旅の空

イラン 2016

9

カーシャーン

フィーン庭園  Bagh-e Fin

フィーン庭園は、マーハーンのシャーザーデ庭園と並んでペルシア式庭園の傑作として名高い。現在の形になったのはサファヴィー朝のアッバース1世(1571‐1629)の時代といわれている。また、19世紀にガージャール朝の宰相アミール・キャビールが暗殺された場所(庭園内のハマム)としても知られる。

フィーン庭園(カーシャーン)| Bagh-e Fin (Fin Garden), Kashan

午前9時、開園したばかりのフィーン庭園には、糸杉などの高い木立が濃く長い影を落としていた。池深く湛えられた水に安らぎを覚える。

フィーン庭園(カーシャーン)| Bagh-e Fin (Fin Garden), Kashan

水路の噴水口からあふれ出た水が硝子のような水面に揺らぎを与え、それが波紋になって広がって、別の波紋とも重なって、消える。シャーザーデ庭園と同じで、噴水に動力は一切使われていない。高低差によって生じた位置エネルギーが水面に精妙なリズムを刻むのだ。広がる波紋が今にも音を奏でそうな気がして、立ち尽くした。

フィーン庭園(カーシャーン)| Bagh-e Fin (Fin Garden), Kashan

ソフラーブ・セペフリーの詩の一節を思い浮かべる。

…poram az rāh, az pol, az rūd, az mouj.
 poram az sāye-ye bargī dar āb

…わたしは満ちている 道に、橋に、川に、波に
 わたしは満ちている 水面に映る 木の葉の陰に

  「明るさ、わたし、花、水」(前田君江氏訳『現代イラン詩集』)
フィーン庭園(カーシャーン)| Bagh-e Fin (Fin Garden), Kashan
ボルージェルディー家の歴史的邸宅  Khane-ye Tarikhi-ye Borujerdi

ボルージェルディー家とは、19世紀、ガージャール朝時代の裕福な商人の一族である。ボルージェルディーの名は、一家がロレスターン州のボルージェルドという町で取引を行っていたことに因んでいる。この豪邸を構えることになったきっかけは、同じくカーシャーンの豪商であったタバータバーイー家から娘を嫁がせるためだったという。建築工事には当代最高の建築家、彫刻家、画家、職人を集め、完成までに18年の歳月を要した。

ボルージェルディー家の歴史的邸宅(カーシャーン)| Khane-ye Tarikhi-ye Borujerdi (Borujerdi Historical House), Kashan

財力に物を言わせたその大きさと豪華さは邸宅というよりむしろ宮殿といいたいくらいだ。

ボルージェルディー家の歴史的邸宅(カーシャーン)| Khane-ye Tarikhi-ye Borujerdi (Borujerdi Historical House), Kashan

とりわけ見事なのは、壁を埋め尽くさんばかりの精緻な漆喰装飾だ。中でも印象的だったのは、絡み合い、互いを噛み合うライオンと竜。古代中国で方角を司るとされた四神の青龍と白虎を連想した。

イランでは一般に、竜は、中国や日本とは違って害悪をもたらす忌むべき存在とされているそうだが、ここに描かれた竜にはそれほどの嫌悪感が感じられない。ギャンジアリー・ハーンの神学校の外壁に描かれていた竜もそうだった。

ボルージェルディー家の歴史的邸宅(カーシャーン)| Khane-ye Tarikhi-ye Borujerdi (Borujerdi Historical House), Kashan

蛇足だが、ザンジャーン州のダシュ・カサンという遺跡には、14世紀のモンゴル支配時代に彫られた竜のレリーフがあるらしい。その東洋的な姿の竜を岩に刻んだのは、イル・ハーン朝の君主、オルジェイトゥの命によって中国から派遣された職人だという。

タバータバーイー家の歴史的邸宅  Khane-ye Tarikhi-ye Tabataba'i

タバータバーイー家もボルージェルディー家と同じ時代に、絨毯の商売で富を築いた一族であった。タバータバーイー邸が建てられたのも19世紀で、同じ建築家が後にボルージェルディー邸を手掛けたのだという。

タバータバーイー家の歴史的邸宅(カーシャーン)| Khane-ye Tarikhi-ye Tabataba'i(Tabataba'i Historical House), Kashan

装飾の見事さはボルージェルディー邸に引けを取らないが、タバータバーイー邸の色調が抑え気味なのは、施主の好みだろうか。

タバータバーイー家の歴史的邸宅(カーシャーン)| Khane-ye Tarikhi-ye Tabataba'i(Tabataba'i Historical House), Kashan

その代わり、タバータバーイー邸には、ボルージェルディー邸には見られない美しいステンドグラスがある。日向にいてもさほど感じないのだが、ステンドグラスの戸を閉め切った部屋には熱がこもる。夏の暑さをどうしのぐかは当時も大問題だったと思うが、どちらの邸宅にも採風塔(バードギール)や地下部屋などの設備が備わっている。

タバータバーイー家の歴史的邸宅(カーシャーン)| Khane-ye Tarikhi-ye Tabataba'i(Tabataba'i Historical House), Kashan
カーシャーン

カーシャーンには、ボルージェルディー邸やタバータバーイー邸のような歴史的な邸宅が他にいくつもある。昼食を取ったアッバースィヤーン邸もそうだ。中庭に木材で屋根を掛け、とても雰囲気の良いレストランに改装している。このレストランにはソフラーブ・セペフリーの若い頃の写真が壁に掛かっていた。

セペフリーといえば、タバータバーイー邸近くの書店で彼の詩集を買った。ペルシア語の原詩と英語訳とを併記した選集である。何気なく、「Roushanī, man, gol, āb(明るさ、わたし、花、水)」のページを開いたら、たまたま手に取った一冊が乱丁本であることに気づいた。原文で読んでいたから発見できたのだ。その偶然にも我ながらすごいと思った。

カーシャーンの観光はここまでだ。昼食後はしばらく休憩してからニヤーサルへ立ち寄り、そのまま車でエマーム・ホメイニー国際空港へ向かう。カーシャーンでの滞在は短すぎたと感じている。今回、ケルマーン旅行のおまけのような格好になってしまったが、カーシャーンには2、3泊で来たかったと思う。ヤズドとエスファハーン両方の雰囲気が感じられる落ち着いた町である。