンの王にはササン朝の王族が任命されていた(「ワラフラーン4世」~『King of Kings』)。ケルマーンにはそれに見合う高位の聖火があったと考えられないだろうか。

しかし、ケルマーンの聖火がそれほど由緒正しいものだとは今まで聞いたことがない。ゾロアスター教に関しては、青木健氏の『ゾロアスター教史』・『ゾロアスター教の興亡―サーサーン朝ペルシアからムガル帝国へ』、メアリー・ボイスの『ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史』といった著書を読んでいるが、これらの本では、ヤズドや周辺の聖地について、また、そこで今なお灯る聖火については記述があるものの、ケルマーンに関してはゾロアスター教徒がいるという程度にしか触れていなかったように思う。何故だろうか。

ケルマーンのダフメ(沈黙の塔)  Dakhme-ye Zartoshtiyan, Kerman

拝火神殿でムーバッドにもう一つ尋ねたのは、ケルマーンのダフメについてだ。ダフメとは、ゾロアスター教徒がかつて鳥葬を行っていた施設であり、「沈黙の塔」とも呼ばれる。これもヤズドにあるものが有名で、現在は観光の目玉になっている。

現代までまとまった数のゾロアスター教徒がいるケルマーンにもダフメがあるはずだと思っていた。それも町から遠すぎないところに。聞いてみると、ケルマーンのダフメは、ザランドという町に行く途中の山にあり、80年前(1930年代)までは使われていたという。かつてはヤズドと同様の建造物があったが、壁を壊してしまったので今は残っていないとのことだった。

ヤズドのダフメは1960年代まで使用されていたというから、ケルマーンではヤズドよりも早く鳥葬を廃止したことになる。僕は、パフラヴィー王朝になって鳥葬が禁止された際、ダフメも取り壊さざるを得なかったのだろうと勝手に解釈していた。しかし、後でわかったことだが、そうではなかったようなのだ。

帰国して、ケルマーンのダフメのあった場所をネットで調べているうち、『Zoroastrian Heritage』というウェブサイトに辿りついた。そのサイトの「Zoroastrianism in Kerman」というページにケルマーンのダフメの情報が掲載されている。

それによると、ケルマーンのダフメの所在は、市の中心から直線距離で約9キロ北の低い山である。現在は周囲に畑が迫っているようだ。サイトにはダフメの写真も掲載されているが、驚愕したのは、それが決して昔の写真ではなかったことだ。撮影時期は2009年1月とある。これは一体、どういうことだろうか。少なくともこの写真が撮影された2009年までダフメは間違いなく存在したのである。ただ、航空写真で見る限り、ムーバッドから聞いたとおり、ケルマーンのダフメがあったと思しき場所に現在は壁が見当たらない。ダフメは壊してしまったとムーバッドは言っていたが、その時期は、2009年から2016年の間と考えるほかない。ごく最近のことではないか。

ケルマーンへ行く前にこのサイトを見ていれば、拝火神殿でムーバッドにもっと違う質問をしていたのにと悔やまれる。一体いつ、それに何故、ダフメを撤去しなければならなかったのか。そして理由は何であれ、イランでも数少ないゾロアスター教の文化遺産が最近になって破壊されてしまったとということがショックである。

追記 2022/7/18

久々のことだが、ケルマーン周辺をグーグルマップでふと見た折に、いつの間にかケルマーンのダフメ(Dakhme-ye Zartoshtiyan-e Kerman)が公式に地点登録されていることに気付いた。地図上で場所が非常に見つけやすくなっている上、航空写真も非常に鮮明になり、最近、訪問者が撮った現地の写真も多数投稿されている。

その航空写真と投稿写真を見る限り、ケルマーンのダフメは現存しており、壁が壊されたような形跡はない。上に、「航空写真で見る限り、ムーバッドから聞いたとおり、ケルマーンのダフメがあったと思しき場所に現在は壁が見当たらない。」と書いたが、これを書いた当時のグーグルマップの航空写真では本当に壁がないと思えたのだ。かといって、ダフメの建造物は近年に再築したような新しいものではなく、以前からずっとそこにあり続けたように見える。ササン朝時代までは遡らないかもしれないが、おそらく中世以降のものと思われる石積がよく保たれている。ケルマーンのダフメはヤズドのものより古いのではないだろうか。

こうして見ると、やはり、2016年の旅行当時、ケルマーンの拝火神殿で僕が聞いたダフメについての説明は事実ではなかったとしか考えられない。では、なぜ虚偽の説明をしたのか。理由は推測するほかないが、かつて自分たちの墓所であった大事なところに単なる物見遊山の客がみだりに足を踏み入れてほしくない、ということであれば心情は理解できる。ケルマーンのダフメはヤズドのそれとは違って、今のところ観光名所にする気配はなさそうだ。

ゾロアスター教博物館  Muze-ye Zartoshtiyan, Kerman

ケルマーンの拝火神殿の隣に併設の博物館がある。近づいていくと、どこからか犬に吠えられた。犬は、ゾロアスター教では神聖視されるが、イスラム教では不浄の動物とされているそうで、イランの町中で飼い犬を見かけることはない。僕も6回の旅行で犬を見かけたのは、ここ以外ではゾロアスター教の聖地チャク・チャクとアルダシール・ファッラフで羊の放牧に出くわしたときだけだ。

ゾロアスター教博物館(ケルマーン) | Zoroastrian Museum of Kerman

ひょっとしたら古代の遺物などありはしまいかと期待していたが、展示品はほぼ近現代のもので、ゾロアスター教徒らが使った日用品や彼らが制作した工業製品が大半であった。拝火壇などの祭具やパネル展示もあるが、ゾロアスター教に興味がなかったら、この博物館は全然面白くないかもしれない。

ゾロアスター教博物館(ケルマーン) | Zoroastrian Museum of Kerman

展示品の中でとりわけ印象に残ったのは、ゾロアスター教の聖典言語であるアヴェスター語で書かれた古い書物である。おそらく信徒らが自分たちの信仰を伝えるために記したものであろう。そこに書かれている内容は見当もつかないが、アヴェスター文字の形は美しい。インクで丁寧に書かれた文字を見ていると、それが書かれた当時の雰囲気が伝わってきそうな気がした。

ゾロアスター教博物館(ケルマーン) | Zoroastrian Museum of Kerman